3.11
9年前、みなさんは何をしていましたか?
手帳を見返すまでもなく、お客様との打ち合わせ中だったことを思い出します。
もちろんお客様の家のなかはぐちゃぐちゃ。マンションでしたので、まずは降りましょうということに。
あちこちからサイレンが鳴り響き、マンションでは上階ほど被害がひどく、温水器の転倒から漏水も発生していました。
まだ、津波がくるとは誰も予想だにしていません。
何だかわからないざわざわとした感じでした。
まもなくラジオから津波、という声がきこえてきました。
社長はマンション全体を見て周り、できうる手助けをして、事務所へ戻ることに。
マンションは長町。さくら工房は塩釜。
まさか津波であんなことになっているとは。
バイパスも国道も全く進まない。裏道をたどるも、なんか道路が濡れている。
いま思えばもう津波が入ってきていたんですね。だから濡れていたし他の道より空いていた。
とにかく、途中立ち寄れるOBのお客様宅によりながら、ガソリンを補給し、開いている店で買えるものを購入。それでもどうにも道は渋滞したまま。
仙台中心部から沿岸部へ向かう道は全滅していたわけだから進むはずがありませんが、当時は、わからなかったから、とにかく迂回路を探して田んぼの中の農道を東へ。
普通なら40分程度の距離を数時間かけて塩釜へ戻ったものの、停電のなか事務所方向へは立入できず。
仕方なく自宅へ。かろうじて自宅は無事。
そして翌朝、徒歩で事務所へ向かってみてはじめて惨状を目にしました。
これは映画?にわかに現実とは思えない光景が続いていました。
ちゃんと日記でも付けておけば良かったと後から思ったのですが、そのあと一か月くらいの記憶は断片的で、毎日その日出来ることをするしかありませんでした。
停電が解消されるまで、テレビの映像がないので新聞の情報だけが頼り。携帯はなるべく消耗しないようにネットなどはほとんど見れなかったように思います。まだスマホにもなっていなくて、そう考えるとたった9年で世の中はこんなにも変わったのかと思い知らされるところでもあります。
平穏な日常がどれだけ貴重か。
この平穏が続きますように。
行方不明のかたがたがはやく見つかりますように。
宮城・仙台のリフォーム・耐震構法・SE構法の家は さくら工房㈱
公式HP 施工例ぞくぞく https://www.reform-sakurakobo.com/
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