料理に関しては少しも苦にならないけれど、60歳で新入社員となった私はさすがに
疲れて料理をする「気力」をなくしてしまった。
料理を「作りたい」のに、「気力」「体力」がないのだ。
もちろん、お弁当も作るし、日々の料理はしているのだけれど、「料理しましたー」的な
料理ではない。「切りました」「焼きました」「煮ました」的な料理したとは言えない
レベルの料理しかできなくなった。
何しろ、朝が早い。ちゃんとしたお弁当を作ろうと思えば、朝の4時とかに起きないと
間に合わない。そして、会社が遠い。
首都圏で働く方は「遠い」とは言わない距離だというのはわかっているけれど、
地方都市暮らしでは、往復1時間半の車通勤は、十分に疲れる。高齢者だしね。
体調が悪いときは、運転して帰ることができなくなるくらいだが、公共交通機関で通うと
なると、その比ではなく、会社に定時に出勤するのが難しいくらい、便が悪い。
というわけで、常に「疲れている」状態になってから、「これ作ろう」と思って買った
食材がその使命を全うせずに、終わってしまうことが多々。
「本当にごめんなさい」と頭を下げて、ごみ箱に入れるときの切なさ。
もちろん、捨てる前に冷凍保存できるものは保存するし、買うときも、
すぐに使わなくても問題がないものを中心に買う。乾麺とかね。
というわけで、冷凍庫はパンパン。乾物入れもパンパン。
こちらもデッドストック化して、やっぱり捨てる羽目に陥ることが多くて涙目だった。
罪悪感が半端ない。。世界では食べられない方たちも多くいて、日本であっても、
ワーキングプア世帯の方たちも多くいるのに。さらに私自身も高齢者で、先行きを
考えれば、無駄な出費などしている状態ではないのに。
ああ、それなのに。「作りたい」のに「作れない」
料理好きには、「食べたいから作る」人がいると思うけれど、私の場合は「食べるより
作りたい」派なので、余計にこのようなことになってしまうのだろう。
日々、ジレンマになっていたところに、今回は急な病で在宅になり、手術前は立って
料理もできないほどに状態が悪くなっていたので、料理そのものが出来なくなって
いたけれど、入院を経て退院後はなんとか料理はできる状態になった。
とはいえ、体力がなくなって買い物にも出かけられないので、はじめて、ここで冷凍庫と
乾物入れのデッドストック品が役に立った。
買い物に行けないときは、今やネットスーパーが使える時代なので、注文すればいいのだけど、
注文して来ていただくのも、何だか申し訳ない。
配達してくださる方が同世代と思しき方で、暑い中、商品を届けるのに、ぜーはー息を
荒げで、とても辛そうなのです。←我が家の立地に問題あり。
買い物には行かず、デッドストックを食べ続け、とうとう、パンパンだった冷凍庫にあったものも、
乾物入れの乾麺たちも食べつくした。
ある程度、なくなってしまうと、いつも新たにストックしてしまうので、ここまで空になることは
なかったから、ほっとした。無駄なし状態。えらいぞ。私。
でも、何もなくなってみると、これはこれで不便。
あらたに買ったとしても、ストックになるほどは買わないので(闘病中なので、重いものを持って
運ぶのが辛い)、食べるものがなにもない状態に陥るようになった。
近くに買い物に行ければいいのだけど、車を出さないといけない距離だから、やはり辛い。暑すぎる。
先日、冷蔵庫の中も冷凍庫の中もほぼ何もなくて、お米だけがあった。
私はみそにかつおぶしを入れた練りみそにして、炊き立てのごはんに乗せて食べた。
とてもおいしかった。
何もなくても、ごはんがあれば、塩むすびだけでもおいしいし。梅干しは手作りがまだあるから、
梅干しのおにぎりもいける。
まあ、タンパク質や新鮮な生野菜などがないのは気になるけれど、しのげることは大事。
作ったかつおみそは、きゅうりを買って来て、つけて食べるつもり。
疲れて料理をする「気力」をなくしてしまった。
料理を「作りたい」のに、「気力」「体力」がないのだ。
もちろん、お弁当も作るし、日々の料理はしているのだけれど、「料理しましたー」的な
料理ではない。「切りました」「焼きました」「煮ました」的な料理したとは言えない
レベルの料理しかできなくなった。
何しろ、朝が早い。ちゃんとしたお弁当を作ろうと思えば、朝の4時とかに起きないと
間に合わない。そして、会社が遠い。
首都圏で働く方は「遠い」とは言わない距離だというのはわかっているけれど、
地方都市暮らしでは、往復1時間半の車通勤は、十分に疲れる。高齢者だしね。
体調が悪いときは、運転して帰ることができなくなるくらいだが、公共交通機関で通うと
なると、その比ではなく、会社に定時に出勤するのが難しいくらい、便が悪い。
というわけで、常に「疲れている」状態になってから、「これ作ろう」と思って買った
食材がその使命を全うせずに、終わってしまうことが多々。
「本当にごめんなさい」と頭を下げて、ごみ箱に入れるときの切なさ。
もちろん、捨てる前に冷凍保存できるものは保存するし、買うときも、
すぐに使わなくても問題がないものを中心に買う。乾麺とかね。
というわけで、冷凍庫はパンパン。乾物入れもパンパン。
こちらもデッドストック化して、やっぱり捨てる羽目に陥ることが多くて涙目だった。
罪悪感が半端ない。。世界では食べられない方たちも多くいて、日本であっても、
ワーキングプア世帯の方たちも多くいるのに。さらに私自身も高齢者で、先行きを
考えれば、無駄な出費などしている状態ではないのに。
ああ、それなのに。「作りたい」のに「作れない」
料理好きには、「食べたいから作る」人がいると思うけれど、私の場合は「食べるより
作りたい」派なので、余計にこのようなことになってしまうのだろう。
日々、ジレンマになっていたところに、今回は急な病で在宅になり、手術前は立って
料理もできないほどに状態が悪くなっていたので、料理そのものが出来なくなって
いたけれど、入院を経て退院後はなんとか料理はできる状態になった。
とはいえ、体力がなくなって買い物にも出かけられないので、はじめて、ここで冷凍庫と
乾物入れのデッドストック品が役に立った。
買い物に行けないときは、今やネットスーパーが使える時代なので、注文すればいいのだけど、
注文して来ていただくのも、何だか申し訳ない。
配達してくださる方が同世代と思しき方で、暑い中、商品を届けるのに、ぜーはー息を
荒げで、とても辛そうなのです。←我が家の立地に問題あり。
買い物には行かず、デッドストックを食べ続け、とうとう、パンパンだった冷凍庫にあったものも、
乾物入れの乾麺たちも食べつくした。
ある程度、なくなってしまうと、いつも新たにストックしてしまうので、ここまで空になることは
なかったから、ほっとした。無駄なし状態。えらいぞ。私。
でも、何もなくなってみると、これはこれで不便。
あらたに買ったとしても、ストックになるほどは買わないので(闘病中なので、重いものを持って
運ぶのが辛い)、食べるものがなにもない状態に陥るようになった。
近くに買い物に行ければいいのだけど、車を出さないといけない距離だから、やはり辛い。暑すぎる。
先日、冷蔵庫の中も冷凍庫の中もほぼ何もなくて、お米だけがあった。
私はみそにかつおぶしを入れた練りみそにして、炊き立てのごはんに乗せて食べた。
とてもおいしかった。
何もなくても、ごはんがあれば、塩むすびだけでもおいしいし。梅干しは手作りがまだあるから、
梅干しのおにぎりもいける。
まあ、タンパク質や新鮮な生野菜などがないのは気になるけれど、しのげることは大事。
作ったかつおみそは、きゅうりを買って来て、つけて食べるつもり。