眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

超えられるか?「70歳の壁」

2024-08-17 15:14:04 | わたし記
我が家の家系はあまり長生きできていない。

父方、母方共に、70歳までには亡くなった方が多い。

一般的に見て、特に男性は70歳という壁があるように感じていて、70歳をうまく
すり抜ければ、80代も頑張れる気がするけれど、なかなか難しい印象があり、
私の父も71歳で亡くなっている。

父方も母方も、まあ、昔のことだから、きょうだいが多く、8人ほどきょうだいがいて、
父は長男だが、弟はなく、ただひとりの男児で、あと7人は全員女児が生まれていた。

つまり、私には父方に7人の叔母たちがいたのだが、この叔母たちには、かなり悩まされた。
彼女たちは全員が夫の実家ではなく、自分の実家に家族全員で里帰りするのだ。

そして、だれも食事作りなどを手伝わない。結果、長男嫁の母と私がふたりで、
里帰り中の30数人分の食事作りをしなければならないのだ。

お正月なんて、さらに親戚が集まるので、大体、70人分くらいのおせちを母とふたりで
作らなければならないので、夜中まで料理をしなければならず、まさに地獄だつた。

小学生だった私は、台所では母の邪魔になるので、外でじゃがいもの皮むきなど、
料理の下ごしらえをさせられて、寒くて自分の手が赤く腫れてしまっていたことを
哀しいBGMとともに思い出してしまう。

その間、兄はストーブのつけられた部屋でぬくぬくと、こたつでのんぴり過ごしていた。

長男教と呼ばれる日本のシステムは大嫌いだーって、今頃、叫んでも無駄だけど。

40年以上も長男教システムで働かされて来たことも、私が結婚できなかった理由のひとつだな。

まあ、そんなこんなで、親戚づきあいがとても大変で、いつも盆暮れ正月、法事のときは
憂鬱で仕方なかった。小さいころから遊んだ記憶がなく、ただただ、料理や家事に
追われた暮らし。30人分のふとんの上げ下ろしだって、私ひとりでやっていたからね。

まるで民宿のよう。1円もお金をもらえないけれども。朝、寝ている人たちを起こさないように
起きて、大鍋に人数を数えながら、ご飯を炊き、味噌汁を作り、おかずを用意してと
そういう働き方が「あたりまえ」と思って育ってしまったから、大学時代、私のアパートに
遊びに来る友人たちは、いたれりつくせり、上げ膳据え膳されることに驚いていた。

それは特別なことではなく、おもてなしが身につき過ぎていたのね。

あ。脱線した。もとに戻すと、そんなに大家族みたいな親戚づきあいをしていたから、
叔母たちが年を取ったら、さらに介護とか、お世話がいろいろと出て来るんだろうなあと、
覚悟をしていたのだけれど、驚くことに70歳の壁をみなが越えられずに、次々と亡くなり、
お葬式続きだった。

8人いた父方のきょうだいたちで残っているのは2人だけだ。

父が長男で、一番上だったから、残っている2人の叔母たちは私と年が近い。
残っているのは、6番目と7番目の父の妹ふたり。

彼女たちは70歳の壁を超えることができた貴重な存在で、法事で6番目の叔母がもうすぐ
80歳になることを自慢げに話していた。

もちろん、兄、姉、妹6人が70歳の壁を超えられなかったことから、
叔母ふたりは、少しでも長く生きることを誓い合っているようで、
私ももちろん、心から90代超えまで願っている。

いろいろと大変だった親戚づきあいだったけれど、いとこたちがかわいくて、妹や弟たちの
ように思える存在がいることは叔母たちに感謝している。

私は今、66歳で、今年は67歳になる予定だから、壁はどんどん近づいている。

それよりも心配なのは、兄だ。彼は来年に70歳を迎える。

兄は結婚して子供3人がいて、孫2人がいるが、孫はまだ小さい。3歳と6か月。
孫たちにじいじの記憶が残るまで、生き延びてほしいと願っている。

ふだんは顔を合わせることもあまりないが、先日、兄嫁さん家の法事のお供えを渡すときに、
「お兄さんは70歳の壁を超えるように、無理をしないようにね」と言うと、兄がにやっと
笑って、「あと数か月。カウントダウンははじまっている」と言う。

70歳の壁が超えられなかったら、自分のいのちは数か月しかないという意味だ。

その顔を見て、兄は「父親似だな」と思ってしまった。

長男教まつりで母は兄を溺愛していて、母が言うには私は母に1ミリも似ていないらしいが、
「お兄ちゃんは私に似て優秀」と言い続けていたが、客観的に見て、兄は父によく似たところがある。

私が東京の大学に進学して、ひとり暮らしをしていたとき、いつも父は「自分は長くない」という
意味不明な手紙を送って来ていたのだ。

余命宣告を受けていたわけでもなく、特に健康上問題はないはずだったから、私は「?」と
思いながら、長い長い余命間近宣言の手紙を飽き飽きしながら読んだものだ。

心配してほしいという意味か。もちろん、父の健康については常に気にかけてはいたけれど、
遺言みたいな手紙を送って、さらに心配をかけたい? 私にはよくわからなかった。

もちろん、私だって、いくつもの死を身近にして来たから、死が身近にあることはわかっていたし、
父が不死身だと思っていたわけではないが、根拠がなさ過ぎて、「何だ? これは?」と
思ったものだった。実際、それから20年以上生きたわけだし。

「カウントダウンがはじまっている」と笑う兄に、なんだか、父が重なって見えた。

私が同じ状況だったら、がん闘病中ではあるけれど、「私は死なない気がする。二重生命線という
最強の手相をしているからね!」と、心配をかけないように言うだろう。

それが私の矜持。母もきっとそう。人に心配をかけるのは嫌だというのは、とてもよく似ている。
母は認めないだろうけれど。

父方の祖母は65歳、母方の祖母も65歳で亡くなった。
そして、私はうっかり、祖母たちの年齢を超えていたんだなと気がついた。

父方の祖母が亡くなって今年は50回忌だ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿