新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

小泉進次郎に見る「コ」姓の考察

2019-08-12 09:29:55 | 新日本意外史 古代から現代まで

先頃、小泉進次郎と滝川クリステルの結婚が発表された。しかもやることも素早く彼女は妊娠中だというから誠に大慶。 フライデーや文春などの「暴露週刊誌」は何をしていたのか。こんな大物の結婚を見逃すとは大失態で、溜飲が下がる。 チンピラタレントや、芸能人のケツばかり追っているからこのていたらくになる。 彼女はまさに才色兼備、語学も堪能で、美人。進次郎より三歳上の「姉さん女房」。将来総理大臣のファーストレディとしては世界に出ても遜色ない。 進次郎の良き片腕になるのではないか。 だが、口では「お目出度い」等と言っている永田町の議員連中だが、内心では「あの野郎!旨いことやりやがってッ」が本音。だから、 この結婚が嫉妬と権謀術策渦巻く永田町で進次郎にとって吉と出るかは未知数だが、彼の今後の動き方は大変だろう。 父君の小泉純一郎はコケの一念、一点突破政策で「郵政民営化」をして大失政だったが、進次郎は総理になったらどんな政策を示すのか楽しみでもある。

 
さて、コの付く姓には、小泉、小島,近藤、小林,五島、後藤と多い姓である。 コのつく人の特徴はまず、〝努力型〟の一言につきます。しかし、メダカのごとく群れたがるというのではなく、 あまりサラリーマンでは立身せず、いうなれば独立営業的なところがあるのです。だから小泉は親子で派閥も造らず「一匹狼」的存在なのである。   一般には、コの姓をもつ人は、「小売業」というか、町の酒屋さんなどに多くて、それが一代で大きなビルを建てたりしている巷の成功者に多いようです。  といっても、運が良いというようなことではなく、「刻苦勉強型」というか、1円玉でも大切にしてこつこつと金を溜めて、その一代で金持ちになるといった、 〝カンナン汝を玉にする〟といったような銭ゲバ型でないと出世しない厄介なタイプなのです。ですから、コのつく成功者は静岡以西の出身者に多いのも、いわゆるド吝嗇精神を平然と振舞えるからです。  付き合いずらいというか、交際してゆく上にはうんざりさせられる向きも多いのですが、会社の経理など委せたら絶対に安心できるタイプですし、官公吏ならば能吏といえましょう。  それゆえ、この姓の人が係りの税務署員だったりしたら、夜逃げするしかありません。融通やお目こぼしは絶対にないからです。  また、この姓の相手から金を借りたら寝具まで剥がされて持ってゆかれてしまいます。
 きわめて金銭に厳しいのが、なんといってもその特徴といえます。 〝やり手〟型人間として、例えば雪印乳業の児玉由一社長が、珍しいセのつく瀬尾俊三会長の下で、田尾正副社長、山本庸一専務といった完璧な姓列の布陣をひいているのも、これは会社の位置が、不動揺るぎないものとなっている基礎ともいえます。  さて、現在の宝塚の生みの親ともいうべき阪急電鉄の故小林一三は、どんな場合でも決して自分からは財布の口をあけず、タクシーに乗っても決して先には入らず後から入ったということです。 つまり止まった時にさっさと出てしまえば、料金の支払いにはノータッチでいられるからでこれは晩年まで押し通したそうです。
 まあコのつく事業人は、これくらい徹底しないことには大成しないという例ですが、そのくせ儲かるとなると借金を質に入れてもヤマコをはるようなところがあります。 現在資産二千億といわれる近藤紡績の近藤信男にしても、やはり西の名古屋人ですが、六十九歳で数人の彼女をもち、中山製鋼の仕手戦で四十億円の欠損をしても、びくともしていない大物ですが、 それがかつて某という名奴が気に入って、二号さんにするしないの話しがあった時、彼はセックスが終わった際に、
 「一枚ずつ広げて用いれば三枚か四枚で済むものをあの女はかためて掴んで拭く。あれでは何回かに一帖はいるだろう」と中京花柳界ではNO1の麗名のあった浪越連の美人を、 さっさと惜しげもなくやめにしてしまったということです。あの時の事後処理の紙にまで目を配る男は全く大したものである。 やはりコのつく人は目のつけ所が違うようです。 東急電鉄もゴのつく五島昇の下で、副社長がタの田中勇、専務がカの唐沢勲、常務がヤの山田秀介といったアとオ姓列だけの陣容ゆえうまく発展しているのでしょう。
   コ姓は人嫌いなむっつりタイプ
 男性の場合は、性格的に見て、〝人嫌いな面〟をもっていて、〝むっつり型〟が多い。これは、酒でも呑ませれば発散して騒ぎもしますが、淋しがり屋ではないのですが、 あまり人付き合いはよくないということになります。ですから、それが女性の母性本能をくすぐるのか、年上の女性と一緒になってしまうような結果にもなるのです。   仕事に関しては〝刻苦勉励型〟の男性ですが、もし、女性が、夫を飼育して出世させようと考えているのでしたら、これくらい立身させ甲斐のある男性はいないといえます。
  しかし、自分の方も身なりにかまわず、共に働かないことには駄目だといえます。   さて、それではコのつく女性を妻にすれば、よく働いてくれて、おおいに楽できるかといえば、これはあべこべなのです。
  あまりこの姓のつく女性は働き者ではありません。怠け者です。   そして、どうも好色なタイプが多いようです。というと、それならば〝恋愛対象〟にと、コのつく女性を探そうとする男性がいるかもしれませんが、 一度、その女性が本気になったりしてしまうと、簡単に「さようなら」というわけにはまずいかないということを心得ておくことです。   したがって、コのつく女性を恋人にもっている男性は、真面目に付き合って結婚し、その後、浮気をさせないようにコントロールする以外はないようだといえましょう。 因みに私事になるが私の最初の妻は「小林」姓だった。私が長期に家を空けると必ず浮気をしていたもので、これが原因で別れたのだが、 私への愛情が無くなったというではなく、淋しさとセックスへの渇望だった。だから勿論相手の男を愛したわけでもない。 夫は夫として愛し、浮気は閨の寂しさを紛らすスポーツのような感覚で、騎馬民族の女の特徴なのである。
    騎馬民族系(崇神王朝・蘇民系)─オ姓列
 エビス、ダイコク、ビシャモンといった七福神は、今では単なる縁起物扱いされていますが、かつては、それらは蘇我氏人の奉ずる多神教の神々だったのです。  徳川家康が天下をとる際、徳川だけではオコソトノの姓列しか統合できないので、アカサタナハマのマのつく松平姓をも、二倍でゆこうと併称してからというもの、 ア姓とオ姓列は公然と混合させられてしまい、今ではごっちゃになってしまっているのです。
 しかし厳密にいえば、騎馬民族系は頭蓋骨が小さいのが特徴ですが、この蘇民将来系や白山神信仰、土俗八幡信心の人達は、大頭だったりフクロクジュのごとき長頭なのです。  彼らは、戦国時代には勇ましく戦ったものの、その後、武士から脱落した者が商人になっていったので、「番頭」「手代」といった武者言葉をそのまま商家でも用いています。
 が、なにしろ商人は殆どといってよいくらい出自が蘇民将来系ゆえ、大阪あたりでは、現在でも「十日えびす」とか「えびす講」といった売出しをやりますが、 堺や昔の佐渡などはかつてはエビス島と呼ばれたものでした。そしてエケセテネのエ姓列が、このオコソトノのオ姓列に入ってしまっているのは吸収合併されてしまったからの所為なのです。
 そして、その結果、オ列の女性上位の感化をうけ、相当に女人から苛め抜かれてきましたので、今でもその子孫は、恐妻家とか愛妻家と呼ばれる人には、 このオコソトノの姓を上へつけている人が多いようであります。しかし、復讐のために反動的になって、女性の敵ともなります。例えば、オのつく大久保清とか、コのつく 小平義雄といった例です。
 そしてアカサタナの第一横列とオコソトノの第五横列が、ともすると過激に走るのは、「連合赤軍事件」や、 アラブゲリラの関係者の名前を羅列しても一目瞭然です。これをみましても、この方則には感心させられましょう。
  <連合赤軍関係者一覧>  ア青砥幹夫  カ金子みちよ、加藤能敬、加藤順子、 サ坂口弘、酒井隆樹 タ ナ中村愛子、永田洋子  ハ坂東国男 マ前沢虎義 ヤ山本順一、山崎順、山田孝。  オ大槻節子、尾崎充男、太田直己 コ小島和子、近藤有司 ソ ト遠山美枝子 ノ野津和寿恵 ホ  モ森恒夫、持原好子 ヨ吉野雅邦。
  <アラブゲリラ事件>  ヤ安田安之 オ岡本公三、奥平剛司 ヒ(ホ)檜森孝雄・・・・・といったあんばいです。
 
戦国期になれば「コ」の付く戦国武者は多く出現してくる。<戦国人名辞典>にも、 秀吉の家臣や馬回りに「小出長政」「小出三尹」「小出吉政」「小坂助六」「小崎新四郎」「小島与衛門」「小寺休夢」「小西和泉守」らが見える。 「小介川親茂」(出羽由利十二党) 「小林家鷹」(高匠で信長に仕える) 「小堀政一」(秀吉から家康に仕え、元和九年伏見奉行)「小宮山内膳」(武田勝頼の臣)  有名な、小西行長、小早川秀秋、講談でお馴染みの後藤基次(又兵衛)、鉄砲同心五十人で有名な駒木根利政などこの他にも数十人が見受けられる。
さて、次回は進次郎の奥さんになった滝川クリステルの「タ」姓についての考察をしてみようと思います。