煽り運転犯、宮崎文夫の「ミ」姓の考察
先頃「あおり運転」の犯人男女、宮崎文夫と喜本奈津子が逮捕された。 連日のテレビ報道で、宮崎の凶暴性がお茶の間には強烈な印象だったろう。 姓の法則を研究している私にとっては、このミ姓の凶暴性は別に不思議ではない。 直情径行の性格だから、ある一定の条件下ではその「負」の性格が爆発するので、理屈っぽいが、本来は気の小さな男なのである。 それにしても、近頃は煽られたり、幅寄せされて、おまけにパンチまで食らって一体どうしたものか。
やられたら、こっちが追いかけて行き、相手の車を止め、逃げられぬようにドアを開けキーを抜いてエンジンを切り、 相手を引っ張り出して理詰めで唸ってやり、話を付けるのが順当だろう。 相手がパンチや蹴りを入れ攻撃してきたらシメたもの。此方が徹底的にぶちのめしてから警察を呼べばよい。これで正当防衛になる。 やられたらやり返すのが基本なのである。 こんな男たちをのさばらせておくことはない。彼らは相手が手出しをしないという前提で行動しているのである。 まあ、喧嘩に自信のない人は、リアウインドウはスモールフィルムを張り、山口組の金色代紋ステッカーでも張っておくことをお勧めする。
閑話休題。 この比較的温厚であるイキヒチニヒミの付く姓を、例によって日本史から考察してみましょう。
この第二横列(イ姓列)のイキシチニを編戸の民(稲束を渡され田夷となって穴居の入り口に目印に筵をはっていた民)とする根本資料は、 『延喜式』の授苗腸表及び、太田南畝編『杏花園随筆』及び『寛政家伝指出史料』を参考として、もっとも早く農耕部族となった「原住農耕系」とみなすものです。
原住農耕系(仁徳王朝系)─イ姓列
関東では「イカン」「イケマセン」というのを、関西では「アカン」「アキマヘン」といいます。本辞と修辞の差といいますが、これはやはり民族別の発音の違いなのです。 つまり、イが上についても、茨城県の水郷地帯のイタコから以東のイ姓はアと同じなのです。また、拝火教の末裔が多い関係でヒは炎のホと結びつきますので、 第五横列(オ姓列)に入ります。また北と白という文字の場合はキとシでもこの列から外します。(北は第五横列、白は第一横列に昔は入れていたからです)
何故この姓列はそんなにややこしいのかといいますと、もともとは原住民なのですが彼らは西部劇にでてくる騎馬隊の軍属のインディアンのごとく、 早いとこ藤原氏に降伏してしまった要領のよい連中。それと、藤原基経に廃立させられ上州のハルナ系の山中へ連合赤軍のごとく逃げ込まれた陽成帝のお供をして山中アジトへ逃亡し、 あくまで公家に対してレジスタンスを続けたものとに分かれるからなのです。
反抗派は、第一横列(ア姓列)や第五横列(オ姓列)とその血を混ぜて今日に至っていますから、それらと同じことですが、いち早く藤原側について、 種米のモミの束を与えられて、「田夷」と呼ばれ、編戸の民となった方の彼らは、江戸時代になっても寺百姓と呼ばれて、各壇那寺に人別帖なる戸口簿で総括取締りをうけていたので、 昔は軽くみられ、「奴百姓」とも呼ばれました。 しかし、唐から渡ってきた連中のだらっとした弁髪をみて、「長いものには捲かれろ」と、いち早く転向した目先のきく先祖の血をひいた彼らは、 「百姓は滑稽だ」といわれつつも明治まで逞しく生き抜き、今では土地成金になった人も多く、その要領のよさでは他に肩を並べる者はなく、現代のエリートがこの姓をもつ人々なのです。
イ姓列の場合、イキシチニ・・・・・の横列のリズムに動く例証。
<小笠原流とは別派な古式作法の水島流の水島伝弥について、享保十一年に伊藤甚右衛門が書き残した伝書≪享保十一年伊藤甚右衛門指出書≫から例を引用してみましょう> ◆大坂落城後・・・・城から逃げだし捕らえられたが、首代を払えば助命するといわれ、″イの池田武蔵守〟家来の″ミの水島助佐衛門〟が実兄だといった処、銀子一貫匁なら助けようとなって使をだした。 処が長く陣中に居て手許不如意ゆえ七百匁に負けろとの返事。
そこで三百匁は信用貸しにして後廻しになさんとの双方での話し合いになったが、どうあっても捕えた方は一貫匁というので、話はこじれて決裂。そこで首を落とされる羽目になったが、″二の西尾主水正〟陣屋に駆けこみ訴えした処、武者奉行 ″ミの水野但馬〟が、同姓なればと掛け合ってくれ、前銀三百匁、後百匁ずつ五回払いの八百匁で、 落とし前の話がつき、身柄は西尾陣屋へ移された。
その後、八百匁のかたに奉公している内に、伝弥が産まれたのだが眉目麗しく、二百匁の仕度銀にて ″ミの三浦主膳〟の仲立ちで、″イの井伊掃部頭〟へ小姓奉公した。やがて小笠原右近太夫が井伊家出入りで、その作法をやがて伝弥は習得した。だが、右近太夫は「姓が異る」と小笠原流奥儀は許さなかった。そこで、″キの木股仁太夫〟、″シの清水次郎助〟、″チの千葉五郎太〟ら同姓の肝入りで殿に願い出て御暇を頂戴して、″ヒの日野右膳〟の娘を妻とし、 新しくミの水島流指南〟の一家を設立することがようやくできたのである。 といった経緯を門人の伊藤がしたためたものですが、イキシチニの発音をひっくるめ、″同姓〟と呼んでいる点に留意していただければ、すべて納得がいかれることでしょう。 首を落とされる前に金を払って話しをつけるのを「落とし前」というのも、この頃の名残りです。また、他の横列もそうですが、イキシチニの横のつながりが強固な例として、室町時代の守護職を、ついでにあげておきましょう。
イ 今川氏=駿河 伊勢氏=伊勢 一色氏=丹後 キ 吉良氏=三河
木曾氏=信濃 菊地氏=肥前 シ 斯波氏=尾張 島津氏=薩摩
チ 千葉氏=上総 長曽我部氏=土佐 二 仁科氏=信濃 蜷川氏=丹波
ヒ 日野氏=摂津 土岐氏=美濃 ミ 三好氏=阿波 三浦氏=下総 といった具合に、この系列にのみ限定されていたのをみても判ることです。
関東の”イ”は関西の”ア”と同じゆえ、これと”ヒ”は別ですが、他は一応は、体制協力型で要領が良い。 またエリート型できわめて順応方ですので人付き合いも良い。男性は直情径行型で信念を持った者が多く、女性にも好かれる。
ミ姓―カラ神信徒の流れをくむ恐れ知らずの部族
この姓には、三、水、宮の三つを上につける姓が殆どを占め、後は、南、峰、湊、光、緑、瑞といったのに分かれています。 もともとは、騎馬民族で神さんを拝んでいたかカラ神信徒の流れだが、進取の気性にとんでいて、終戦時にアメリカ兵の側によって行き、すぐさま商売した人種のように、 恐れを知らず馴々しく近づいて、国際親善をした勇敢さが今も伝わっているのか、海外へ雄飛している邦人にもこのミの姓の人がかなり多い。 そしてミのつく姓の人も、やはりイ姓列やウ姓列の二つの姓列の人と結びついている限りは、事業の運営もうまくいくし、交友関係もそつがなく、安全第一ということがいえます。
一般にあっても、この姓は比較的穏健そのものであって、警察協力会の会員になったり、防犯連絡所になっている家にこの姓が多いのも、法を守るという穏当な常識人が多い例証といえましょう。 ですから、企業側にあっては、こういう姓のつく部下かを管理職の要所要所に配置しておけば、社運が興隆することは間違いありません。 また、部下のほうも、この姓の持ち主が上司であった場合は、なるべく気に入られるようにしておけば、自分もしたがって栄進の道が辿れるというものです。
しかし、この姓の弱さは、自分自身が一派をリードし、全体の統率者にはなったりできないということです。 どうしても、脇役とか番頭役であるにとどまることが多いようです。 しかし、何もリーダーになって苦労するだけがいいことではないですから、セカンドの位置にあって、己の能力を発揮していくとなれば、 それはそれなりに立派でこれはきわめて堅実な生き方といえます。 しかし、大きな会社の場合では、すべての幹部が皆、イとウの二つの姓だけでまとめていくということはまずできません。 ですから、ベンベルグの旭化成工業などでは、社長の宮崎輝は、専務にはクの久保田正雄、イの磯部一充を置き、副社長には他の姓
列のものを統率してゆくためア姓列のカがつく刈谷享を据えて、全部の人事を取しきって、波風を立てることなく、きわめてうまく事業を伸ばしています。 これはまた、丸善石油の宮森和夫社長にもいえることで、同姓列のイの石渡健二、シの清水菊一、ア姓列のマの松田重一、ワの脇坂泰彦を専務にし、 二つの姓の流れをスタッフに置いて、一時は潰れかけた会社なのに、それをなんとか努力して、もって現在のような隆盛さに持ち直してきています。
ミの姓をもつ人は当たりがやわらかいというか、他とすぐ親しくなれる特性をもっているので、それをうまく活用すれば事業においても成功するということです。 これは女性にもいえることで、銀座のバーのマダムや一流の料亭の女将にもこの姓が意外と多い。
つまりこうなりますと、われら日本人は決して単一の民族ではなく、四つの複合民族であるということを、はっきり把握して、 主脳部はうまが合うからと自分と同じ姓列だけで周囲をかためず、他姓列を押さえてゆくためには、どうしても、その姓の者をしかるべく序列におくことが、 なんといっても会社の運営をうまくやってゆく人事問題の要諦ともいえるようです。これはすぐにも実行すべきでありましょう。
こうしてみると、様々な問題はあるとはいえ、安倍内閣もア列が主導権を握り、オ姓列の大臣や副大臣、政務官を配し、原住民系で手堅く運営している。 内閣の女房役ともいえる官房長官に菅氏という、契丹系の頭の良いのを配し睨みを利かせている。人事としては大成功である。 そして、党の運営には、イキシチニヒミ横列のニの付く二階幹事長だから、安倍一強として長く続いているのである。 会社でも政府でも組織は全て人間が動かしているので、複雑多岐に渡り、果てしなき不毛な現代は円滑な人間関係がより一層大切になるのである。