城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

白石城@宮城県

2023-08-14 13:00:00 | 続100名城
2023年8月14日

30年ぶりくらいに来た白石城。
大坂夏の陣の後、江戸幕府は一国一城令を布令します。

仙台藩の居城は仙台城(青葉城)で、明治維新までの270年間もの間、伊達家の居城であり続けました。

しかし、白石城は残り続けました。
伊達政宗の右腕でも片倉景綱が居城として、代々受け継がれていました。

幕末の廃城令で解体され建物全てを破却されたそうですが、1995年に木造で復元されています。

当時は幕府に配慮して天守閣ではなく大櫓と呼ばれていたそうです。

白石市は宮城県の下に位置して福島に非常に近い位置にあります。

白石城は伊達家のものになったり、上杉に取られたりを繰り返し、最終的には関ヶ原で上杉から伊達政宗が奪還して江戸時代も仙台藩の領地として残りました。



登っていくと立派な石垣が見えてきます。


石垣の上に立派な三重櫓。
戦後の木造復元が行われた天守閣では高さ広さともに日本最大級らしいです。



本丸に入る第一の門。大手一ノ門。
下から登ってくると、ぐるっと180度曲がって一ノ門をくぐるようになっています。



門の下には狭間も大量に設けられていて、防御に優れた作りになっています。


ちなみに、白石城は伊達家が統治していましたが、豊臣秀吉によって白石城は蒲生氏のものとなります。

その後、上杉領となりますが関ヶ原を契機に再び伊達領となります。

エリアとして如何に重要な拠点だったかが伺えます。


大手一ノ門の先には大手ニノ門が待ち構えます。
枡形門でさらに極端に入り口が狭くなっているので、敵が攻めてきた際はこの空間で立ち往生するものが増えて、かなりの戦果が期待できると思われます。



大手ニノ門も忠実に木造復元されています。


大手ニノ門を潜ると、本丸跡に出ます。そして奥には天守閣。



天守閣下には井戸なども残されています。



天守閣の中。
かなり立派な作りになっています。

忠実に再現しているらしく、かなり技術評価も高いそうです。

これだけ大きな建物ですが、東日本大震災の時は石垣も含めて無傷だったらしい。



中には片倉景綱、伊達政宗などの甲冑が飾られています。

赤い甲冑には六文銭!

白石城と片倉景綱と真田家は実は深い繋がりがあります。

後ほど!



天守三階には外で景色を眺めることができます。
出入り口は華頭があしらわれています。


先ほど通ってきた大手一ノ門と大手ニノ門を上から眺めます。

上から見るとすごく変わった形をしているのが分かります。

一ノ門からニノ門までにギュッと狭まり、ニノ門の目の前で枡形になっています。





木造の巨大な建物を見ると、日本の建築技術は凄いと思い知らされます。

木の打ち継ぎ方や切り欠きなど、間近に見ることができます。


大手ニノ門と天守閣。
城らしくて良いショットです。

仙台城には天守閣が元々なく、その他の建築物も全く復元もされていないので、この白石城は宮城としては貴重なお城といえます。



破風も見事で、張り出しの下は石落としになっています。
野面積みの石垣も素晴らしい。



天守閣下にある資料館にも真田幸村の甲冑が飾られています。
グッズも伊達政宗、片倉景綱、真田幸村と揃えられています。

ワタクシの好きな武将、伊達政宗と真田幸村の甲冑が並んでいるのはテンション上がってしまいます。

大坂の陣で大活躍した真田幸村。大阪夏の陣で伊達軍と激突しました。

そして、真田幸村が亡くなる前日に敵の東軍である伊達軍に子供や妻達を託しました。

その後、真田幸村の子供たち5人を匿う形で江戸を抜けて、仙台に帰ってきたといいます。

そして、この白石城の二の丸で匿いながら養育したとされています。

真田家は信州上田ですが、仙台でも繁栄したのはこの白石城があったです。


そして、幕末に幕府軍と新政府軍が激突した明治維新。
仙台藩を含めた越後、東北勢は奥羽越列藩同盟を結んで新政府軍に対抗。

その軍議はこの白石城で行われました。


小さな城ですが、歴史上では奥の深い話が、たくさん詰まった白石城です。




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