2024年10月20日
よくあるお台場の光景。
奥にはレインボーブリッジが見えます。
まるで天橋立のように細い道が島につながっています。
近ずくと石垣がよく見え、綺麗な切込接を確認できます。
砲台場の中心部はサッカースタジアムのようになっています。
レプリカですが、大筒をセットする砲台置き場があります。
結局、台場は一度も使われることがなかったのですが、外国から日本を守ることは江戸幕府の威信をかけた事案だったことがわかります。
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三日間の岡山、高知、香川の100名城巡りを終え東京に帰ってきましたが、翌日は台場で用事があったので、品川第三台場に行きました。
日本続100名城にも選ばれている品川台場ですが、おそらくお台場に遊びに来ているほとんどの人が知らないであろう江戸幕府による貴重な遺構です。
よくあるお台場の光景。
ビーチには高校生や観光客、ファミリー、カップルなど各々の時間を楽しんでいます。
そんな幸せの時間が流れるこの地で、
江戸時代の1853年、日本に激震が走ります。
ペリー率いる4隻の軍艦が神奈川の浦賀沖に現れました。
江戸幕府は守備を強化するために砲台を建設することを決断。
奥にはレインボーブリッジが見えます。
お台場公園の見慣れた当たり前の光景ですが、レインボーブリッジの下に石垣造りの島があります。
海に浮かぶあの島こそ江戸幕府が造った要塞、品川第三台場です。
こんなオシャレタウンに大砲を放つための島があったなんて驚きですよね。
まるで天橋立のように細い道が島につながっています。
石材で造られた道で、対岸にはフジテレビが見えます。
砲台場は12基建造計画がありましたが、
幕府が開国したことで最終的には6基建造しました。
その内、現存しているのは第三台場と第六台場で現在、国の指定史跡となっています。
一般人が行けるのは品川第三台場のみ。
ワタクシが東京に来たのは13年前。
恥ずかしながらこの品川台場を知ったのは城好きになった最近のこと。
それまで全く存在を知りませんでした。
近ずくと石垣がよく見え、綺麗な切込接を確認できます。
緊急性が高い建築計画だった為、泉岳寺境内や品川の御殿山を切り崩して埋め立てられました。
資材を運ぶための船は1日2000隻。
作業員数は1日5000人。
超突貫工事です。
フジテレビなどがある、現在お台場と言われるエリアも埋立地ですが、江戸期に既に埋め立てられた島を造っていたのですね。
石垣は腰巻石垣になっていて、海と接する下部は石垣。
上は土塁で囲まれています。
第三台場は約150m四方の石垣で囲んでいます。
砲台場の中心部はサッカースタジアムのようになっています。
レプリカですが、大筒をセットする砲台置き場があります。
結局、台場は一度も使われることがなかったのですが、外国から日本を守ることは江戸幕府の威信をかけた事案だったことがわかります。
現在、品川台場には建築物は残っていませんが、想像を掻き立てる跡はしっかり残っています。
石材で形成された防空壕のような穴は、大砲の弾や火薬を収納するための弾薬庫として使用されました。
下から見るとまさにスタジアムのピッチに立っているようです。
石材で形成された防空壕のような穴は、大砲の弾や火薬を収納するための弾薬庫として使用されました。
下から見るとまさにスタジアムのピッチに立っているようです。
砲台場は当時は御台場と呼ばれていました。
徳川幕府の威信を掛けた事業は、今も変わらない姿で残っています。
歴史は今に繋がっている。
まさに、お台場はそれを感じることができるエリアです。
夕暮れが近づくお台場。
レインボーブリッジと高層建築物。
目覚ましい発展を遂げた日本ですが、特にこの東京は世界で有数のビックシティになりました。
しかし、変わらない物もある。
海に浮かぶ第三台場とこの太陽は今も昔も変わらない。
この歴史を伝え繋がるのは、現代を生きている我々。
素敵なロケーションが、エモーショナルな気分にさせる。そんな1日でした。
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