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先週出かけた、大分への旅。
本日は、前記事に続き、「若き独歩の面影」後編を。
佐伯では、登城の夫と別行動で、
私は、国木田独歩館へ。
かつては上級武士の住まいが並んでいた、
白壁の続く「歴史と文学の道」の一画だ。
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1894(明治26)年、21歳の国木田独歩(哲夫)は、
国語と英語の教師として、開校間もない鶴谷学館の
教師として赴任する。
寂しがり屋の独歩は、7歳下の弟・収二を伴い、
校長の坂本永年邸の2階に間借りをする。
それが現在の国木田独歩館だ。
今も、当時の面影を遺すよう修復したという邸内。
他に見学者もなく、ゆっくり見て回ることができた。
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以下、館内の案内とスタッフさんのお話を元にまとめる。
独歩と収二は、実に仲の良い兄弟だった。
(「愛弟通信」にもうかがえる)
たいていは、日当たりのよい、独歩の広い部屋で過ごしていた。
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たまにドスドスと大きな足音がして、収二が部屋に戻るのは
二人が兄弟ゲンカをしたときのこと。
といっても、時事論やら文学論やらをたたかわせるうちに
喧嘩となってしまうのだから、仲の良いインテリ兄弟なのだ。
収二も後に新聞記者となり、ジャーナリズムの道を歩んでいる。
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(独歩の部屋から奧にある収二の部屋を見る)
独歩の部屋からは、かつて元越山が見えた。
今でも、佐伯の小学生が登る山で、独歩も登山を楽しんでいる。
独歩は実はアウトドア好きの活発な青年だったようだ。
自分の登った元越山の見える景色を、朝な夕なに楽しんだにちがいない。
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一方で、窓の外を眺め不快な思いをしたことも、ままあった。
朝、起きると、庭に、独歩を非難する投げ文を見つけるだけでなく、
学生らが門口でシュプレヒコールを上げ、排斥を叫ぶのも見ている。
東京から破格の待遇で迎えられた若い教師・独歩を厭う者は
同僚だけでなく、生徒の中にもいたというのは、辛かっただろう。
(夏目漱石も、熊本の五校で苦労しているよね・・・)
もちろん、独歩を慕うものも多かった。
たとえは「春の鳥」の知的障害のある少年は、実在し
独歩に親しんでいる。
申し添えると、少年は寺男として人生を全うできた。
(ほっとする)
この少年だけでなく、子どもに対し、独歩は優しかった。
お菓子や、当時珍しかった雑誌のカラーページの切り抜きを
子ども達にあげるなど、可愛がっていた。
その子達とさして年齢の変わらぬ弟・収二を連れて
赴任したくらいだ。子どもは根っから好きだっただろう。
結局、独歩は、着任した翌年(明治26/1894)の夏、
佐伯を去る。
前年の秋に赴任してきたのだから、1年足らずの佐伯滞在だった。
このとき、生徒達の中には別れを惜しむあまり、
帰郷する独歩と共に数人が東京へついてきている。
排斥運動の一方で、独歩が慕われてもいた証だろう。
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さて「春の鳥」といえば、
作中で少年と独歩が出会うことになるのが佐伯城のある城山だ。
旧幕時代の毛利家の佐伯城は、坂本邸のすぐ裏手にある。
ちなみに、この毛利家は長州藩の毛利家の血統ではなく、
森姓だった藩祖・高政が毛利輝元から気に入られ、
音の似ている「毛利」と名乗るよう言われ、改名したそうだ。
ご近所の方のお話では、昭和の頃までは、
城山から鹿のなく声が聞こえ、なんとも、もの悲しかったそうだ。
「春の鳥」の描写と通じるではないか!
とにかく、実際の独歩も小説同様に、城山へ登り、
ワーズワースなどを読みふけっていた。
(本当にアウトドア青年!)
独歩にとって、坂本邸は、好立地だったことだろう。
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では、現在の坂本邸はといえば・・・
全体に元・海辺にあった藩主の別荘らしく、開放的な住まいだ。
その建築としての面白を味わいながら、
独歩を思うことができる。
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さらに母屋から続く先に、蔵がある。
ここには独歩関連の資料が展示され、
2階には、独歩関連の本が並んだ読書スペースもある。
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なんて落ち着くインテリア!
カフェにしてほしいくらいだ♫
残念ながらコーヒーはなくも、
ここで久しぶりに「春の鳥」を広げた瞬間、
スマホが鳴った。
夫が城から戻り、これから迎えに来るという連絡。
ああ・・・(もう少し、ゆっくりしていればいいのに!)
佐伯での独歩を想う時間は、これにて幕引きを迎えた。
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最後に、もうひとつ、
朝霧カフカ / 春河35『文豪ストレイドッグス』
〈角川コミックス・エース〉つながりの話を。
〈角川コミックス・エース〉つながりの話を。
作中にも登場する中原中也(↓)の詩が、
戦禍の続くウクライナで反響を呼んでいるのだとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/11/5e046a217c1477f86d4cd11a40714bfb.png)
「ゆあーんゆよーん ゆあゆよーん」(「サーカス))や
「汚れちまった悲しみに」である。
「文豪ストレイドッグス」をきっかけに、
中原中也の研究を始めた、24歳のウクライナ女性。
日本に避難し、仲間と立ち上げた出版社の最初の刊行物として
中也の詩を翻訳したのだという。
(→「読売新聞」)
ウクライナを想うと胸が痛むが・・・
「文豪ストレイドッグス」、偉大なり・・・
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
勘違いや読み間違いもあるかと存じますが、
個人のブログゆえ、お許しを。
参考:
「城下町佐伯 国木田独歩館」パンフレット
国木田独歩『武蔵野・牛肉と馬鈴薯 特製版』旺文社文庫
📷 「文豪ストレイドッグス」の画像は、公式HPよりお借りしました。