本日6月23日、沖縄慰霊の日。アジア太平洋戦争、沖縄における組織的な戦闘が終わった、とされる日だ。「鉄の暴風」とも言われるほどの爆撃に、地形まで変わってしまったと言われる、沖縄。日米あわせ、20万人が犠牲になったという。もっともそのほとんど19万人が日本人、12万人以上を沖縄県民が占め、県民の4人に1人が亡くなったとされる。本土決戦までの時間稼ぎ、「盾」のごとく使われた沖縄。胸の痛みと共に、激しい . . . 本文を読む
お好きな方もいらっしゃるので、こっそりと言う・・・今年の大河ドラマ「光る君へ」。言いたいことは、いろいろあるものの、ガマンしてきた。しかし・・・・昨日放送の第24回「忘れえぬ人」は、何なんだ!?(以下、ご覧になっていない方はおわかりにくいかも、しばしお許しを)まひろにとって、道長がそうであるように、一条天皇と中宮定子が「忘れえぬ人」であることはわかる。だからといって、一条天皇と中宮定子をあんな風に . . . 本文を読む
高度成長期に生まれ、バブルに浮かれた世代なので、子どもの頃は、駅前でうずくまる傷痍軍人を、よく見かけたものだ。.もっとも、街育ちで口の悪い祖母は「あれは、<おもらいさん>をして稼いで、御殿に住んでいるニセ者よ」と、必ず吐き捨てたけれど。(根拠は不明w)真偽はどうあれ、いずれにせよ、子どもの私には不気味で直視できない存在だった。父方の大叔父が戦場に行ったという話も聞いている。(今思えば、言語道断な話 . . . 本文を読む
母の昔語り・・・お食事前の方、ごめんなさい。むかし、むかし、弟の生まれる前、わたしが3つか4つの幼女だった頃。母は私を連れ、市電を乗り継ぐと、磯子の赤十字病院へ見舞いに出かけた。祖母の姉である伯母(わたしにとっては大伯母)が入院していたからだ。病室へ入るなり、幼い私は「ここ、くさい・・・」と顔をしかめる。優しい伯母は「じゃ、廊下に出ていて良いわよ」と言ってくれ、ひとり廊下に出る。もちろん、幼女ひと . . . 本文を読む
冒頭画像は、横浜山手のフランス山の広場。ここは大好きな「港の見える丘公園」から地続きになっている。ベイブリッジが一望できるのも爽快で、毎年、母と一緒に薔薇を愛でに出かける公園だ。その奧がフランス山、この一角に、ブロンズ像がある。二人の幼子を母親が優しく抱きしめる「愛の母子像」だ。わたしは通りがかると、必ず手を合わせているが・・・このいわれを知る人は、もはや少ないのだろう。足を止める人は、ほとんど見 . . . 本文を読む