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今日からマヤ暦では「黄色い人」13日間がスタートしました。
自分が正しいと思った瞬間から、人は柔軟性を失い、
本当の意味で聞く耳を持たなくなります。
と朝、マヤ暦に関するメッセージをいただきました。
正しい VS 正しくない
出来事が起こった時に安易に行きがちな方向です。
・人と意見が対立したり
・自分の思うようにならなかったり
・人から指摘を受けたり
したときに、自他共に対してジャッジの目を持ち
正しい VS 正しくないが起こってきます。
正しい、正しくないではなく
「私はどうしたいのか?」にベクトルが向くことが
とても大切だな~とつくづく思います。
何か不満が起こったり、怒りを感じたりとスムーズでないことが起こった際
愚痴、不満を出そうと思えばキリがないくらいいっぱい出てきますよね。
通常、その愚痴や不満をいっぱい出してストレス発散~
となっているケースが多いのではないでしょうか?
ひどい状態になると愚痴、不満を自分の中にしまいこみ
外に出さないようにし続け、あるとき限界が来て
肉体や精神にトラブルとして起こっていることも現代では多いように思えます。
強いストレス状態の時は、自分に何が起こっているのか?を
話すことすら辛いですからね。
禅カウンセリングを受講、そして開催し続けて1年半
自分の脳の使い方が変化したように思えています。
ストレスが起こった際、
まず自分の感じている今の感情の渦の中にただただ漂っていて
自分の話をわかってくれるのなら話したい
わかってくれないのなら話さない、そして悶々とする
というパターンから
今は、起こったストレスに対して
この状態に対して、「私はどうしたいのか?」
というベクトルになっていることに気づきます。
個人セッションをしている経験でも
大きな心身のストレスがあればあるほど
その問題に対して自分がどうしたいか?を探すのが難しく
こんなに嫌で、こんなに苦しくてという感情の渦に
意識が向いている方が多いです。
嫌で苦しいことを明確にしていくと必ず
その状態からどうなりたいか?に進んでいきます。
しかし、自分の嫌で苦しいことを明確にしようとしない
それに浸っていて出ようとしない状態だと、
永遠に「私はどうしたいか?」という出口が見えてこないのです。
一昨日、久しぶりに長電話で東京の中山さんと宮城さんとミーティングをしました、
電話で禅カウンセリングしていく中で
2人共「私はどうしたいか?」を意識しているな~
とつくづく感じました。
「私はどうしたいか?」に視点を当てていくと
内側からパワフルな自分の答えが見えてくる
相手が自分の答えにたどり着きそれを表現しているその瞬間って
もの凄いパワーですよね
と深く感じている言葉にも感動しました。
出会った頃に、形には見えない人のパワーを
凄いね~と深く感じて話すシーンはあまりなかったように思います。
15年のコンパスでの経験を経て
相手の方が正しいではなく
心から相手のパワーが凄い!
とシンプルに感動できている状況に対して
「尊敬と愛」という言葉が浮かんできて
それがとても大切で、美しく
その経験を感じれている貴重さに感謝しました。
今日の「黄色い人」マヤ暦メッセージの最後にも
そういえば、「尊敬と愛」という言葉が書いてあったのも
シンクロということなのでしょうね。
*マヤ暦メッセージ*
学ぶ姿勢を保つことが、自我を削ることに結びつきます。
「我(が)」を超える道は、どこまでも「愛と尊敬」を動機とした
言動、行動を貫くしかないのです。