青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





(いじめについて)
いじめを訴え自殺した生徒さんは大変まっすぐな、正義感の強い人柄であったようですね。
本来、健全に育ったモラルのある人間なら、友達を助けるという行動は極自然であったようにも感じます。

しかし特別「まっすぐで正義感の強い…」と思ってしまうのは、もうこういった人が日本人に少なくなってしまったからでしょうか?正義が殺されてしまう社会(学校)なら、一人きりでも森で生活した方がよっぽど大切な事を学べる気がしてしまいます。悪を正さないのなら教員はいても意味が無いですね。税金が勿体無いです。またいじめを行った方の人間は、14年間誰からも人としてのモラルを、人の痛みを知ることが無く育って来たのでしょうか?もしそうならある意味社会の犠牲者と言わざるを得ないかもしれません。
 
最近では学校の不祥事や、中でも教師による犯罪行為など、本当に頻繁に耳に入って来るようになりました。
ですので教育の問題になると、子供の親やマスコミはちくいち学校や教員を引き合いに出して非難します。
でも悪いのは学校だけですか?社会の一番小さな単位は家族です。
メディアで他人事のように学校を非難している生徒の親を見ていると、他人と学校生活を始める前に、貴方のお子さんは人の痛みをちゃんと知っていますか?
そう聞きたいです。



つかみ合いの喧嘩をしたことありますか?人に殴られたことは?

お母さんと一緒に友達の家に謝りに行ったことは?言葉で誰かを泣かしたことは?
小さくてまだ非力な内に学ばなくてはいけない事は沢山あります。
今社会はお店に行かなくても買い物ができたり、顔は出さずとも世界中の人達と意見を交換する事が出来るようになりました。便利なのはとても良い事です。
しかしその反面、人と人同士の関係も希薄になり、一人一人が他人との間にラインをひいて、自分勝手に生きています。何か問題が生じると、ラインの内側からまるで自分には一切関係の無い事の様に非難します。
現代の子供達はそのラインの中で育てられているように感じてなりません。
 


関係があるのに関係無いふりをして、関係無いのに非難だけはして世の中を惑わしたり。
私は今のこの図式を最大限に利用(悪用)しているのはマスメディアだと思います。
社会とは本来、弱い立場の人も安心して生活出来る様にうまい仕組みになっている筈、いわゆる助け合いの世の中の筈です。しかし今は安全な社会というのは当たり前になっていて、そのくせ個々のつながりは疎遠、みんなで支えあわなければ成立しない構造なのにそれを怠って求めるものは当然のことのように求めます。
そして疎遠な人達の集団ですから、みんなに非難されないようどこか個人個人が緊張した状態ではないでしょうか?
そこにメディアがつけこんで社会的批判を呼ぶような内容の記事を書きます。緊張でストレスのたまった社会は何かを批判する事によって自分の立場が正当であることを自己主張します。これは情報が正しければ、また社会全体で非難するような規模の内容なら、ある意味世論として、また戒めとしての効果もあるでしょう。
でももし情報が間違っていたら?世論は批判に盛り上がって情報の正当性を見失う可能性もあります。そして世論は世論です。結局はガス抜きの為の非難で根本的な解決にはなりません。社会を動かすのはマスコミ次第、みんな目をつけられないように正義を曲げてはいませんか?
そしてこうやって見ると子供社会の「いじめ」によく似ていませんか?



①「未成年者に対する報道、情報の規制、取り締まりの強化
上述のようにマスコミの行きすぎた報道や、未成年には好ましくない内容のもの等

今は簡単に見る事ができますね。報道も殺人事件の詳細や再現ビデオ等、未成年者の好奇心をあおる様な表現は慎むべきです。また報道に関する法律も見直すべきだと考えます。
将来は警官になりたい、消防士さんになりたい、そんな子供はまだいますか?スポーツ選手が人気あるのかな?
警察官の犯罪行為も珍しく無くなって来て本当の事だけど、大人になる前に将来の夢に失望して欲しく無いです。

 



②「道徳の授業

道徳の授業って今でもまだあるのでしょうか?私が小学生だった時は週1、1時間のペースで道徳という授業がありました。何のことはない中学生日記のような道徳時間用に作られた学園ドラマを見て、感想文を書かされたり。クラスの事について会議したり。なんか、あっても無くても変わらない様な時間でしたが。
中学生になったら道徳の時間は無かった気がします。私の話はさておき…
学校以外の場(例えば家庭とか)でモラルの勉強ができないなら学校でやるべきです。徹底的に。
集団生活をする上でマナーやルールを守れない人が多すぎです
また今日、教育において順位等をつける事が悪い事の様に思われているようですが私はそうは思いません。
現実を把握するのに一番わかりやすい形です。現実を直視して問題を解決する事は辛くて非常に忍耐力のいる作業ですが、誰でも必ず乗り越えなければならない事の一つです。辛い作業だからこそ若くてパワーがある時にやっておかなくてはならない気がします。
ただいつか、勉強や順位、マニュアルだけが人間の価値を決めるわけではないという事もどこかで知っておくことが必要ですね。教科書や先生の言ってる事はザラで子供の時はわからなかったけど大人になってみると本当に大事な事ばかりだということにきずかされます。
先程、家庭でモラルの勉強が出来ないなら…と書きましたが、許されない事です。変わらなくてはなりませんね。何故なら上述しましたように社会の一番小さい単位だからです。これが出来ていなければ「誰でも必ず乗り越えなければならない事」は受け入れてもらえないでしょう。
「順位や勉強だけが人の価値では無い」という事も理解できないのでは?
順位や勉強はプレッシャーになってやがてストレスになり「いじめ」につながる気がします。
総じて、今現在の形を生み出した原因は…
親世代のモラルの低下(子供に対する家庭内での教育不足)←人同士のつながりの希薄化←情報化社会。
と考えます。日本が今日の様な情報が発達した社会を目標にしていた頃、
いじめや自殺の問題がこんなにも深刻化するとは思ってもみなかったでしょうね。





 「エコロジー」(心の教育)
私が小学生の頃、一般科目の教科書以外に「私たちの鎌倉」「鎌倉の自然」という本
が生徒一人一人に配られました(私は鎌倉市民です)。内容は鎌倉市の産業や自然、地質、動植物などについてです。
実は私、この本を捨てずにまだ持っているんです!私が述べたい内容とかぶる部分を見つけましたので一部ですが本の主旨をご紹介します。

「私たちが毎日何となく眺めている自然。例えば道端の草花は見過ごされがちですが、注意して見ると今まで気がつかなかった事が色々とわかってきます。「この草達は確かに生きているんだ」という生命の微妙な変化も感じられて来るでしょう。
切通しや造成地等の山はだを良く見ると、構成しているものの違い、地層の変化、断層、化石を含む等、色々と違った状態を私達に見せてくれ、過去の成り立ちを語りかけてくれます。
自然を勉強する時は観察するところから学習が進んで行きます
観察を通して自然と関わりを持ちながら段々と理解を深めて行く事が大切です。この活動から、生命の尊さを実感したり、自然を深く洞察する力、科学的に考える力が身についたり自然を愛護する態度がうまれたりしてくるものです。(一部抜粋)」
 
そしてこの本は、「いつ、どこで、どんなものが観測できるかを知ることが出来ればより深く理解でき、学習するのに役立つ」としていて、まずは観察しましょう。と言っています。そして段々と広い範囲に目を向けましょう。とも。
どうでしょうか?自然の事を書いていたら細々と書くのがばからしくなってきちゃいました(笑)すみません。

 
 

「日本の文化」(教育と経済の関係)
子供はやがて大人になります。その国の将来を支えて行く訳ですから、
きちんと教育をうけて将来は少なくともまっとうな考え方の出来る人になってもらわないと困る訳です。
そう考えると教育って本当に大事ですよねえ、しみじみ…
日本の文化についてもっと教育の場で教えられる事は無いのでしょうか?変なナショナリズムをあおるような意味では無く、スポーツ選手でも何でもいいと思います。自分と同じ国の人がこうゆうところで生れて大人になったらこんなところで活躍しているよって感じの簡単な内容で良いと思うのですが。成長過程において教科書の内容があっているか間違っている(はずはないと信じたいですが)かもわからない頃、目に見える形(結果)って必要だと思います。そして日本人としての誇りも、また将来に対する希望も生れるのではないでしょうか?
もう1点、欧米化という言葉がありますね。



何故そんなに欧米?

日本人は昔から大陸から入って来る文化を受け入れ、自分たちの文化とうまく融合させてきた柔軟性に長けた民族です。
このことから欧米化と日本の文化は切って考える事の出来ない表裏一体の関係と言うことができるでしょう。欧米化するには異文化に柔軟な日本文化あってこそだし、日本でなければ欧米化は難しいということです。若いひと、もっと日本の文化にも注目してほしいなあ。日本人は本当にすぐれた文化をもった民族なんですよー
 

一方海外で日本の古い生活用品が評価されている事をご存じですか?
皮肉にも海外でです。日本人は異文化だけでなく環境や自然など、自分を取り巻く環境全てに柔軟性、調和性を発揮していた様です。評価されているポイントは修理可能で長く使えて丈夫。まだ使えるものは活かして決して無駄にしない。自然を尊重することは人間の精神や健康にもいいのだそうです
またそこにはその分野の職人が必ずいてメンテナンスを行います(修理とか)。需要供給のバランスがとれている訳です。人や物、自然に感謝しながら人と人との間にラインを引かず、バランスがとれた社会。良いですねえ日本人の正確性と緻密さ、それに取り組む真面目さは世界のいたる分野で評価が高く、その証拠に世界の先端技術が求められる場で、意外にも日本人が多く活躍している事も事実です。
日本人はいつもマイナス面ばかりを取り上げて気にしてばかりいますね。これも柔軟性(調和性)ゆえでしょうか??

 

 
以上長くなってしまったのでこのこのくらいにしておきます。
 
私は社会の犠牲になった14歳少年が、生きていてくれたなら話をしてみたい気がしました。
人を思いやる心や優しさが、本当は何よりも強くてありとあらゆる事象の根源だという事を一緒に話してみたい気がしました。ご冥福をお祈りいたします。






川崎市多摩区の南菅中学3年の男子生徒が、友人をいじめから救えなかった事や人に対する思いやり、それにいじめをした4人に対しての復讐を遺書に残し自殺した彼の死は何だったのだろうか。
このまま彼の社会に告発した意義を今大きな問題になっている学校内暴力やいじめそして自殺が多発している現在、国は真剣にこの問題を考えているのだろうか。私は今でも疑問を感じる。毎年10代の自殺が600人前後起きている現実それも毎年子供の少子化が進む中、なんとかしようという気運が今の政治家の皆さんが果たしてあるのかどうか。
それに何かあると子供は国の宝だと多くの政治家は口に出すが、今の子どもの混乱した社会の見れば、この国は子供を大切にしない国だなと、国民の多くはきっと思っているに違いない。今一番大事なのは国の未来を作る子供たちではないだろうか。
まして援助交際・出会い系サイト・合法ドラッグ・覚醒剤・大麻・出会い系風俗・デリヘル・児童ポルノなどが急増。それもますます低年齢化している現実をしっているのかどうか考えたことがあるんだろうか。子供を持つ親御さんの9割以上が子供の携帯電話による犯罪を一番心配している。それも性被害を受ける年齢層が小学生までに波及している。こんな日本で良いんですかと政治家の皆さんに問いたい。




今回、川崎市多摩区の南菅中学3年の男子生徒は自殺した時の遺書のはじめにお父さん、お母さん、お兄さん、婆さん、先立つことをどうか許して下さい。俺は、「困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする」それだけを目標に生きてきました。と書いてある。
これだけの気持ちを持っている子供を含めて大人も政治家も果たしてどの位いるだろうか。昔の日本人は私の知ってる限りたくさんいたはずだ。今は自分さえ良ければいいという無関心な人間が多すぎはしないか。それも彼は友人をいじめから救おうとして行動した生徒だ。
私も20数年子供のいじめ自殺を主にやって来たが今回のケースは初めて。それに彼の家族の親子関係は良く何も問題はない、理想的な家庭。良く亡くなった正義感の強い思いやりのある子供に育て上げたなと頭が下がります。それだけに今回の生徒の自殺には正直な話、残念でしかたがない。私はすべての人に言いたいのは、子供にとって何が一番大事かと言うと家庭教育であると思っている。それに準じて国の舵取りをしている政治家の皆さんももっと国にプライドを持って命を賭け世界に誇れる日本国を作って貰いたいものだ。



狂犬病で人が死ねば、まわりの犬は皆殺し! 
 

 

写真左は撲殺される犬、右は穴に放り込まれる犬/新唐人動画ニュースより

新唐人10/26-雲南爆發狂犬病6人死亡

http://www.ntdtv.com/xtr/b5/2008/10/26/a214004.html#video

 

2008/7、雲南省弥勒県で亡くなった張貴友氏(46)が狂犬病と判明したため、半径5kmの犬を全て撲殺することとなった。下記の記事では捕殺とされているが、処理方法は写真左のように撲殺である。人の命と犬の命のどちらが重いのかと弥勒県畜牧局の李某主任は言う。

 

亡くなった張氏は自分の犬に咬まれたのだが、二日前に狂犬病の予防注射を接種させたばかりであり、気にしていなかった。そのためもあってか、狂犬病のワクチンを接種した犬も含めて撲殺されることとなった。その数なんと11505匹、犬をかくまうと450900元の罰金が科せられた。

 

哀れな犬たちは棒で叩かれ、写真右のように穴に放り込まれる。

 



予防注射をしているにも関わらず狂犬病が感染した理由は、恐らくニセ薬か水で薄めたワクチンなのであろう。つまり、弥勒県の狂犬病は間違いなく人災である。獣医かワクチン業者が金儲けの為にインチキ薬を使い、1万匹以上の犬たちが撲殺されることとなったのだ。

 

狂犬病は発症すれば、ほぼ100%の確立で死ぬ恐ろしい病気である。そうした恐ろしい病気であることを知っていながら、インチキ薬を使う人間の卑しさを殺された犬たちは知る由もない。

 



命よりも金が優先する中国社会には「動物愛護」と言う言葉すらない。これは何も動物に限ったことではない。メラミンを考えれば、人間にも十分に当てはまることである。

 

IZA10/25-狂犬病相次ぎ、犬1万匹捕殺 中国雲南省】

 25日付の中国紙、新京報によると、中国雲南省弥勒(みろく)県で狂犬病による死者が相次ぎ、当局がこのほど、県内の犬と猫をすべて捕らえて殺すよう指示を出した。県内では9万匹以上の犬が飼われているが、既に1万1500匹が殺されたという。

 

 弥勒県で最初に狂犬病の死者が出たのは今年7月で、これまでに6人が死亡。県内の犬約8万4000匹は免疫の注射を打っており、住民からは「犬がいなければ防犯に困る」と不満も出ているが、県当局者は「ウイルスが(免疫効果のないタイプに)変異する可能性もあり、動物防疫法に基づき一律に捕殺する」と説明している。(共同)




あなたの家のペットがいたなら、それは決して偶然ではない