国際政治はUNHCRの人道行動にどの程度まで影響を与えるだろうか? メルリ・スミスが、難民保護への政治の影響について語る。話は人間倉庫状態から「自発的な本国帰還」にまで及び、力を結集して保護にあたり、政治問題と人道問題のバランスを保つべきだと提唱する。
メリル・スミスは米国難民移民委員会の政府関係・国際支援の理事で、World Refugee Surveyの編集者でもある。
難民の地位に関する1951年条約も国際法学者もほとんどの国家も一貫して、難民保護を政治的努力というより、むしろ人道行動と定義している。他の人権の中で難民の権利特有の長所は、独立国家の内政に比較的明瞭な敬意を払っている点で、ウェストファリア条約から国連憲章に至る国際規律の基盤になっている。たとえば受け入れ国での選挙の投票権は、1951年条約の保護に関する権利規定の中には入っていないが、これは当然のことである。難民保護は本来一時的なもので、受け入れ国は難民保護という理由だけでその政治形態を自ら変えたりしない。1951年条約は、国に新たな権利を創設したり導入したりするものではない。条約は受け入れ国に、他の者にすでに与えている権利を難民にも与えるように頼んでいるだけだ―せいぜい国民と同様に難民を扱うよう頼むだけで、市民を越えて難民を優遇してほしいと言っているわけではない。難民保護は国家の枠を超えた責任の共有という暗黙の意味合いがあるが、それは受け入れ国が最低限ではあってもきわめて重要な水準を維持するように、皆で助けようという意味である。難民に帰化という永続的解決策を与えることは政治的な選択の一つだろうが、一時的な地域融和を条約が要求しているわけではない。
難民保護はまた出身国に対する敵対行為と解釈されてはならない。人道的、非政治的な難民保護は本来、「架空の線」としばしば揶揄される国境線を難民が明白に超えたことから始まる。国境の位置は、歴史的には全く根拠なく決められたもので、正当性より力によって決められたものが多い。しかし、ある国とその周辺国の間に実際にはほとんど差がない場所に国境線を置いたとしても、ひとたび線が引かれれば、国家が絶大な力で区別を主張する線になる。当然、他国の亡命者をかくまえば、国民はさして迷惑と思っていなくても、自国民を保護することができなくなる可能性もないことはない。しかしながら、難民保護には鎮痛剤としての人道的な役割があり、難民出身国がいくぶん誇りを傷つけられることはあるとしても、出身国の安全が脅かされるのを防ぐことができる。
難民を大きなキャンプに放り込むいわゆる「人間倉庫」は難民の権利を犯すだけでなく、難民受け入れ国の主権を侵害し、しばしば受け入れ国、出身国、それらの近隣諸国の間の平和と安全を脅す。「人間倉庫」は一般的に領有地のかなりの部分を他者の管理に委ねることになる。それは、食糧配給だけではなく、難民の地位認定や基本的な法の執行など統治の重要側面の実施にも及ぶ。「伝統」とか「慣習」と呼ばれている自由裁量による司法制度は、しばしば保守的、独断的で、実は国際法どころか受け入れ国の法律にも出身国の法律にも見あたらない基準が適用されている。
「人間倉庫」は実は、逆徒が自由に入り込めるところでもある。彼らは難民キャンプを作戦基地や資金源に利用したり、難民保護の人道的特性を侵害したり――その手口は、難民に非公式の税を課し、援助や設備を戦闘員の休息とレクリエーションに流用する――はたまた捕われた人々の統治者になりすまして閉鎖的なサンドボックス統治を行ったりする。しかし、国際的な資金提供者と違って、こうした逆徒はおおむね難民を操る雑魚でしかない。アメリカ合衆国は最悪の記録を保持している国の一つである。パキスタンのキャンプでアフガニスタンのムジャヒディンを意図的に武装させたのが明白な一例で、惨憺たる結果をもたらした。受け入れ国も、人間倉庫状態の難民と共に自国民である少数民族まで犠牲にして、周辺国との緩衝地帯として利用する。
UNHCRは、世界の資金提供国が差し出すものと受入れ国が許可するものが一致する支援しかできない。世界難民調査を作成するに当たっては、実情報告と共に視覚的にも興味を引くように、難民の状況がわかる写真を載せたい。高品質な写真の入手先はUNHCRで、正しい著作権者を明記すれば、ベストの価格、すなわち無料で手に入れることができる。しかし、奇妙なことに、それらの写真の中には難民の本国帰還を描写するものが非常に多く、難民は本国帰国するのが当たり前で、もはや難民は残っていないのではないかという印象を与えかねない。もちろん、難民の本国帰還は資金提供国と受け入れ国の最大の願いなので、UNHCRはそのために援助していることを宣伝する。つまり難民が難民でなくなるのを手伝っているのであって、保護ではないという宣伝だ。(ジェームズ・ハサウェイの魅力的な議論を参照してもらいたい。難民産業がいかにして「自発的な本国帰還」という表現を造り出し、それを「永続的な解決」と銘打ったかが語られている。しかし1951年条約にはどちらのフレーズも使われていない。難民の母国における再建-きわめて高い水準であるが―は、難民の地位の停止のきっかけとなると言っているだけである)。大多数の難民が亡命時間の大部分をどのように費やしているかを描写する写真――もがき苦しみ、あるいは、権利を奪われた環境で無為に待っている――は、国家にとっても善意の人道主義者にとっても、憂鬱過ぎると考えられたのだろう。
再定住は、政治主導で行われているとして悪名が高い。アメリカ合衆国がその最たる例だ。アメリカは盟国から迫害を受けた難民より、共産主義国の迫害から逃れた難民に対して、明らかに偏愛を示したのは歴史が証明している。優先事項にすべき家族の再統合でさえ、人道的というよりは政治的な判断で行われているのはほぼ間違いない。レーニンは、政治とは「誰が-誰に」(「正しいか-間違っているか」ではなく)の問題だとして正義から切り離したことで有名だ。地域社会の身びいきも、明白な政治的偏りと同様、人道的な原則からはずれる。にもかかわらず、すでに再定住している難民は、親類縁者の再定住に政治的な力を発揮する。もっと再定住が必要な人を押しのけて。
どうしたら難民保護から政治を締め出すことができるだろうか? 政治的野心のある国や人々がいる限り、おそらく完全に締め出すことはできないだろう。人間には私利私欲がある。それは当たり前だ。人間の本性に戦いを挑めば負けるに決まっている。お涙ちょうだいとばかり声を張り上げても無理だ。より良い行動は、少しでも人道的な成果を得るために、利己的政治支持層と他者のバランスを上手にとることかもしれない。この良い例は、マレーシア労働組合会議がマレーシアのアチェ特別州からのインドネシア難民に一定の労働許可を与えることについて、どのようにして討論に入ったかに見ることができる。財界の指導者は、仕事を変える権利を持たない専属労働者を望んだ。労働活動家は、これを労働基準とマレーシアの労働者の交渉力への脅威ととらえた。しかしマレーシア労働組合会議(MTUC)は、外国人嫌いの申し入れを取る代わりに、難民の働く権利――雇い主がスポンサーになる制約なしで――を支持し、30,000人の難民が選択の自由と法的保護を受けながら働く権利を獲得するのを助けた。
国際的な規模では、資金提供者に対して、支援をもっとバランスのとれた取り組みに振り向ければ、より効果的な難民保護が可能になると説得できるのではないだろうか。難民受け入れ国に対しては、支援金を人任せにするのではなく、支援金を使って難民だけではなく自国民にも教育や健康や他のサービスを提供できると説得できるのではないだろうか。資金提供者と難民受け入れ国がこういうやり方をよしとするなら、「難民倉庫」といわれる大規模キャンプに代わるものとして、実社会への難民受け入れを進めることができる。最良の形での再定住が西側だけでなく、もっと近くで、おそらくもっと低コストで実現できるだろう。
メリル・スミスは米国難民移民委員会の政府関係・国際支援の理事で、World Refugee Surveyの編集者でもある。
難民の地位に関する1951年条約も国際法学者もほとんどの国家も一貫して、難民保護を政治的努力というより、むしろ人道行動と定義している。他の人権の中で難民の権利特有の長所は、独立国家の内政に比較的明瞭な敬意を払っている点で、ウェストファリア条約から国連憲章に至る国際規律の基盤になっている。たとえば受け入れ国での選挙の投票権は、1951年条約の保護に関する権利規定の中には入っていないが、これは当然のことである。難民保護は本来一時的なもので、受け入れ国は難民保護という理由だけでその政治形態を自ら変えたりしない。1951年条約は、国に新たな権利を創設したり導入したりするものではない。条約は受け入れ国に、他の者にすでに与えている権利を難民にも与えるように頼んでいるだけだ―せいぜい国民と同様に難民を扱うよう頼むだけで、市民を越えて難民を優遇してほしいと言っているわけではない。難民保護は国家の枠を超えた責任の共有という暗黙の意味合いがあるが、それは受け入れ国が最低限ではあってもきわめて重要な水準を維持するように、皆で助けようという意味である。難民に帰化という永続的解決策を与えることは政治的な選択の一つだろうが、一時的な地域融和を条約が要求しているわけではない。
難民保護はまた出身国に対する敵対行為と解釈されてはならない。人道的、非政治的な難民保護は本来、「架空の線」としばしば揶揄される国境線を難民が明白に超えたことから始まる。国境の位置は、歴史的には全く根拠なく決められたもので、正当性より力によって決められたものが多い。しかし、ある国とその周辺国の間に実際にはほとんど差がない場所に国境線を置いたとしても、ひとたび線が引かれれば、国家が絶大な力で区別を主張する線になる。当然、他国の亡命者をかくまえば、国民はさして迷惑と思っていなくても、自国民を保護することができなくなる可能性もないことはない。しかしながら、難民保護には鎮痛剤としての人道的な役割があり、難民出身国がいくぶん誇りを傷つけられることはあるとしても、出身国の安全が脅かされるのを防ぐことができる。
難民を大きなキャンプに放り込むいわゆる「人間倉庫」は難民の権利を犯すだけでなく、難民受け入れ国の主権を侵害し、しばしば受け入れ国、出身国、それらの近隣諸国の間の平和と安全を脅す。「人間倉庫」は一般的に領有地のかなりの部分を他者の管理に委ねることになる。それは、食糧配給だけではなく、難民の地位認定や基本的な法の執行など統治の重要側面の実施にも及ぶ。「伝統」とか「慣習」と呼ばれている自由裁量による司法制度は、しばしば保守的、独断的で、実は国際法どころか受け入れ国の法律にも出身国の法律にも見あたらない基準が適用されている。
「人間倉庫」は実は、逆徒が自由に入り込めるところでもある。彼らは難民キャンプを作戦基地や資金源に利用したり、難民保護の人道的特性を侵害したり――その手口は、難民に非公式の税を課し、援助や設備を戦闘員の休息とレクリエーションに流用する――はたまた捕われた人々の統治者になりすまして閉鎖的なサンドボックス統治を行ったりする。しかし、国際的な資金提供者と違って、こうした逆徒はおおむね難民を操る雑魚でしかない。アメリカ合衆国は最悪の記録を保持している国の一つである。パキスタンのキャンプでアフガニスタンのムジャヒディンを意図的に武装させたのが明白な一例で、惨憺たる結果をもたらした。受け入れ国も、人間倉庫状態の難民と共に自国民である少数民族まで犠牲にして、周辺国との緩衝地帯として利用する。
UNHCRは、世界の資金提供国が差し出すものと受入れ国が許可するものが一致する支援しかできない。世界難民調査を作成するに当たっては、実情報告と共に視覚的にも興味を引くように、難民の状況がわかる写真を載せたい。高品質な写真の入手先はUNHCRで、正しい著作権者を明記すれば、ベストの価格、すなわち無料で手に入れることができる。しかし、奇妙なことに、それらの写真の中には難民の本国帰還を描写するものが非常に多く、難民は本国帰国するのが当たり前で、もはや難民は残っていないのではないかという印象を与えかねない。もちろん、難民の本国帰還は資金提供国と受け入れ国の最大の願いなので、UNHCRはそのために援助していることを宣伝する。つまり難民が難民でなくなるのを手伝っているのであって、保護ではないという宣伝だ。(ジェームズ・ハサウェイの魅力的な議論を参照してもらいたい。難民産業がいかにして「自発的な本国帰還」という表現を造り出し、それを「永続的な解決」と銘打ったかが語られている。しかし1951年条約にはどちらのフレーズも使われていない。難民の母国における再建-きわめて高い水準であるが―は、難民の地位の停止のきっかけとなると言っているだけである)。大多数の難民が亡命時間の大部分をどのように費やしているかを描写する写真――もがき苦しみ、あるいは、権利を奪われた環境で無為に待っている――は、国家にとっても善意の人道主義者にとっても、憂鬱過ぎると考えられたのだろう。
再定住は、政治主導で行われているとして悪名が高い。アメリカ合衆国がその最たる例だ。アメリカは盟国から迫害を受けた難民より、共産主義国の迫害から逃れた難民に対して、明らかに偏愛を示したのは歴史が証明している。優先事項にすべき家族の再統合でさえ、人道的というよりは政治的な判断で行われているのはほぼ間違いない。レーニンは、政治とは「誰が-誰に」(「正しいか-間違っているか」ではなく)の問題だとして正義から切り離したことで有名だ。地域社会の身びいきも、明白な政治的偏りと同様、人道的な原則からはずれる。にもかかわらず、すでに再定住している難民は、親類縁者の再定住に政治的な力を発揮する。もっと再定住が必要な人を押しのけて。
どうしたら難民保護から政治を締め出すことができるだろうか? 政治的野心のある国や人々がいる限り、おそらく完全に締め出すことはできないだろう。人間には私利私欲がある。それは当たり前だ。人間の本性に戦いを挑めば負けるに決まっている。お涙ちょうだいとばかり声を張り上げても無理だ。より良い行動は、少しでも人道的な成果を得るために、利己的政治支持層と他者のバランスを上手にとることかもしれない。この良い例は、マレーシア労働組合会議がマレーシアのアチェ特別州からのインドネシア難民に一定の労働許可を与えることについて、どのようにして討論に入ったかに見ることができる。財界の指導者は、仕事を変える権利を持たない専属労働者を望んだ。労働活動家は、これを労働基準とマレーシアの労働者の交渉力への脅威ととらえた。しかしマレーシア労働組合会議(MTUC)は、外国人嫌いの申し入れを取る代わりに、難民の働く権利――雇い主がスポンサーになる制約なしで――を支持し、30,000人の難民が選択の自由と法的保護を受けながら働く権利を獲得するのを助けた。
国際的な規模では、資金提供者に対して、支援をもっとバランスのとれた取り組みに振り向ければ、より効果的な難民保護が可能になると説得できるのではないだろうか。難民受け入れ国に対しては、支援金を人任せにするのではなく、支援金を使って難民だけではなく自国民にも教育や健康や他のサービスを提供できると説得できるのではないだろうか。資金提供者と難民受け入れ国がこういうやり方をよしとするなら、「難民倉庫」といわれる大規模キャンプに代わるものとして、実社会への難民受け入れを進めることができる。最良の形での再定住が西側だけでなく、もっと近くで、おそらくもっと低コストで実現できるだろう。
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