カクマの難民の中には、キャンプの認可当局からの目に見えない妨害が続き、移動の権利が侵害されていると感じている者がいる。地域住民と違って、カクマからケニアの他の場所に合法的に移動しようとする難民は、移動申請書を提出しなければならない。その際、移動の目的の他にも、諸々の情報を記入する。そういう情報を集めるのは、難民には計り知れない多くの理由があるのだろうが、これにより、時には移動が許されないこともある。
旅行をしようとする難民は必ず、移動申請書に、UNHCRのデータベースに入っている正確な個人情報を写し取り、記入しなければならない。
移動申請書は、UNHCRのプロテクション・ユニットから夫々のコミュニティーリーダーを通して入手でき、無料であると明記されているが、難民市場では売られている。
申請書を書き込んだら、申請者は難民局職員に届ける。職員はその後、難民局に提出された全ての申請書を確認し、検証と移動許可証発行手続きのためUNHCRに届ける。
UNHCRから移動許可証が発行されるまでには、長い時間がかかる。
用事があって旅行を望む難民は、移動許可証が無いので途中で足止めされる。しかし、多くの難民は、ナイロビまでならUNHCRの許可証がなくても出かけてしまう。そして、ほとんどは、なんとかやりくりしながら、ナイロビや他の都市までもたどり着くことができる。
カネレの特派員がUNHCRに状況を問い合わせると、彼らは警戒し、公の立場で情報を得ることを拒否された。
難民の中には、配給カードを持っていない、あるいはカクマでの難民認定が却下されたままになっていてUNHCRからの給カードが無効になっているなどの理由で、移動が許されない者もいる。そうなるとキャンプのNGOは、難民や庇護希望者から移動の支援を求められても、何もできない。支援を求めてくる難民や庇護希望者は、長い間キャンプで生活している者が大多数なのだが。
緊急事態で友人や親戚から連絡を受けている人々にとっては、申請から許可までの時間が問題になる。カネレは多くの難民にインタビューをし、ケニアにおける移動の制約についての不満や懸念を聞いた。「私は、米国から来た兄からナイロビで会おうと連絡を受けた。彼は結婚するためウガンダに行くので、滞在期間は数日しかなかった。結局、会えなかった。私達は長い間離れ離れになっていて、やっと会えると思ったのに。申請書のせいだ。私は許可証が出るのをどんな思いで待っていたか!」 ジョンはカネレ特派員にこう言った。
許可までの時間は、最近短縮されてきたが、外国の親戚を訪ねようとする人々にとっては、障害が残っている。「私はタンザニアにいる親類を訪ねたいといつも思っているが、ケニアの法律では許されないと聞いている。ケニアの法律が出国に関してどのようになっているのか知りたい。私は、カクマに来て10年になるが、その間、家族にも親類にも一切会えないでいる」と サイモンは言う。移動申請書は確かにある種の問題の解決策にはなっているが、最大の障害にもなっている。難民は、最低限、周辺国に住む親類を訪ねることは許されるべきだと思う。
カネレ特派員は、DRA(難民局)の移民担当職員に話を聞こうと試みた。2009年6月10日、職員には会えなかったが、局のスタッフが匿名希望の上で応じてくれた。DRAはすべての難民に対して自由に解放されており、難民のために困難な仕事をしている。「DRAで私たちは最善を尽くしている。できる範囲で迅速に対応している。難民は私たちの事務所をいつでも利用できる。私たちは、その他の気になる問題もUNHCRに持ち上げている。難民たちが言うように、時間はかかっているが、以前よりは改善されている」
結論として、難民からの情報によると、難民のキャンプ外への移動は制限されており、UNHCR発行の移動許可証や地元政府当局の承認なしに移動する場合は、自分達のリスクで移動している。難民は、キャンプに閉じ込められており、その状態は、保管倉庫よりも悪い。
キャンプは人間が生きていく上で、特に、何十年の間、毎日、同じような不当な状況に置かれてきた人々にとっては、住みよい場所ではない。難民は、国際社会に変革を求めている。難民問題を皆が話しているということは、国際社会の問題に他ならないのだから。
キャンプをより住みやすくし、難民というレッテルを外してより民主的に開かれた社会にするには、多くの変革が必要だ。レッテルや配給カードや多くのしがらみから解放された普通の人間として生きていくべきだ。何故なら、難民も、この地上の他の人々と同じ人間なのだから。難民は現実に生きている人々であり、彼等の人権の確立は重要な責務だ。
旅行をしようとする難民は必ず、移動申請書に、UNHCRのデータベースに入っている正確な個人情報を写し取り、記入しなければならない。
移動申請書は、UNHCRのプロテクション・ユニットから夫々のコミュニティーリーダーを通して入手でき、無料であると明記されているが、難民市場では売られている。
申請書を書き込んだら、申請者は難民局職員に届ける。職員はその後、難民局に提出された全ての申請書を確認し、検証と移動許可証発行手続きのためUNHCRに届ける。
UNHCRから移動許可証が発行されるまでには、長い時間がかかる。
用事があって旅行を望む難民は、移動許可証が無いので途中で足止めされる。しかし、多くの難民は、ナイロビまでならUNHCRの許可証がなくても出かけてしまう。そして、ほとんどは、なんとかやりくりしながら、ナイロビや他の都市までもたどり着くことができる。
カネレの特派員がUNHCRに状況を問い合わせると、彼らは警戒し、公の立場で情報を得ることを拒否された。
難民の中には、配給カードを持っていない、あるいはカクマでの難民認定が却下されたままになっていてUNHCRからの給カードが無効になっているなどの理由で、移動が許されない者もいる。そうなるとキャンプのNGOは、難民や庇護希望者から移動の支援を求められても、何もできない。支援を求めてくる難民や庇護希望者は、長い間キャンプで生活している者が大多数なのだが。
緊急事態で友人や親戚から連絡を受けている人々にとっては、申請から許可までの時間が問題になる。カネレは多くの難民にインタビューをし、ケニアにおける移動の制約についての不満や懸念を聞いた。「私は、米国から来た兄からナイロビで会おうと連絡を受けた。彼は結婚するためウガンダに行くので、滞在期間は数日しかなかった。結局、会えなかった。私達は長い間離れ離れになっていて、やっと会えると思ったのに。申請書のせいだ。私は許可証が出るのをどんな思いで待っていたか!」 ジョンはカネレ特派員にこう言った。
許可までの時間は、最近短縮されてきたが、外国の親戚を訪ねようとする人々にとっては、障害が残っている。「私はタンザニアにいる親類を訪ねたいといつも思っているが、ケニアの法律では許されないと聞いている。ケニアの法律が出国に関してどのようになっているのか知りたい。私は、カクマに来て10年になるが、その間、家族にも親類にも一切会えないでいる」と サイモンは言う。移動申請書は確かにある種の問題の解決策にはなっているが、最大の障害にもなっている。難民は、最低限、周辺国に住む親類を訪ねることは許されるべきだと思う。
カネレ特派員は、DRA(難民局)の移民担当職員に話を聞こうと試みた。2009年6月10日、職員には会えなかったが、局のスタッフが匿名希望の上で応じてくれた。DRAはすべての難民に対して自由に解放されており、難民のために困難な仕事をしている。「DRAで私たちは最善を尽くしている。できる範囲で迅速に対応している。難民は私たちの事務所をいつでも利用できる。私たちは、その他の気になる問題もUNHCRに持ち上げている。難民たちが言うように、時間はかかっているが、以前よりは改善されている」
結論として、難民からの情報によると、難民のキャンプ外への移動は制限されており、UNHCR発行の移動許可証や地元政府当局の承認なしに移動する場合は、自分達のリスクで移動している。難民は、キャンプに閉じ込められており、その状態は、保管倉庫よりも悪い。
キャンプは人間が生きていく上で、特に、何十年の間、毎日、同じような不当な状況に置かれてきた人々にとっては、住みよい場所ではない。難民は、国際社会に変革を求めている。難民問題を皆が話しているということは、国際社会の問題に他ならないのだから。
キャンプをより住みやすくし、難民というレッテルを外してより民主的に開かれた社会にするには、多くの変革が必要だ。レッテルや配給カードや多くのしがらみから解放された普通の人間として生きていくべきだ。何故なら、難民も、この地上の他の人々と同じ人間なのだから。難民は現実に生きている人々であり、彼等の人権の確立は重要な責務だ。
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