16 2009年3-4月号 我々の図書館を守れ!
【写真】エチオピア・コミュニティーにあるカクマ難民キャンプ図書館
難民達は、図書館の保護に取り組むよう訴えている。カクマ・キャンプにある唯一の図書館が崩壊し、図書館員が仕事を失う怖れがあるのだ。
建物も棚もなく、明かりもなければ図書館員もいない図書館など、想像できるだろうか。しかし、これがまさしく、この地域で唯一の図書館の近い未来像ではないかと、カクマ住民は心配している。
多くの致命的な破損と予算削減が、図書館の未来を脅かしている。図書館員のアドマス氏によると、ドアの木製の枠、窓、本棚がシロアリに食われていると言う。壁や床のひび割れも修理されていない。図書館は、照明なしで運営されている。予算がなく、寿命のつきた太陽電池が交換されていなのだ。
そして今、図書館は図書館員なしで運営されようとしている。10年間にわたり図書館は二人の図書館員と一人の警備員で運営され、LWF(ルーテル世界連盟)が奨励金(インセンティブ)を支払ってきた。しかし2009年1月、LWFは図書館員への支払いをやめた。現在、奨励金が支払われているのは警備員1人だけだ。
アドマス氏も失業したが、ボランティアで図書館の運営を続けている。
〈創造力と知性の証し〉
アドマス氏によると、この図書館は1991年に、エチオピアとケニアの国境から125km離れたモヤレのウォールデン難民キャンプで創設された。最初の蔵書は難民自身が寄付したものだった。
1993年、ウォールデン・キャンプの難民達がカクマに移住する際、図書館も彼らと一緒に移動してきた。新しい図書館は木陰の図書館としてオープンした。その後1994年、LWFが材料と労働を支援し、図書館の建物が建設された。カクマの別のNGOであるドン・ボスコが本棚やベンチ、椅子を寄附した。本は個人やイギリスに本部のあるブック・エイド・インターナショナルから寄贈された。
しかし、LWFによって建てられた建物は、泥レンガ造りで、図書館にはそぐわなかった。図書館員は日本政府に建物の修理依頼を提出し、その計画は受け入れられた。
2000年、日本政府は、わかちあいプロジェクトと共にカクマ・キャンプを訪れた。彼らは、図書館にふさわしい建物を建てるために、150万ケニア・シリングを寄付した。新しい建物には太陽光発電による照明装置が備え付けられ、夜でも長時間、本を読むことができるようになった。(バッテリーの消耗が進み、今では照明装置は使えなくなっている)。
この日本人の代表者の一人であるノリアキ氏(訳者注:高村憲明氏)は、図書館建設中、重要な役割を果たした。その後彼は、カクマとロドワーの間を走る道路で悲劇的な事故に遭い、亡くなった。コミュニティーは彼の素晴らしい支援を今も忘れずにいる。
アドマス氏は現在の図書館の蔵書を、3万冊以上と見積もっている。英語やアラビア語、ソマリア語がそろっている。領域も純文学、百科事典、天文学、辞書、地図、メディアによるニュース、様々な専門図書など多岐にわたっており、その中には教科書や児童書なども含まれている。図書館にはKakuma News Bulletin (カネブ)のバックナンバーがすべて揃っている。カネブは2005年まで難民が出版していた、KANEREに先立つコミュニティ誌である。
アドマス氏によると、図書館は難民や人道支援職員、地元民の会員など、毎日200人もの人達に利用されている。会員になると、希望に応じて本や参考資料を借りることができる。
図書館が長期に渡ってうまく運営されてきたことは、キャンプを訪れる多くの訪問者を感動させた。ケンブリッジ大学の博士課程在籍のザカリー・ロモ氏も、2008年12月に図書館を訪れ、次のように断言している。「この図書館は、難民の創造力と知性の証しである。難民とは、ただ単に500gのシリアルを与えていればよい存在ではない」
〈コミュニティーになくてはならない資産〉
図書館は、エチオピア・コミュニティーの中の木陰にあり、キャンプのオアシスのように見える。「この図書館は、キャンプのどのコミュニティーにとっても例外なく、知識のるつぼである」と言うのは、ソマリア・コミュニティーのリーダーで、熱心な読書家でもあるモハメド氏だ。
モハメド氏は、1977年モンバサの難民キャンプからカクマに着き、図書館を見つけたときは嬉しかったと言う。「キャンプにはたいして読むものなどなかったが、友人の一人がエチオピア・コミュニティーに大きな図書館があると教えてくれた。次の日、その図書館に行ってみた。それはとても素晴らしい場所に作られていて、天然の木々や人の手で植えられた樹木が日陰を作り、囲いになり、風や埃を遮り、気温を和らげていた」
常連の読書家で、中学を終えてフィルム・エイド・インターナショナル(Film Aid International)で働いいるジャッキーは、図書館はコミュニティーの不可欠な資産であると言う。「色々な分野の人々がここを訪れる。本を読む事で人々は力づけられる。ケニア大学やWISK奨学金プログラムで学ぶ学生や、その他の学生たちにはとても役に立つ。就職活動のためにも、人々はここを訪れ、雑誌や新聞、定期刊行物などから情報を得ている」
ジャッキーは、これらの恩恵は若者や家族にも及ぶと言う。「子ども達はお金を使うゲームをしたり、薬物を乱用するような悪い場所の代わりに、図書館で読書を楽しむ事ができ、両親にも救いになっている」
しかし、常連の読書家たちは、女の子はあまり来ていないと指摘する。「私の見るところ、女の子が図書館で本を読んでいる姿はほとんど見ない。これからは女の子の動員が必要だ」とモハメド氏は言う。
図書館で本を読む人たちは、図書館員のサービスに満足している。「図書館のスタッフは職業意識を的確に持ち、義務を忠実に果たしている」とモハメド氏は言う。
〈UNHCRとNGOの支援を訴える〉
アドマス氏は、来館者にインターネットを提供したいと思っている。しかし資金不足から、この提案は今のところ挫折している。図書館員達は、UNHCRとNGOにこの構想の資金援助を訴えているそうだ。
この図書館の恩恵をうけているコミュニティーメンバーは、キャンプで唯一のこの図書館を人道支援団体がサポートすべきだと考えている。「LWFなどのNGOはこの図書館を支援すべきだと思う。この図書館は大学の学生だけでなく、小学校や中学校の生徒たちにも力を与えているからだ」とジャッキーは言う。
「このまま図書館を放っておくと、壊れてしまう。そうなる前に、すべての関係機関はなるべく早く修理に取り組むべきである」と彼女は続けた。
「私の考えでは、ルーテル世界連盟やウィンドル・トラスト・ケニア、イエズス会難民サービス、UNHCRは、この図書館を崩壊させてはいけないと思う。彼らは図書館の保護監視者になるべきなのだ」とモハメド氏は言う。
KANEREは、UNHCRのコミュニティー・サービスの職員であるメンベレ・ダウィト氏に、この事についてのコメントをもらおうと接触を試みた。UNJCRの正門の警備員が電話をかけ、KANEREのジャーナリストが話をしたいと言っていると連絡してくれた。しかし彼女の答えは、忙しくて記者には会えないというものだった。
【写真】エチオピア・コミュニティーにあるカクマ難民キャンプ図書館
難民達は、図書館の保護に取り組むよう訴えている。カクマ・キャンプにある唯一の図書館が崩壊し、図書館員が仕事を失う怖れがあるのだ。
建物も棚もなく、明かりもなければ図書館員もいない図書館など、想像できるだろうか。しかし、これがまさしく、この地域で唯一の図書館の近い未来像ではないかと、カクマ住民は心配している。
多くの致命的な破損と予算削減が、図書館の未来を脅かしている。図書館員のアドマス氏によると、ドアの木製の枠、窓、本棚がシロアリに食われていると言う。壁や床のひび割れも修理されていない。図書館は、照明なしで運営されている。予算がなく、寿命のつきた太陽電池が交換されていなのだ。
そして今、図書館は図書館員なしで運営されようとしている。10年間にわたり図書館は二人の図書館員と一人の警備員で運営され、LWF(ルーテル世界連盟)が奨励金(インセンティブ)を支払ってきた。しかし2009年1月、LWFは図書館員への支払いをやめた。現在、奨励金が支払われているのは警備員1人だけだ。
アドマス氏も失業したが、ボランティアで図書館の運営を続けている。
〈創造力と知性の証し〉
アドマス氏によると、この図書館は1991年に、エチオピアとケニアの国境から125km離れたモヤレのウォールデン難民キャンプで創設された。最初の蔵書は難民自身が寄付したものだった。
1993年、ウォールデン・キャンプの難民達がカクマに移住する際、図書館も彼らと一緒に移動してきた。新しい図書館は木陰の図書館としてオープンした。その後1994年、LWFが材料と労働を支援し、図書館の建物が建設された。カクマの別のNGOであるドン・ボスコが本棚やベンチ、椅子を寄附した。本は個人やイギリスに本部のあるブック・エイド・インターナショナルから寄贈された。
しかし、LWFによって建てられた建物は、泥レンガ造りで、図書館にはそぐわなかった。図書館員は日本政府に建物の修理依頼を提出し、その計画は受け入れられた。
2000年、日本政府は、わかちあいプロジェクトと共にカクマ・キャンプを訪れた。彼らは、図書館にふさわしい建物を建てるために、150万ケニア・シリングを寄付した。新しい建物には太陽光発電による照明装置が備え付けられ、夜でも長時間、本を読むことができるようになった。(バッテリーの消耗が進み、今では照明装置は使えなくなっている)。
この日本人の代表者の一人であるノリアキ氏(訳者注:高村憲明氏)は、図書館建設中、重要な役割を果たした。その後彼は、カクマとロドワーの間を走る道路で悲劇的な事故に遭い、亡くなった。コミュニティーは彼の素晴らしい支援を今も忘れずにいる。
アドマス氏は現在の図書館の蔵書を、3万冊以上と見積もっている。英語やアラビア語、ソマリア語がそろっている。領域も純文学、百科事典、天文学、辞書、地図、メディアによるニュース、様々な専門図書など多岐にわたっており、その中には教科書や児童書なども含まれている。図書館にはKakuma News Bulletin (カネブ)のバックナンバーがすべて揃っている。カネブは2005年まで難民が出版していた、KANEREに先立つコミュニティ誌である。
アドマス氏によると、図書館は難民や人道支援職員、地元民の会員など、毎日200人もの人達に利用されている。会員になると、希望に応じて本や参考資料を借りることができる。
図書館が長期に渡ってうまく運営されてきたことは、キャンプを訪れる多くの訪問者を感動させた。ケンブリッジ大学の博士課程在籍のザカリー・ロモ氏も、2008年12月に図書館を訪れ、次のように断言している。「この図書館は、難民の創造力と知性の証しである。難民とは、ただ単に500gのシリアルを与えていればよい存在ではない」
〈コミュニティーになくてはならない資産〉
図書館は、エチオピア・コミュニティーの中の木陰にあり、キャンプのオアシスのように見える。「この図書館は、キャンプのどのコミュニティーにとっても例外なく、知識のるつぼである」と言うのは、ソマリア・コミュニティーのリーダーで、熱心な読書家でもあるモハメド氏だ。
モハメド氏は、1977年モンバサの難民キャンプからカクマに着き、図書館を見つけたときは嬉しかったと言う。「キャンプにはたいして読むものなどなかったが、友人の一人がエチオピア・コミュニティーに大きな図書館があると教えてくれた。次の日、その図書館に行ってみた。それはとても素晴らしい場所に作られていて、天然の木々や人の手で植えられた樹木が日陰を作り、囲いになり、風や埃を遮り、気温を和らげていた」
常連の読書家で、中学を終えてフィルム・エイド・インターナショナル(Film Aid International)で働いいるジャッキーは、図書館はコミュニティーの不可欠な資産であると言う。「色々な分野の人々がここを訪れる。本を読む事で人々は力づけられる。ケニア大学やWISK奨学金プログラムで学ぶ学生や、その他の学生たちにはとても役に立つ。就職活動のためにも、人々はここを訪れ、雑誌や新聞、定期刊行物などから情報を得ている」
ジャッキーは、これらの恩恵は若者や家族にも及ぶと言う。「子ども達はお金を使うゲームをしたり、薬物を乱用するような悪い場所の代わりに、図書館で読書を楽しむ事ができ、両親にも救いになっている」
しかし、常連の読書家たちは、女の子はあまり来ていないと指摘する。「私の見るところ、女の子が図書館で本を読んでいる姿はほとんど見ない。これからは女の子の動員が必要だ」とモハメド氏は言う。
図書館で本を読む人たちは、図書館員のサービスに満足している。「図書館のスタッフは職業意識を的確に持ち、義務を忠実に果たしている」とモハメド氏は言う。
〈UNHCRとNGOの支援を訴える〉
アドマス氏は、来館者にインターネットを提供したいと思っている。しかし資金不足から、この提案は今のところ挫折している。図書館員達は、UNHCRとNGOにこの構想の資金援助を訴えているそうだ。
この図書館の恩恵をうけているコミュニティーメンバーは、キャンプで唯一のこの図書館を人道支援団体がサポートすべきだと考えている。「LWFなどのNGOはこの図書館を支援すべきだと思う。この図書館は大学の学生だけでなく、小学校や中学校の生徒たちにも力を与えているからだ」とジャッキーは言う。
「このまま図書館を放っておくと、壊れてしまう。そうなる前に、すべての関係機関はなるべく早く修理に取り組むべきである」と彼女は続けた。
「私の考えでは、ルーテル世界連盟やウィンドル・トラスト・ケニア、イエズス会難民サービス、UNHCRは、この図書館を崩壊させてはいけないと思う。彼らは図書館の保護監視者になるべきなのだ」とモハメド氏は言う。
KANEREは、UNHCRのコミュニティー・サービスの職員であるメンベレ・ダウィト氏に、この事についてのコメントをもらおうと接触を試みた。UNJCRの正門の警備員が電話をかけ、KANEREのジャーナリストが話をしたいと言っていると連絡してくれた。しかし彼女の答えは、忙しくて記者には会えないというものだった。
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