6月20日は「世界難民の日」。この日について、皆はどう思っているのだろうか。KANEREがインタビューを行ったところ、さまざまな声が返ってきた。
「世界難民の日は、人に難民になれと勧めているようなものだから、祝われるべきではない。亡命生活は危険に満ちているし、権利も擁護も正義も未来もない。現に自分たちは、だれか知らない人の都合で動かされるモノみたいに扱われている」
――ムチチョー・モテ(エチオピア)
「難民の日は、普段の配給で難民へ特別な物を贈ったり、いつも食べられないものを配るような特別の記念日であるべき。難民を呼んで踊らせるのは、どうかと思う。わたし自身、そういうのは大嫌い」
――インガビーヌ・ローズ(コンゴ)
「自分としては、この日は残虐だと思う。自分たちは不幸で苦しんでいる。難民や、キャンプの存在にかかわるUNHCRの役割の意識向上には役立つと思う」
――ダニエル・ヨル(南スーダン)
「難民の日は祝日ではなくて、難民であることを悲しむ日だと思う。自分の国を離れた者のうち、最悪の立場にあるのだから」
――アヤン・S(ルーテル世界連盟、平和教育担当者)
「外部からの支援があれば、亡命国での生活は難民であるよりいい。自分も経験があるけど、キャンプは地獄だよ、刑務所みたいな。自分はほかのケニア人みたいな権利もないしね」
――ビシャー・H(ブルンジ)
「UNHCRは平和的な共存といった共同生活について、難民にほとんど教えていない。コミュニティー間のステレオタイプをなくしていくための、平和に関するキャンペーンがもっとほしい」
――ジミー(スーダン、ディンカ小学校教諭)
「難民であって、いいことなんてない。自分の権利や自由のほとんどを奪われる。UNHCRやらNGOやらを喜ばせるための音楽やダンスに意味を見出せないけど、そんなことに気づく人はいるのだろうか」
――ルクンダ・ジーン(ルワンダ)
「カクマの沼地で沐浴して、胸焼けを感じるのはこの日だ。日が落ちると、キャンプは真っ暗になる。日中は自分にいのちがあるように感じるけど、夜は死んでしまったように感じる」
――シャムソ(エチオピア、KENERE読者)
「この日に意味を見出せない。ここに6年住んでいるけれど、UNHCRからもケニア政府からもなんの認定もない。自分の望みは、母国に平和が訪れる時に家に帰ることだけ」
――ウェクトア(エチオピア、ヌエル族長老)
「この日はつらい日。自分は、自分の意思でカクマという刑務所で囚われの身になっている。自由に動けない。この日を喜ぶ理由はどこにもない。それよりもこの世に平和が訪れるよう呼びかけるべきだと思う。ここではすべてが汚職まみれだ。UNHCRはちゃんと考えて、持続可能でより迅速な解決策を打ち出してほしい」
――エルロス(エチオピア)
「この日が来る度、ケニアで経験したすべての嫌なことを思い出す。もちろん自分たちは単なる難民なのだけど、頭や心まで難民になっているわけではない。難民がたどる道は不公平で、それは再定住が汚職まみれだからだ。多くの難民が20年ここにいても、再定住の希望を見出せないでいる」
――ラロ・オスマン(スーダン・ヌビア)
「まず最初に頭に浮かぶのは、自分に貼られた『難民』というレッテルのこと。死や怪我を思い起こさせる。はずかしめと拒否ばかりの生活を送っていると、周囲に人権とか自分の権利とかいう声に嘘がまみれていても、すべてが分からなくなってくる」
――アブドゥラヒ・アメッド(ソマリア)
「この日にはすっかり飽きた。難民であることにも飽きた。自分たちは、自由がないから家から逃げてきた。家族から離れて生きるなんて最悪だ。でも生きることを望んでいる。この世の人たちによってがんじがらめになった生活は、ひどいものだよ」
――アダン(エチオピア、オガデン族長老、カクマ2)
「難民生活にいいことなんてひとつもない。爆撃、殺人、亡命しか思い出せない。カクマにいて、自分の権利すべてが否定されるのは、もっと悪い。いのちの終わりだ」
――ファルドサ・アリ(カクマ3)
「わたしは1992年7月3日にカクマへ来た。すでに100年このキャンプに生きているような気もする。この生活では、UNHCR以外に提示された生活なんて想像もできない。なによりもひどいものに頼る生活だ」
――ルース・マイケル(カクマの小学校教諭)
「世界難民の日は、人に難民になれと勧めているようなものだから、祝われるべきではない。亡命生活は危険に満ちているし、権利も擁護も正義も未来もない。現に自分たちは、だれか知らない人の都合で動かされるモノみたいに扱われている」
――ムチチョー・モテ(エチオピア)
「難民の日は、普段の配給で難民へ特別な物を贈ったり、いつも食べられないものを配るような特別の記念日であるべき。難民を呼んで踊らせるのは、どうかと思う。わたし自身、そういうのは大嫌い」
――インガビーヌ・ローズ(コンゴ)
「自分としては、この日は残虐だと思う。自分たちは不幸で苦しんでいる。難民や、キャンプの存在にかかわるUNHCRの役割の意識向上には役立つと思う」
――ダニエル・ヨル(南スーダン)
「難民の日は祝日ではなくて、難民であることを悲しむ日だと思う。自分の国を離れた者のうち、最悪の立場にあるのだから」
――アヤン・S(ルーテル世界連盟、平和教育担当者)
「外部からの支援があれば、亡命国での生活は難民であるよりいい。自分も経験があるけど、キャンプは地獄だよ、刑務所みたいな。自分はほかのケニア人みたいな権利もないしね」
――ビシャー・H(ブルンジ)
「UNHCRは平和的な共存といった共同生活について、難民にほとんど教えていない。コミュニティー間のステレオタイプをなくしていくための、平和に関するキャンペーンがもっとほしい」
――ジミー(スーダン、ディンカ小学校教諭)
「難民であって、いいことなんてない。自分の権利や自由のほとんどを奪われる。UNHCRやらNGOやらを喜ばせるための音楽やダンスに意味を見出せないけど、そんなことに気づく人はいるのだろうか」
――ルクンダ・ジーン(ルワンダ)
「カクマの沼地で沐浴して、胸焼けを感じるのはこの日だ。日が落ちると、キャンプは真っ暗になる。日中は自分にいのちがあるように感じるけど、夜は死んでしまったように感じる」
――シャムソ(エチオピア、KENERE読者)
「この日に意味を見出せない。ここに6年住んでいるけれど、UNHCRからもケニア政府からもなんの認定もない。自分の望みは、母国に平和が訪れる時に家に帰ることだけ」
――ウェクトア(エチオピア、ヌエル族長老)
「この日はつらい日。自分は、自分の意思でカクマという刑務所で囚われの身になっている。自由に動けない。この日を喜ぶ理由はどこにもない。それよりもこの世に平和が訪れるよう呼びかけるべきだと思う。ここではすべてが汚職まみれだ。UNHCRはちゃんと考えて、持続可能でより迅速な解決策を打ち出してほしい」
――エルロス(エチオピア)
「この日が来る度、ケニアで経験したすべての嫌なことを思い出す。もちろん自分たちは単なる難民なのだけど、頭や心まで難民になっているわけではない。難民がたどる道は不公平で、それは再定住が汚職まみれだからだ。多くの難民が20年ここにいても、再定住の希望を見出せないでいる」
――ラロ・オスマン(スーダン・ヌビア)
「まず最初に頭に浮かぶのは、自分に貼られた『難民』というレッテルのこと。死や怪我を思い起こさせる。はずかしめと拒否ばかりの生活を送っていると、周囲に人権とか自分の権利とかいう声に嘘がまみれていても、すべてが分からなくなってくる」
――アブドゥラヒ・アメッド(ソマリア)
「この日にはすっかり飽きた。難民であることにも飽きた。自分たちは、自由がないから家から逃げてきた。家族から離れて生きるなんて最悪だ。でも生きることを望んでいる。この世の人たちによってがんじがらめになった生活は、ひどいものだよ」
――アダン(エチオピア、オガデン族長老、カクマ2)
「難民生活にいいことなんてひとつもない。爆撃、殺人、亡命しか思い出せない。カクマにいて、自分の権利すべてが否定されるのは、もっと悪い。いのちの終わりだ」
――ファルドサ・アリ(カクマ3)
「わたしは1992年7月3日にカクマへ来た。すでに100年このキャンプに生きているような気もする。この生活では、UNHCR以外に提示された生活なんて想像もできない。なによりもひどいものに頼る生活だ」
――ルース・マイケル(カクマの小学校教諭)
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