朝起きて太陽が顔を出していると思いきや、いつの間にか雨が降ったようだ。次男は大会の為6時30分には学校に行った。追っかけ部隊は9時30分に家を出発予定。一応お弁当におにぎりを妻が作っていた。太陽が再び顔を出す7時50分、雨雲は東の山並みを覆い尽くし肌寒く感じる。夏掛けでは寒く感じるようになった。数日前から寝る時に毛布を持ち出してきた。今朝は毛布一枚でも寒く眠りが浅い。そんな時に見る夢は記憶装置が働く事はない。記憶するに値しないのだろう。
稲穂が小金色に輝き、道端にイナゴの姿を見かけるようになった。稲刈りが始まると母のイナゴ取りが始まるが、今年は放射能の心配が頭をかすめる。今朝の新聞に米からセシウムと気になる記事が、自家製のイナゴの佃煮は珍味だが、とても箸をつける気持ちになれないのは悲しい。収穫の秋と言うのに要らぬ心配をするのは年を取った証拠なんだと苦笑い。一日も早く安全宣言を聞きたいものだ。
日替わりで問題が表面化する。父が家で収穫したプルーンを持て余した末にプルーンジャムを作った。我が家も長年米が主食だったが、結婚以来パンも仲間に加わった。妻が買い物すると食パン一袋は必ずといってもいいくらに選ぶ。次の日から冷蔵庫に食パン2袋が我が物顔に鎮座する。ようやくナス漬けの瓶を見かけなくなったと思ったところだったのに、なにも2つも買わなくていいだろうと妻に言ったら、「じいちゃんが買ったんだよ」と母の声。つまりはプルーンジャム消費拡大作戦、妻が買った食パンと合わせると3袋。なんでもかんでも冷蔵庫って問題じゃないだろうと頭を抱える。喜んだのは子供達、ご飯を食べた後にデザート感覚で食パンを食べるのが続いている。ジャムの残りはあと一つ、ささやかな贅沢もすぐに終わる。
自給自足の生活は素晴らしいと思う。問題は需要と供給のバランスと保存ではないかと思われる。なんて言っては見るものの、収穫後の新鮮なものを食べるのに勝る贅沢はない。喜びが凝縮されている。感謝を忘れてはいけないのだ。
今朝も6時起床、道路を走るコンバインが見える。稲刈りが始るようだ・・・・・。