松ひとり言

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私の乃木希典、《金州城》への想い

2013年08月23日 15時05分59秒 | 日記
地元、京都の吟士権大会で優勝したのが昭和44年、もう44年前です

優勝はこの吟で、と決めたのが佐野竹之助の「出郷の作」でした。

この前の年が準優勝だったので”来年こそこの吟で”と選びました。

桜田門に井伊直弼を討つべく水戸を出ずる時の作、目的は違えど

決然と優勝決定戦に挑む心に「出郷の作」の魂を植えつけたかった。

それから2年後、今度は乃木希典の「金州城」にて文部大臣賞を受賞

44年から46年までの約2年、練習は乃木希典の「金州城」一本でした

「凱旋」「爾霊山」「法庫門営中の作」そして此の「金州城」

すべてが乃木希典の反戦歌、或いは鎮魂歌と云って良いと思う。

私が「金州城」を選んだのは≪二度と悲惨な戦争を起してはならない≫

との思いを、コンクールの場を借りて訴えたかったからでした。

その結果文部大臣賞を頂くことに成ったのです。

さて、乃木希典が名詩「金州城」作成の背景と大意を少しだけ!

日清戦争で落とした金州城で10年後、まさか長男が戦死しようとは

日露戦争で(長男)勝典中尉が戦死したのは、明治37年5月27日の事

父、希典が雨のそぼ降る金州に到着するのが十日後の6月7日であった

辺り一帯見渡す限り、あまりの凄まじさに馬でさえ進めない有り様

やがて雨も上がり、西日が雲間から差し始めた時、 

希典はおもむろに手帳を取り出し、

勝典を偲びながらこの詩を

メモ書きにしたためた・・・・・山川草木転た荒涼

                 十里風腥し新戦場

                   征馬前まず人語らず

                     金州城外斜陽に立つ

当時、陸軍大将に成ったばかりの

乃木希典の名詩「金州城」はこの様にしてなった

私のこの詩への想い、声に出し戦争の悲惨さを伝える事こそ、

松の使命だと思っています、命ある限り吟じつづけて・・・・