支援級からの高校受験4 学力はどこまで伸ばせるか? 後編のつづき
努力の末、めでたく第一志望校に合格はしましたが、これで終わりではありません。
受験勉強とは違ったハードルが続きます。
まず、猛勉強して入った学校の授業に果たしてついていけるのか。
それも特別な支援のない社会で1人でやっていけるのか。
そういった不安もさることながら、さらに心配なことがありました。
それは、その学校が自宅から遠く離れた県外にあるということです。
電車、飛行機、バスなどを乗り継いで最速片道7時間。
通える距離ではありません。
息子にあった学校があるなら移住したってかまわないと、探し歩いて選んだ学校です。
ですが、いろいろあって移住はやめ、まずは学校の寮に入ることを決めました。
正直、合格時点で息子に一番足りていなかったのは生活能力。
学校から帰宅後、脱いだ制服や靴下が脱いだままの形で家の中に散乱しているというのは中学生男子あるあるかもしれません。
しかし息子はそれが家以外でもところかまわずで、
学校では先生に物の片付けや整理をつきっきりで手伝ってもらっていました。
でも息子、片付ける能力がないわけではありません。
ただ、スイッチが壊れているというか、スイッチを押し続けていないと作動しないタイプで、
常に隣で誰かが見守って声をかけ続けないとすぐに止まってしまうのです。
また、時間もルーズで、朝、自力で起きられないのはもちろん、
準備をして学校に間に合うように家を出るとか、
そろそろ寝る時間だとか、時計を見て行動をすることがまったくできないのです。
常に誰かがタイムキーパーとして横についていて次の行動を指示し続けなければなりませんでした。
受験勉強で息子を塾に通わせることなく私が家庭教師をすることを選んだのは、塾に送り出す方が私の負担が大きかったからです。
私も、支援級の先生も、デイサービスの専門家も、ありとあらゆる人がありとあらゆる支援をしてきたのに、生活面ではさっぱり効果のなかった息子。
しかし、ある通信高校の先生は私にこんなことを言いました。
「こういう子に一番いいのは、寮に入って誰にも頼れない環境を作ること」。
確かにそれは一理あるかもしれない。
一度、寮生活を試してみてダメだったら家族で移住すればいい。
そう考え、まずはその可能性を試すことを決めました。
そこで、合格発表から入学までの1カ月弱の間に、
寮生活に慣れるための練習を始めることにしました。
自分で起きること、自分で身支度をすること、洗濯や掃除をすること。
洗濯は、寮のものと似たような縦型洗濯機を近所に住む私の父の家で使わせてもらい、
自分の服は全部自分で洗濯し、たたみ、片付けることをルールとしました。
服の素材に応じて乾燥機にかけるものとハンガーで乾かすものを教え、
シーツや布団カバーの付け替えも練習しました。
以前なら文句を言って嫌がる息子でしたが、覚悟を決めたのか、声をかけたらすぐに行動するようになりました。
そして4月、寮生活は始まりました。
最初はとにかく心配でした。
朝ちゃんと起きられたか、
授業時間に合わせて登校できているか
食事や入浴時間は守れているか
洗濯物は溜め込んでいないか
朝から晩まで一日中何度も電話をして確認しました。
最初の1カ月は寝坊してしまうことが何度かありましたが
自分で絶対に起きられる音楽を目覚ましとしてスマホで設定したりして、今は確実に起きられるようになりました。
部屋は足の踏み場もないだろうという私の予想を裏切り、広々とした床の写真を見せてくれました。
洗濯物も、さらにはシーツや寝具も定期的に洗って片付けているようです。
スイッチを押し続けていないと作動しなかった息子の生活スキルが、センサー・タイマーがついてさらに自立走行可能な機能にグレードアップしたことに、私も含め息子を知る人はみな驚きました。
物が見つからない、ということはまだありますが
財布や鍵など重要な物にはAir Tag(紛失防止用のトラッキング電子タグ)をつけて自分でスマホで探せるようにしておいたので、なんとかなっています。
そのほかの細かいものは、寮に送った物は事前にすべて写真を撮っておいたので、
「薬?そんなの見た覚えがない」と言われたら、その写真を息子に送って見せると
「あ〜、そういえばここにあったような」と自分で探しています。
また、起床以外の細かな時間の管理はまだ課題ですが、
私が予定をスマホのカレンダーに入れ、Apple Watchやスマホに予定の通知が自動で来るように設定することで何とかやっています。
そのほか、息子は過集中で食事や入浴を忘れてスマホに夢中になってしまうことがあるのですが、
そこはiPhoneのペアレンタルコントロールを使い、ゲーム時間の延長を私が許可しないとできないようにすることで調整しています。
勉強の方はというと、受験時の猛勉強で限界突破して知性が上がったのか、
「授業を聞いていてわかるようになった」、と本人。
もちろん、それでも難しい内容はあるので、夜の学習時間や週末に、私と夫が交代でビデオ会議で勉強を教えています。
支援級の出身であることはまだ同級生には知られていないようですが、
天然キャラ的なボケを連発、周囲から総ツッコミされつつも
学校で一番難易度の高い科に成績中位以上で合格したおかげで、バカにされることもなくやっているようです。
入学して1週間ほどたったある日、私が息子と電話で話していると、息子の周りから明るい笑い声が聞こえてきました。
「誰かいるの?」と私が尋ねると、こう返されました。
「あ〜、友達」
最後の発達外来で、ドクターから言われた言葉を思い出して私は目頭が熱くなりました。
─────────「この子は大丈夫、やっていけるよ」*。
私は息子が3歳で診断されたとき、親が死んでも生きていけることを療育の最終目標にしました。
それが15歳の今、息子がこんなふうに自立して願いがかなうとはまったく予想しませんでした。
ここまで成長を遂げた息子に、私も、夫も、古くからの息子の友達も、尊敬の眼差しを向けています。
息子に負けないようにがんばろう。
それが私の今の目標です。
いつか息子は私を超えると信じてきましたが、すぐに追い越されるつもりはありません。
ライバルとしてもっと高みに導けるよう、自分も成長を続けていきたいと思います。
*過去記事「自閉症の診断名はいつまでついて回るのか?」参照。