5期の記事が始まってしまったので、傾斜配分しながら執筆します。
3つ目のスタンプポイントが七社神社。古くから西ヶ原の総鎮守であり、以前は古河庭園のあたりにあったとか。
明治元年の神仏分離令により、現在地に遷座されたとのこと。
左の写真の二ノ鳥居の扁額は、渋沢栄一翁の揮毫とのこと。渋沢栄一翁は、この神社の氏子筆頭だったとのことで、その寄付により大正9年に社務所が建築されたとのこと。
ほかにも掛け軸なども保存されているほか、ここの神社のお守りなどは、渋沢栄一翁揮毫の書が使われているとのこと。
渋沢翁の肖像が用いられる新札が待ち遠しいところでしょう。
ちなみにこの神社の隣は、紙幣の印刷を行う国立印刷局東京工場です。
二ノ鳥居を入ったところにある手水舎。
この日は、天気もよく冬らしい日差しでした。
本殿との間には、茅の輪が設置されていました。
丁寧にくぐり方も説明されていたので、そのとおりくぐらせていただきました。
茅の輪は、以前、奥武蔵の竹寺を訪れた際の記事で書きました。
疫病除けという意味が本来あったそうですが、その基にあったのが、牛頭天王の蘇民将来伝説。牛頭天王は、日本の素戔嗚尊と同体とされているとか。
この神社の御祭神には、素戔嗚尊はおられませんが。
ここの御祭神は、七柱。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)、市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)、仲哀天皇(チュウアイテンノウ)ー帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト)ー、応神天皇(オウジンテンノウ)ー品陀別命(ホムダワケノミコト)ーとのこと。
最近では、茅の輪は、お寺でも見かけたりした記憶もあります。ハート型だか猪の目だか知りませんが、そんな形の茅の輪も見た記憶があります。
七社神社は、境内の中にある木々にもきちんと看板をつけています。
見立てであってもそれが謂れとなり、なんだかありがたいものになるような気がします。
腹籠の椎は、木の下部のコブを妊婦さんのお腹に見立てたのでしょうか。
しめ縄が張ってあるということは御神木なのですね。
そういえばWIKIPEDIAでは、ここの神徳は、子宝・安産・家庭円満とありましたが。
この次の写真は、御衣黄という桜。
なんでも緑色の花を咲かせるということです。
開花時に見てみたいものですね。
気が付かなかったのですが、本殿に向かってこの桜と左右に配置するような形で、福禄寿という桜が植えられているとのことです。
御衣黄は、江戸時代に京都の仁和寺で栽培されたのが最初で、荒川堤でも栽培されていたとのこと。
江戸時代末期にシーボルトが標本を持ち帰り、現存しているそうです。
本来は高木のようですが、この木はそんなでもないですね。
そしてその次の写真。境内の中央、高くそびえる願掛 公孫樹。
この季節は、イチョウの紅葉が美しいですね。
黄色い紅葉が冬の日差しに似合います。
これだけの大きな古木となれば、神木としても納得ですね。
イチョウの奥には、舞殿があります。
昔、桧枝岐に行った際に見た桧枝岐歌舞伎の舞台を思い出しました。
最近は膝の不安もあって、山にもスキーにも行っていないなあ。街中を歩いている分には問題はないのですがね。
この神社は令和元年に遷座百五十年を迎えたそうです。
記念に石見神楽が奉納されたとのこと。
公式ページには、動画もありますので、ぜひご覧いただければと。
面白いなと思ったのが、境内の片隅にあった孔子・孟子像。
孔子も神格化されることもあるのでしょうが、「君子、怪力乱心を語らず」の儒教と共存する。まあ、日本の神道は、そういう柔軟なところがあるのが魅力なのかなとも思いますが。
(前の記事へ)2023街めぐりスタンプラリー第4期に行きました!記事一覧(次の記事へ)