鳥屋小学校にて
佐野選手と兄Kou、弟Kae
残念な知らせが入ったのは先々週
「佐野選手が退団し、これからは海外でプレーをします。」
「これまでのU-11・U-12のトップクラスコーチもお辞めになります。」
「12月、今月中です・・」
さすがに坊主たちは涙。涙。。
「最後にお会いできるのは来週の水曜日のスクールとなります」
そう言われ、坊主たちは想いを手紙に綴ったのだが・・
関西に遠く離れた私の父親が急に亡くなり、水曜日のスクールには二人とも行けなくなってしまった。
落ち込み、、しくしく、する坊主。(佐野さんに、佐野さんに、、会えなくなる・・)
爺ちゃんじゃなく、そっちな。そうだわな。
泣きっ面にハチか
本当に悲しい事と言うのは重なるものだ。
父親の葬儀事を済ませ、神奈川に戻り、SC相模原の他コーチにその事を伝えると、
直ぐに佐野選手、いや「佐野コーチ」に伝えてくれたらしい。
佐野さんからお電話を頂いた。
「いや、僕も彼らには会いたかったんで、自分がKouとkaeに会いに行きますから!」
「せっかくなら球でも蹴ってサヨナラをしたいな」
なんとも、
勿体ないお話しである。しかし、最後だから、ご好意に甘える事にしました。
そんな訳で今日は鳥屋小学校グランド
中学から駆けつけたKou、何をどう言ったら良いのか分からない様子で
「ちわっす。今日はありがとうございます」
Kae
「お~~、佐野コーチだ~~~!」
学校の担任の先生(毎年冬に必ず天皇杯を観に行くほどのサッカー好き)
が何故かカメラ持参(^^;
2人は、佐野選手から、ありがたいお言葉を少しづつ頂きながら3人で球を回していた。
私は涙を堪え、見守る。。。
こんな選手、指導者は居ないよ。
他人をほぼ!?信用しない私が安心して心地よく坊主らをお任せできたコーチ。
前、宮川コーチもそうだったが、兄Kouのサッカー、気持ちを認めてくれたコーチだった。
熱くて、熱心で、怖くて、優しくて、。
それにまだ3年生だった弟Kaeの球を転がす様子を見て、
「おい、Kouの弟か?」
「君ならトップクラスの5,6年で出来るよ、厳しいけど頑張ってみるか?」
と声を掛けてくれた。
勿論これにはSC相模原の各コーチ・スタッフ様のご理解あっての事だが、
こうした、人生のターニングポイントとして確実に彼らの心の中に生き続ける恩師なんだと
確信している。
決して「モノ」では無い、佐野さんから最後に頂いたシューズや手袋
坊主たちはガラスケースに仕舞い、大事な瞬間に身につけるらしい。
これらを手にして、2人は何やら心に誓ったらしい。
佐野裕哉選手、万歳!
今までの感動をありがとう。我が家はこれからの佐野選手のご活躍を心から応援致します。(--。。。