幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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人生に意味があるなら、人はまた、頑張れると思うのです。

2017-11-14 00:54:52 | ばくちゃんの独り言

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歌のセリフじゃないけれど、人生いろいろでございます。

お釈迦様は「人生は苦なり」と喝破なさったとか。

お釈迦様は苦しみを体系的に分析なさっていて、四苦八苦なんて言いまして、生・老・病・死の四苦と、愛別離苦(あいべつりく・愛するものと分かれる苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく・憎い者と会う苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・求めるものが手に入らない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく・身体の煩悩が燃え盛る苦しみ)とか、私も経験してきた苦しみを、もう2500年も前に体系化し、その苦しみから脱する方法をお説きくださっていました。

仏典を読めば、釈尊(お釈迦様)は悟り仏陀となられ、その他多くの弟子たちも悟ったと描かれているのに、私をはじめ、多くの現代人は、お釈迦様が体系化した苦しみから逃れてはいないのです。

いったい人類は、釈迦仏陀以降の2500年間、何をしてきたのだろうと思ってしまう。

いや重ね重ね言いますが、私も、四苦八苦の海にアップアップしながら生きながらえている、ただの凡夫でございます。

さて、世間では最近、どえらい物騒な怪事件が神奈川の方であったようで、まるで推理小説のような猟奇的な事件であるから、恐らくはマスメディアも飛びついているのか、連日お昼休みのテレビはその話題で持ち切りだし、仕事から帰ってニュースでもつけようなら、またその特集をやっていて、「もうたまらない」とテレビを消す日々が続いています。

まぁ、被害者の方々には申し訳ないけれども、精神衛生上あまり深入りしたくはない事件ではあります。

まぁ何があったかは存じませぬが、「どうにかして、人生に意味を見いだせなかったのかな?」と残念には思う次第です。

人生の意義、つまり、「何の目的があって人生はあり、生命はあるのか?」という、根源的な問いかけを、加害者がお持ちだとしても、きちんとその答えを見出そうとしていたら、恐らくはこのような猟奇的な世界に、その精神を冒されはしなかったでありましょう。

私は「人生には、意味があるはずだ」と22歳ごろ強く思った記憶があります。

それまでは、深く人生や生命を深く考えていなかったのに、看護師を生業としていることを、強く恥じたのも強烈に覚えています。

人生には意味があるはずです。

なぜならば、人は生きようとするからです。

つらいのに。こんなにしんどいのに。

人生に意味がないのなら、どうして、こんなに苦しいのに、なぜ、生きることをやめようとしないのでしょうか?

自殺など、決してなさらないでください。

私は生きたくても生きられなかった人を、それはもう、数多く見て参りました。

自ら命を絶とうとなさるなら、私の出会った、生きたくても生きられなかった方々全員の魂に、どうか心から詫び、彼ら彼女らの無念を晴らし、死後の世界での幸福を祈ってからにしていただきたい。

人生には意味があります。

目的と使命があります。

それは、神仏と人間との関係から導き出さるものです。

人は神仏の前に謙虚でなければならないと思います。

人は神仏の子であるからです。

仕事には目的と使命があるように、人生も目的と使命があるのです。勝手に職場放棄したら、違約金が発生しても致し方ないように、人生も同じであります。

書店には、「どう生きたら良いか」が書かれた書籍は無数にあります。

しかし、「なぜ生きているか」に答える書物は、ほとんどございません。

幸福の科学出版の書籍以外で、私はそれに出会ったことがございません。

お釈迦様は仏陀として「人生の意味を説ききった」とお聞きしておりますが、その後2500年の間に、仏陀のお言葉の真意もわからなくなってしまいました。

恐らくは「人生の目的と使命」は、尊き人、仏陀や救世主でなければ、権威を持って語り切れないのではないでしょうか?

そして今、時代や文明が限界を迎えている今、仏陀は再び下生し、救世主は降臨しているのです。

世界のお手本となるべき使命を抱く国に。

それは、法(教え)を見ればわかるのです。

神仏と神仏の子人間は、法(教え)でつながっているのです。

本日は、経典『人生の王道を語る』より、人生の目的と使命に軽く触れた部分の抜粋をご紹介いたします。

              (ばく)

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幸福の科学では、「人生の目的と使命」というものを教えています。

人生の目的とは、この地上に魂が生まれ変わることによって、さまざまな学習経験をすることです。

そして、地上を去った世界にまた還っていきます。

こういうプロセス、このような転生輪廻を繰り返しています。

そして、人生の使命とは、その魂を輝かし、地上にユートピアを創っていくことなのだ、という話をしています。(中略)

ものごとは何でもそうですが、目標、目的があって、どういうふうにしていけばいいのかという筋道が立っている人にとっては、仕事というものは、いとも簡単に片づいていきますが、先が見えない人、どうしたらいいかがわからない人、自分がどっちに向かって行ったらいいかわからない人にとっては、試行錯誤の連続です。

そして無駄な時間がたくさんできてきます。

ですから、人生の目的と使命をはっきり知っている人から見ると、そういう無駄な時間が出ないことになるのです。(中略)

あの世は百パーセントあります。

私は実体験しています。

実体験している者にとっては、これは疑う余地がないことなのです。

九十九パーセントということはありません。百パーセントなのです。(中略)

すなわち、「死んで初めてあの世があるということを知った人は、そうとう無駄な時間を使っている。それまでの間に、無駄な生き方、人生の時間のロスがかなりある」ということを言っているのです。

早いうちにその事実を知った人には、時間の無駄が少なくなります。つまり、自分の時間を管理することができます。(中略)

時間というものはお金以上のものなのです。

お金を使うときには、予算を立てて使うでしょう。

ですから、時間も予算化しなければいけないのです。(中略)

一日は二十四時間ですし、一生は八十年ぐらいのものです。

それを無駄にしないで予算化していくこと、大事なところに使っていって、そして大きな時間を生み出していくこと――これがひじょうに大事なことなのです。(中略)

私たちは、あの世に生きているのではなくて、現にこの世に生きている存在です。(中略)

ですから、霊的世界に興味を持ったとしても、出発点は、あくまでもこの世の自分の生命を、時間を、燃焼させるということです。

それは一日一日から成り立っているのです。

一日一日を黄金の時間に変えていくことこそ、私たちの人生の目的なのです。

あの世的なことを知ったからといって、それを逃避に使ってはなりません。

一日一日を充実させ、光に満ちた黄金色に変えていくことこそ、大切なことです。

仏法真理を知った人は、知れば知るほどに、時間を大切にしていただきたいのです。

毎日毎日を大切にしていただきたいのです。

一日を一生として生きていただきたいのです。

それが肝要なことなのです。
『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)P
156~163


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