東日本大震災後に建立された仙台正心館 http://shoja.jp/sendai/
もうあれから、7年が経ったのですね。
津波で多くの方が亡くなりました。
お亡くなりになった方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2011年、東日本大震災の当時は、政権は民主党政権でした。
民主党は左翼政権で、当時は、打倒左翼ということで、自民党を応援する気持ちが、私にはまだありましたが、民主・自民・公明の3党によって、復航費用を増税で賄う、いわゆる復興増税を3党合意したときから、「既存政治に、神の代理人の資格なし!」と強く思ったことを、今でも鮮烈に覚えています。
普通の感覚ならば、大震災の時の政治は、税金など取れるものではないので、「持ち出しをするか」資金がなければ、「減税をするか」の二者選択です。
しかし7年前の日本では、大震災時に増税という、鬼のような判断がなされたことを、決して決して忘れてはならないと思います。
大震災時に増税というのは、たとえば、飢饉の年に年貢を増やせばどうなるかです。
またたとえば、あなたが急病の際、厚生年金を出費するが会社だからと言って、治療費の分、会社が「厚生年金分、もっと働け!」と言えばどうですか?
「鬼か!」と思いますよね。
こういう「鬼判断」が、現実にこの国の政治では行われたわけです。
要するに既存の政治では、大事なことが分かっていないのです。
「政治家とは、神の代理人である」ということです。
また「政治とは、神に代わって、国民の幸福の実現をすること」ということもです。
そして経済においては、「豊かな国民が暮らす国が豊かな国である」ということがです。
https://the-liberty.com/article.php?item_id=14032
結局、これからの時代、幸福実現党が世に出る必要があるということだと思うのです。
NHK大河ドラマで西郷どんをやっていまして、今の日本は幕末ブームですけれども、幕末に幕府はいっぱい判断を誤りましたが、今の政治も、とにかく判断が遅いし、とにかくよく間違うので、「既存政党には、正しさに基づいた判断力がない」と主権者である国民が、そろそろ見切りをしないといけないと思うのですね。
本日は、経典『心の挑戦』(幸福の科学出版)より、仏教で言う業(ごう)の思想が良く分かる一節をご紹介いたします。
(ばく)
大川隆法総裁 講演会2017 「あきらめない心」抜粋版(青森県弘前市・ホテルニューキャッスル)より
『知られざる天才作曲家 水澤有一「神秘の音楽」を語る』発刊記念 スペシャル・アーカイブス①
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=176
もちろん、業(ごう)においては個人責任は当然の問題ですけれども、社会全体、人類全体というような、大勢の人々の共通の運命のようなものもあります。
大きな戦争のときには、個人個人は正しく生きていても、そこから逃れることはできない、というような運命があります。
これを「共業(ぐうごう)」といいます。これに反して、個人の業のことを「不共業(ふぐうごう)」といいます。
「環境や社会や時代のせいではないと言いつつも、実際には共業というのがあるではないか」「自分は人を殺したくなくても、戦争が起きたではないか。どうしてくれる」「自分は、一生懸命、事業をしているのに、経済不況が来たではないか」──そういう考えもあるでしょう。
ただ、これも結局は、人間というのは個人独りだけでは生きられるものではないということです。
ロビンソン・クルーソーのように、孤島に独りで生きるわけではないし、みんなで共同生活をしているわけです。
それぞれの人が「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」の縁起のなかで、お互いにつながって生きているのだ、ということを考えなければいけません。
そう考えると、社会が悪いとしても、その一端を担っているのは自分でもあるわけです。
ですから、自分自身の個人修行はあくまでも大切にしていくわけですけれども、自分がかたちづくっている共同体、その社会や国家自体が悪い場合には、その一員として世の中をよくしていくために、「自分も何かをしなければいけない」という気持ちを、常に持つことが大事です。
ですから、共業そのものの悪い傾向を解消するためには、やはり光の仲間を増やしていくことこそが正道であるわけです。
そのためには、どうしたらよいか。それは仏法真理を一人でも多くの人に伝えることです。それも、真心を込めて、熱意を込めて、一人ひとりに仏法真理を伝えていくことです。
それが、やはり、多くの人々の共通の運命としての共業が、不幸な方向に向かっていくのを救うことであると思います。(中略)
個人個人が自分の心を正すことは大事なことです。
しかし、「個人個人が自分の心を正していって、その流れが全体に広がったときに、全体の運命をも変えていけるのだ」ということを教えることもまた、大切な大切な修行であると思うのです。
ですから、「利自即利他(りじそくりた)」──自分を磨きながら他の人々をも導いていく──
それこそが真実の宗教のあり方なのだということを、どうか深く悟っていただきたいと思います。
『心の挑戦』(幸福の科学出版)P258~261