幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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ゾウガメと松潤と『愛、無限』

2018-03-21 22:26:08 | 命の不思議

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私の好きなテレビ番組に、TBSで土曜日、夜9時から放映中の『世界不思議発見』という番組があります。

しかし私には、恥ずかしながら、家庭内チャンネル権がありませんので(笑)、「世界ふしぎ発見』が見られるかどうかは裏番組次第です。(大爆笑)

最近では裏番組で、『嵐にしやがれ』(日本テレビ)をやり初めまして、我が家の女性陣は松潤こと松本潤さんのファンですので、録画してなお放送も見ておりますので、最近では、よほどの幸運がない限り、『世界ふしぎ発見』を見ることができませんし、見るときは、そりゃぁそりゃぁ、とんでもない集中力で見ちょります。(大笑)

その、『世界不思議発見』で、以前、ダーウィンの進化論特集をやっていて、ダーウィンが観察したガラパゴス諸島を、何週間か続けて放送していました。

その特集で私は、ゾウガメを1時間枠で扱っているのを見ました。

 

番組によると、ガラパゴス諸島には、それぞれ生えている植物が違うので、ゾウガメの形も島によって、それぞれ違っているらしいです。
そしてどうやら、それを観察したダーウィンさんは、種の起源のもとになるヒントを得たらしいんですね。

たとえば、地ベタに草の繁えている島のゾウガメは、まあ、皆さんがイメージしているであろう、普通の一般的な形をしています。

しかし、背の高い木や草しか繁えない島のゾウガメは、甲羅の首の所が鞍状にえぐれていて、首を高く持ち上げることができるんです。
これが「進化」だと、一見すればそう思えるかも知れませんし、とにかくも、ダーウィンさんはそう確信したらしい。

しかし、この鞍状の甲羅を持つゾウガメと、普通のゾウガメとは、遺伝レベルでどう違うのかは、今もまだ、良くわかっていないらしいのです。

というのも、彼らの寿命は120歳以上と人間より長生きで、長期の観察が出来ない生き物だからだそうです。
要するに、観察してデータ処理している人間の方が、ゾウガメより早く死んでしまうので、一匹のゾウガメの一生を記録したものは存在しないですし、その子や孫まで、観察することができないからだそうです。

 

番組の最後に、地元のゾウガメの人工繁殖プロジェクトが、幼カメを島に返すシーンが映っていました。

鞍状甲羅のゾウガメの幼体だったんですが、なんとその幼カメの甲羅には、鞍はまだありませんでした。
つまり、生まれた時には、ゾウガメには鞍の形に、違いはなかったんです。

「やっぱりダーウィンの進化論は、生物の適応能力の高さを実証したものなんだぁ。」と思った後、私は凄いことに気付いてしまったんです!!

それは、

「なんでこんな絶海の孤島に、こんなに巨大なカメがいるんだぁ!!」
「彼らは、絶対に泳げないじゃないかぁ!!」

「この子たちは、いったいどうやってこの島々に来たんだぁ!!」
「ダーウィンさん、よっぽどそっちの方が、不思議なんじゃぁないですかぁ?」

っていうことにです。(爆笑) 

そんな重要なことを、全然不思議に思わない、ダーウィンさんの生物学者としての眼は、「全くの節穴」だと、私はその時思いました。(大笑)

本日は経典『愛、無限』(幸福の科学出版)より、「生命が神より分かれて来たからこそ、人間も人生も尊い」ということがよくわかった一節のご紹介です。

             (ばく)

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「人生の苦難に立ち向かう」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

Halloween Party For Galápagos Tortoise Seniors

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=755

あの世の存在を信じることは、なぜ大事なのでしょうか。それは、「真実の人生」を生きるために必要だからです。

「人間は、どのような意味を持った存在なのか。つまり、人間とは何なのか。人間は、どこからか来たものなのか。それとも、偶然に生まれたものであり、唯物的に物としてのみ存在するものなのか」という、人間存在の根本に関する理論は、人生の意味や生き方と大きくかかわっています。

そして、「あの世があることを知らない人間は、『真実の人生とは何か』という問いに答えることはできないであろう」と私は考えています。

そのような人の人生は、非常に小さな箱庭のなかで生きているようなものだと思います。

人間は、もっともっと素晴らしいものです。

みなさんも、言葉としては、これが分かるでしょう。また、人間の尊厳ということも、基本的人権ということも、「人一人の生命は地球より重い」ということも、言葉としては分かるでしょう。

しかし、その本当の意味、根底にある意味は、あの世の存在を信じなくては知ることができないのです。

『旧約聖書』を読むと、「神は、単なる砂や泥から、まるで粘土をこねるようにして世界や人間を創った」というようなことが書いてあります。また、「人間の形をとったものに対して、生命の息吹を吹き込んだ」とも書かれています。

まさにそのとおりです。この「生命の息吹」があってこそ、人間は尊いのです。

それがなければ、人間の体は、分解されて土に還ると、土の成分とまったく変わるところがありません。火葬場で焼いてしまえば、一握りの骨と二酸化炭素や水分以外の何ものでもありません。

それのどこが尊いのでしょうか。二酸化炭素が尊いのでしょうか。あるいは、蒸発した水分でしょうか。残った一握りの骨でしょうか。いったい、どれが尊いのでしょうか。

そう考えたとき、「人間を物質としてのみ捉える人間観を持っている人には、人間の尊さを論理的に導き出すことは決してできない」と私は思うのです。

確かに、人間の体は、死ねば土に還る素材でできています。

しかしながら、素材が尊いのではなく、体のなかに宿っている、生命の息吹とでも言うもの、魂とでも霊とでも言うべきもの この存在こそが尊いのです。
『愛、無限』(幸福の科学出版)P11~13


ぶり返す寒さと新文明の予感と『奇跡の法』

2018-03-21 00:14:57 | 気象・天変地異

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今日は、全国で桜の開花が続いた先週の暖かさが、嘘のような寒さとなりました。

東京では、雪が降る可能性もあるのだとか。

「花冷え」とも言われますが、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますのに、むしろまだ、「三寒四温」なんですね。

日は一日一日長くなり、時と共に、温かくなるものと思いがちですが、ところがどっこい、春ほど気温差の激しい季節はありません。

なぜ春は、こうまで温度差が激しいのかというと、気温というのは、日差しや日照時間などに、実はあまり関係がなくて、むしろ、「今現在、どういう性格の気団が支配しているか。」が問題なんですね。

今は、冬から春への移行期で、冬の高気圧(シベリア気団)と春の高気圧(揚子江気団)とが、がっぷり四つで相撲をしているような時期で、シベリア気団が優位ならば寒く、揚子江気団が優位なら、春の装いとなるわけです。

それが、偏西風によって、どんどん入れ代わり立ち代わり、日本上空に訪れるものだから、寒くなったり暖かくなったりを繰り返し、最終的には、日照時間が長くなって、シベリア気団が北極圏に追いやられて、日本は春になり切ると言うわけ。

日本は4つの気団に影響を受ける地理的条件がありますが、そのような国はとても珍しくて、それが故に、はっきりとした四季があり、梅雨という雨季まであって、日本においては、極地と赤道直下以外の気候を体験できます。

しかしこの、はっきりとした四季の移り変わりや、季節の変わり目の大雨や強風などの荒れた天気が、晴れをもたらす高気圧のぶつかり合いや、新旧の高気圧の勢力争いによっておこるのが面白いところです。

私はここに、文明の栄枯盛衰と神仕組みを感じるのです。

日本の歴史においても、たとえば、聖徳太子の時代とか、大きな戦乱がありましたし、大化の改新などでも国は荒れました。

また、平安末期のには源平の戦いがあったり、室町末期には長期の戦国時代があり、幕末期は動乱と呼ぶにふさわしいでしょう。

これらは、ある意味で、古い価値観の時代が終り、新たな文明が興隆する前の、どうしても不可避な混乱であったでしょう。

今テレビを見れば、日本国民の代表が集うと言われる国会は、「公文書改ざん」という、三流国でしか聞いたことのない問題で、事実上の空転状態であって、まぁ、古い政治が最後のあがきをしているようにも見えるし、まるで日本の神様が、「日本国民よ、早う、古い価値観を見限れ。」と、画面を通じて、教えてくださっているように見えなくもない。

安倍内閣の支持率は30%台に落ちていて、内閣発足意以来の危機ではあるが、安倍さん、どうせ辞めるなら、力を振り絞って憲法改正し、日本国の永続への道筋をつけてお辞めになるのがよろしかろうと思う。

ともあれ、季節が変わるように、古い価値観は新たな文明の基軸に、いつか必ず押し切られます。

それは何も、悪いことではなくて、ホント、ただ、新しい季節が訪れるだけです。

新しい価値感は、日本に再誕した仏陀・救世主によって既に説かれて、2千数百冊もの経典となって、世界に流布されています。

5月には、映画作品となって全国上映されます。

その価値観は、「神の心を心として生き、神の願う地上へと進化させていこうと努力することが素晴らしい」という価値観で、本来の日本の美意識とも一致します。

本日は、経典『奇跡の法』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、仏教やキリスト教など、これまで世界の文明の基軸となった思想と、新たな文明の基軸となる思想の根幹を語った一節をご紹介します。

           (ばく)

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「人生の意味とは」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

「さらば青春、されど青春。」予告編

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=146

仏教は、創始以来二千五百年たって、かなり化石化が進み、救済力が落ちてきています。キリスト教も、創始以来二千年たって、やはり救済力がそうとう落ちてきているようです。

『聖書』に書かれていることをそのまま守ろうとすると、現代社会では生きていけないようなことが数多くあります。
したがって、「今後三千年の人類史をリードしていけるだけの思想を創る必要がある」と私は考えています。

世界的な大宗教の寿命は、ほぼ二千年から三千年ぐらいであり、その間は、その思想の下に、さまざまなものが繁栄、発展し、新しいかたちの文明ができていきます。

かたちとして目に見えるハードの部分を文明といい、ソフトの部分を文化といいますが、文明や文化は、新しい宗教が基盤となって生まれてきます。

そして、その新しい宗教は、仏神と一体となった指導者が現れたとき、あるいは、預言者が天上界からの指導を受けて仏神の心を伝えたときに始まります。

私は、少なくとも三千年後ぐらいまで、すなわち西暦五〇〇〇年ぐらいまでを射程に入れた新文明の建設が、幸福の科学の使命であると考えています。

その三千年の流れのなかにおいては、数限りない光の天使たちが地上に下り、時代の変化に合わせたイノベーションを行っていくことでしょう。

しかし、少なくとも、その世界文明の基礎になる思想を、三千年の視野を持って創らなければなりません。
幸福の科学という団体は、そのような大きな構想を持った運動をしているのです。

そして、三千年後まで影響を与えるということを一つの視点として持ちながらも、もう少し小さな範囲で、「二十一世紀の国家百年の計はどうあるべきか。二十一世紀の国家建設はどうあるべきか」ということを私は考えているのです。

これは百年ほどで過ぎ去っていく些細な問題ではありますが、三千年の視野を持ちながらも、目先の問題として、少なくとも曾孫の代ぐらいまでについての具体的なビジョンを持つことが、現代に生きる人の使命であると思います。三代ぐらい先まで責任を負うことが現代人の仕事なのです。

私はこれからも、人間の生き方や国家のあり方、世界のあり方について、さまざまな提言をしていくつもりですが、その志は、「未来の文明を創る」というところに原点があるのです。

その点をよく理解していただきたいと思います。
『奇跡の法』(幸福の科学出版)P219~222


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