
マツダ ユーノス ロードスター(初代)1989年発売開始 通称NA
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本日は、時折書かせていただいている自動車関連記事です。
私、自動車大好き人間ですので、楽しく書かせていただいておりますけれども、「この分野を、幸福の科学の布教に結び付けるにはどうするべきか。」には、毎回頭を悩ませている代表管理人ではあります。(爆笑)
ただ、取り扱う作品や関連画像が、ネオクラシックと呼ばれる分野に該当するようで、「昔懐かしの感があるのやも?」でして、結構評判よろしくて安堵しちょります。
私自身もスーパーカー世代ではあるのですが、実は記事としては、「社会に与えた影響」という観点から記事を書いているつもりでして、最近の作品も好きなものは多いですけれども、どうしても過去の作品にスポットが当たっています。
今回の対象は、1989年発売のユーノス・ロードスター(現マツダ ロードスター)です。
1980年代後半から2000年あたりまで、自動車に関して言えば、ジャパン・アズ・ナンバー1な時代でございました。
はっきり言えば、日本で一番なら、世界でも1番の時代があったのです。
世界で最も早く排気ガス規制と燃費問題を克服し、性能問題解決策を構築したのが日本メーカーでした。その日本メーカーの世界的な立ち位置を、事実上引きずりおろしたのが、日本の運輸省(現国土交通省)ですけれども、文字数制限がありますので、それは過去記事をご参照くださいませ。
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そのジャパンアズナンバー1な時期でも、1989年というのは、世界に与えた作品が数多く生まれた当たり年ですけれども、今回はその中でマツダの小型スポーツカー、ロードスターに着目してみたいと思います。

マツダロードスター(以下ロードスター)と言えば、小型軽量で、そこそこのエンジンを積んでいるオープンカーで、ライトウェイトスポーツと呼ばれるカテゴリーに属する作品で、私が子供のころは、イギリスのMGミゼットや、イタリアのアルファロメオスパーダ―など、まだそのカテゴリーに属する新車が発売されていましたが、ロードスター発表の1989年には、世界から消えていたジャンルなんですね。
なぜ消えたかと申しますと、80年代から世界的に厳しくなり始めた車体安全基準を、小さなオープンカーではクリアできなかったからです。
大きな車体ですと、ボディなどを強化すれば何とかなったのでしょうけれども、小型軽量ですと、技術的にもコスト的にも厳しかったですし、頑丈にしてしまえば当然重くなるわけで、ライトウェイトな作品ではなくなってしまって、それでは売れる商品にはなりません。
世界の自動車メーカーは、膨大な開発費用のかかる車両の新規開発を諦め、それまでのモデルが発売中止と同時に、世界中で次々とカタログモデルから消え続けていたわけです。
そのような自動車を取り巻く社会環境の中、ロードスターは発売され、瞬く間にヒット商品となりました。
しかし、重量1tを下回る車両重量で、安全基準をクリアするとは、マツダの技術力の凄さを垣間見る歴史的事実です。
当時マツダは、販売チャンネルの多角化をしていて、その後バブル崩壊と共に、会社自体が危機的状況に陥るのですが、その中でスポーツカーでありながら、マツダの唯一の光明と呼べるくらい売れ、累積販売台数で、4代目(NDモデル)となった今では、「世界で最も売れたオープンカー」としてギネス記録を持っています。
デザインは、かつてのロータスエラン(英)に似ていて、今見ても可愛らしい普遍性を持っています。またリアコンビネーションランプは、デザイン性と機能性の両立を評価されて、ニューヨーク近代美術館(MoMA) に展示・永久収蔵されているとのこと。

またディズニーのアニメ映画、「カーズ」の主役マックイーンに似ているようにも思うのですが、それは私だけが思っているだけかも知れません。
さて発表当時、世界でオンリーワンな存在だったロードスター、世界中のニーズを独占したわけで、それは世界の自動車メーカーも奮い立ちました。
マツダの英断により、「ライトウェイトオープンスポーツカーに、十分な顧客ニーズがある。」ということが証明されたからです。
そしてイギリスの名門MGからMGFが、ドイツからはBMW・Z3やメルセデスベンツSLK、イタリアからはフィアットバルケッタなど、ロードスターと同じ企画であるライトウェイトオープンスポーツカーが、次々と雨後の筍のように発表されました。
ロードスターは、ライトウェイトオープンスポーツカーの中興の祖となったのですが、ロードスターが偉大だったのは「その後」なんですね。
日本のマツダロードスターの成功を受けて、たくさんの作品が世に出たライトウェイトオープンスポーツカーですが、当時から約30年後の今現在の世界には、ライトウェイトオープンスポーツカーは、またマツダのロードスターだけになっているのです。
他の作品は、あるものはカタログモデルから消え、あるものは肥大化し、大きなエンジンを積んでしまったからで、ロードスターはまた、「オンリーワン」な存在となっているのです。

これはマツダというメーカーの、ロードスターに対する志もありましょうが、やはり、ライトウェイトオープンスポーツカーという分野が、商業的な面において、そうとう難しいカテゴリー作品であることだと思います。
自動車というのは、特に日本では誤解されがちなのですが、自動車は小さければ小さいほど、作ったり利益を出すのが難しい商品なのです。
自動車というのは、大きな作品も小さな作品も、エンジンは1個、ハンドルは1個、タイヤは4つと、基幹部品に大きな差はありませんので、大きなエンジンを積む大きな作品で、大きな動力性能を持つのは簡単ですが、小さなエンジンで、動力性能を稼ぐのは大変です。
また、大きな作品だと高級化できて、高額で売ることができますが、小さな商品だと値段を高くできないので、利益を出すのは高級車が圧倒的に有利です。
結局、ロードスターオンリーワン現象は、「今、日本以外の国で、利益の薄い小型車で、利益を出すノウハウがある国は、もう存在しない。」という現実を、示していると思うのですね。
かつて、日本の軽自動車の税金が、他の小型車と比べて安いことが、欧米など自動車主要国から、まるで輸入障壁のように言われたことがありましたけれども、日本人的には、「だったら、欧米の人たちも、軽自動車を作ればいいじゃないか!」と思うのですが、その背景には、「彼らには、軽自動車を作ったり、それで利益を出すことができない。」という現実があるわけです。

そしてもう一つ言えることは、1989年からずっと、マツダはロードスターを作り世に出し続けているのですけれども、ロードスターは他の商品とは、エンジン以外の部品の共有部分がほとんどない独立した作品で、結構高コスト商品です。
これを作り続けていられるのは、「ロードスターを作って売っても利益になるように、安く安定した部品供給体制が、今の日本にはある」ということを示しています。
これは、世界のシェア90%以上、事実上100%を持つ、部品大国日本の産業形態が大きいのですけれども、この世界でも稀有な技術力と、製造能力を持つ部品メーカーのほとんどは中小企業です。
これを、不景気であるとか、自己責任であるとか、そういう薄っぺらい観点で失っては、国富そのものが危うくなるということで、何としても、次世代まで頑張って企業経営していただいて、日本の富を支えていただかなければならないと思うのです。
それは、事実上世界のシェア100%ということは、「日本の部品メーカーが頓挫すれば、世界ではその日から、日常の工場製造ができない」といことで、とても重い責任を持ってるということです。
これは絵空事ではなくて、東日本大震災のとき、東京での長期の計画停電で、東京の下町の部品工場が操業できず、その結果、ドイツやアメリカで自動車工場が操業停止になったことがあっています。

小さな企業は、経営基盤は小さく、ちょっとした景気変動や、資金の不足に悩んでいます。
2020年からと言われている10%消費増税は、そうとう企業基盤を揺るがすと思われます。
さて今、この国の政府は、森友資料改ざん問題で揺れています。
森友と言えば文科省かと思いきや、財務省が叩かれているわけで、私にはその因果関係などはよくわからないのですが、政府はこの苦境、減税で乗り切ってみてはいかがでしょうか?
どうせ、国民の信用を失った財務省で増税は無理でしょうから、いっそ「1000兆円を超える国債は、国民の借金ではありません。これは政府の借金ですので、これを機会に国民の皆様に稼いでいただき、自然増で税収増を目指す財務省に生まれ変わります。」とでも言えば、国民も、「おおこれで、雨降って地固まるじゃな。」と言って納得なさるんじゃぁないでしょうかね。
本日は経典『震災復興への道』(幸福の科学出版)より、財務省の経営能力のなさを批判した一節をご紹介いたします。
(ばく)
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「友情を築く」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋
マツダ新型ロードスターを初代ロードスターと対決させてみた!!
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=38
私は何度も述べていますが、財務省は駄目なのです。
「財務省にいる人たちは、一つの会社さえ満足に経営できない人たちなので、その財務省に操縦されている政治家の意見に翻弄されてはいけない」ということを、どうか知っていただきたいのです。(中略)
例えば、個人が、銀行から三千万円を借りて、三千万円のマンションを買ったとします。この場合に、「借金が三千万円もあるから大変だ。もう破産する」というような騒ぎ方をしているのが、今の政府なのです。
しかし、三千万円の借金はありますが、もう一方には、三千万円のマンションという資産があるわけです。つまり、それは、いざというときに、転売すればお金に変わるものですし、値上がりすれば利益が出ることもあります。あるいは、そのマンションを又貸しすることも可能です。
そのように、「負債」に見合うだけの「資産」があるのですが、財務省は、この資産の部分について、一切、公表していません。それを知らなければいけないのです。
また、例えば、(中略)銀行から一億円を借りて、一億円の工作機械を入れたら、それで金型をつくり続けることができます。つまり、それを商品として売り続けることができるわけです。借りた一億円が、それ以上のものになって返ってくるのです。
これが近代資本主義の精神です。
貸借対照表の一方に借金があったとしても、もう片方に資産の部分が着実に増えていけばよいわけです。(中略)
確かに、その資産の部分について、それが、「投資に当たるものなのか。単なる浪費にすぎないものなのか」を見分けるのは難しいことです。
今回は、堤防などを単なる浪費だと思っていたのでしょうが、浪費ではなかったということです。また、水力発電のダムも浪費ではなかったことが分かったと思います。
今後、東日本、特に東北地方を中心に、もう一回、インフラの再構築をしなければなりませんが、これは単なる浪費ではありません。
使ったお金の分だけの財産が、きちんと残っていくものなので、そこを間違わないようにしなければいけないのです。
こういうときには、国債でも他のものでも構わないので、気にせずに、お金を集めてインフラをつくったらよいと思います。そうすれば、そのお金に見合ったものが、きちんと財産として残ります。
したがって、国の財産と思われるものを正直に発表したらよいのです。
「これ以上、国債残高が増えたら、日本もギリシャのようになる」などと言われていますが、それは、財産の部分について発表しないからです。(中略)
発表したがらないのは、国あるいは地方公共団体に財産があることが分かった場合、「そんなに財産があるのなら、税金を取らなくてもよいではないか」と言われるからです。
財務省は、税金をもっと取りたいので、減税圧力をかけられるのが嫌なのです。あるいは、「そんな無駄な資産を持っているのか。それを売りなさい」と、すぐに言われるので、発表することができずにいるわけです。
このあたりに対してはマスコミもまったく無力だと思います。
『震災復興への道』(幸福の科学出版)P45~49
カーズ/クロスロード 『エンジン』 奥田民生