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世の中はゴールデンウイークの真っ最中で、5月3日は憲法記念日です。
毎年、憲法記念日には、憲法問題がマスメディアでも語られるのですが、「現行憲法擁護」の護憲派も、「憲法改正すべし」の改憲派も、どんどん議論すべきですが、日本がここ10年あまりで、憲法議論ができる国になったことは、これは立党から10年となった幸福実現党の影響ではないかと思うのです。
幸福実現党が立党したのは、鳩山氏率いる民主党が政権交代した2009年ですが、そのころはまだ、憲法改正を公に語ると右翼と勘違いされていました。
そのころの日本には、左翼政治に対する体系的な批判軸がなかったのですが、立党以来、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、次々と政治思想を述べ続けてきましたので、それで日本に、体系的な新たな保守思想ができているのです。
議論できるようになったのは、とてもうれしいことです。
ただ、護憲派理論も、改憲派議論も、大事な論点が抜けているのではないでしょうか?
それは故渡部昇一先生の著書に書かれていたことですが、「現行の日本国憲法も、旧憲法(大日本帝国憲法)と同じ欠陥を持っている。」ということです。
それは何か。
第1に、統帥権(とうすいけん)、つまり「実在する軍を、誰がどのように動かすか。」という論点が、欠如しているということ。
第2に、「変えられない。」ということです。
旧憲法では、陸海軍は大元帥である天皇に統帥権があり、政府の指示に従う必要はありませんでした。これは、幕末の維新革命が王政復古の大義名分があったことと無関係ではなかったと思います。
つまり、国軍兵士は幕府や諸藩の兵ではなく、「天皇の兵士である。」という大義があったのが旧憲法で、選挙で選ばれた文民政治による、シビリアンコントロールができないのが旧憲法だったのです。
ですから極論的には、戦前の政治が軍を指揮命令することは、憲法違反だったのです。
しかし現行の日本国憲法の欠陥は、旧憲法もっと深刻です。
というのも、日本国憲法が施行された1947年で、現自衛隊発足が1950年ですが、現行憲法には、「自衛隊とは何か、またどう使うか。」の記載がありません。
現憲法は、自衛隊発足時に改憲するべきでした。
ということは、超々極論を申し上げると、自衛隊が国会を無視して、勝手な行動を起こしたとしても、憲法違反にはならないとも言えます。
もちろん自衛隊法はあるのですが、「憲法に書かれていない法律は無効」の原則ならば、自衛隊が戦前の日本軍のように、国会を無視したとしても法律違反ではないと、解釈できなくもないわけです。
ということは、旧憲法=戦争憲法、現行憲法=平和憲法という分け方は、絶対に正しくなくて、同じ軍事的欠陥を持つ憲法ということです。
つまり護憲派の方々に言いたいのは、「現行憲法であれば、日本の外敵内的環境が揃えば、戦前と同じ状況になる可能性がある。」ということです。
それで良いのでしょうか?
https://info.hr-party.jp/2019/8694/
第2の「変えられない。」というのは、旧憲法が欽定憲法、つまり明治天皇から国民に下賜されたものだったので、戦前の社会において憲法問題は、たとえ欠陥があっても、絶対的なタブーな話題だったのです。
議論すらできなかった旧憲法よりは、まだましなのかも知れませんが、現憲法の20年前くらいまではそのような風潮でした。
ただ現憲法においては、憲法改正においては、国会議員の3分の2の賛成と、国民投票によって過半数を得る必要がありますので、そのような政治状況というのは、かなり厳しいのは厳しいです。
ただ今の安倍政権は、衆院では3分の2ありますので、大川隆法幸福の科学グループ総裁ではないが、「これでできないなら、総理大臣やめなされ。」と言いたいですね。
まとめると、「戦前のようになりたくないから、憲法改正には反対。」と言う方、「それでは、あなたの平和への願いはかないませんぞね。」ということなんです。
ということで本日は、経典『奇跡の法』(幸福の科学出版)より、大川隆法総裁による、政治と宗教との関わりについての、法話の抜粋をご紹介いたします。
(ばく)
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北朝鮮には9条を適用外に!釈量子「幸福実現党」党首が街頭演説2017.10.08
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=146
「宗教と政治のかかわりをどう考えるか」という問題について述べたいと思います。これはなかなか難しい問題です。
「政治と宗教の関係はどうあるべきか。政教分離は正しいのか、正しくないのか」というような議論は、憲法論議と併せて、今後も続いていくだろうと思います。結論からいえば、過去の歴史を見るかぎり、宗教と政治の明確な分離は不可能だと思います。
宗教というものは、仏の意志、あるいは神の意志という、超越したものからの、国民あるいは人類に対するメッセージをもとにしています。「人間よ、これにもとづいて生きていけ」ということなのです。
そのなかには政治の原理と重なる部分があり、それを完全に分離することは、おそらく不可能だろうと思います。
たとえば、ユダヤ教は建国の思想そのものと関係があり、政治の原理と一致している部分があります。
キリスト教においてはどうでしょうか。イエスが生きていた当時のイスラエルは、ローマの植民地、属領であったので、政治的独立運動がかなり華やかでした。イエスをキリスト(救世主)、メシアとして仰いでいた人たちのなかにも、その中心に、そういう政治的独立運動をやっていた人たちがかなりいたのです。
このように、イエスの運動そのものにも、政治的独立運動に近いものが背景にあったため、イエスが政治的指導者として充分な仕事ができなかったことに対する失望がそうとうありました。
これが、キリスト教とユダヤ教が分かれていった理由です。ユダヤ教において救世主になるためには、政治的指導者としての成功がなければならないのです。メシアとは、「油を注がれたる者」ということであり、やはり一種の王様なのです。天意を表し、人民をまとめていく王様であるわけです。
ところが、イエスはそこから離れて、心の世界、霊的世界のほうに入っていったために、ユダヤの正統なメシアとしては認められなかったのです。ただ、イエスが政治から離れていって心の世界を説いたことで、逆に普遍性が出て、その教えが民族を超えて広がったという面もあります。 しかし、キリスト教においても、政治との分離はやはり難しいものがあり、イエスの時代や、それ以後の初期のキリスト教徒たち
は、いわば非合法時代の共産党運動に近いものをやっていたのではないかと思われます。外からは、そのように見えます。
また、釈尊はどうであったかというと、彼は政治的に中立の立場をとっていたようにも見えますが、もともとの出自が王子なので、政治との親和性はかなり持っていました。
一定の権威を持って、国王に対して方向性を述べたり、「戦争をすべきでない」ということを述べたりしています。具体的な政治権力を求めたという史料はありませんが、政治に対して意見は述べており、国王をしのぐ権威を持っていました。
『奇跡の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P138~141
「もし俺の彼女が憲法9条だったら?」~日本の国防体制は大丈夫?【ザ・ファクト】
釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/
☆大川隆法幸福の科学グループ総裁御法話☆
演題 「自由・民主・信仰の世界」
日時 5月14日 18時40分より
場所 本会場 幕張メッセ 衛星会場 全国支部・精舎
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2182
☆大川隆法幸福実現党総裁・釈量子幸福実現党党首
演題「君たちの民主主義は間違っていないか。」
日時 5月22日(水)18時50分~
場所 本会場ベルサール高田馬場 衛星会場全国支部・拠点・精舎
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