トヨタ セリカ GT リフトバック (2代目 A40 1977~1981)
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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。
本日は久々の、「自動車から見える日本と世界」です。
この企画、お仲間からも賛否両論あるのですが、アクセスの面では結構根強いご指示をいただいておりまして、「自動車関連記事投稿後は、アクセスが増える」というジンクスまでございます。
それはおそらく、「最も高価な嗜好品」と言われる自動車という製品から見える「社会」という、他とはまったく畑違いの記事からの布教でして、それには、おそらく誰も経験したことにない「生みの苦しみ」はあるのですが、であるからこそ、新たな顧客創造、つまり「新しいお客様とのご縁」がいただけているのではないかと、私は勝手に考えております。
さて今回は、過去の自動車で起こったドラマが、いかに「WITH SAVIOR」(救世主と共に)という、宗教における、最大の福音をお伝えするドラマに変身するのでしょうか。
そこで今回登場するのはトヨタセリカの2代目で、このブログでは、これまでセリカは結構多く取り上げている車種です。ここでは「影響力」を重視しますので、セリカは日本自動車史上、それだけ影響力のあった作品なのだと思います。
さて、1970年にデビューしたトヨタのスペシャリティカー「セリカ」は、1977年8月に約7年ぶりのフルモデルチェンジを実施し、2代目となりました。
アメリカトヨタの手によるデザインによって、初代同様、2ドアノッチバックのクーペと、テールゲートを備える3ドアファーストバックのリフトバック(LB)がラインナップされました。
又、初代のピラーレスハードトップから、ピラー付のサッシュレスドア仕様に変更され、初代から大幅なイメージチェンジをはかったのですが、人気の面では、残念ながら初代モデルに及びませんでしたが、今見ると、2代目はけっこう攻めたデザインで、個性的です。
私はこの2代目、結構すきなんですが、まあ、初代が「国産車ベストデザイン」にランクインする、超偉大な作品でしたので、ちょっとかわいそうな存在だったかと思います。
初代セリカLB (A20/30 1990~1977)
「国産ベストデザイン」とも言われる初代、前期・後期と別れますが、デザイン上で一貫しているは、「奧目」で「ほりが深い」ところなのではないでしょうか?
初代セリカほど、ヘッドライトをボディーの奥側に配置し、「奧目」を強調している作品は、世界の自動車作品の中でとても少ないと思います。
日産のケンメリスカイラインなども「奧目」なデザイン処理ですが、ヘッドライトがボディの奧にあると、なぜだかワイルドな雰囲気が出るように思えます。
2代目は一見すると、初代の延長線上に、近代化したデザイン処理がされているのですが、空力性能を重視したのか、ヘッドライトが、相対的に前に出てきているように見えてしまいます。
初代と2代目のデザインの見え方の違いは、このヘッドライトの奥行きの処理の違いで、2代目は「可愛く、とぼけた雰囲気」に見えてしまったのだと私は思います。
そして1979年8月にマイナーチェンジを実施し、ヘッドランプを丸型4灯式から角型4灯式に変更などのフェイスリフトのとき、角形ライトをボディ奧に配置し、初代のように、奧目がちなデザイン処理となりました。
結果、後期の角目セリカの方が、前期より初代に似た、チョイ悪のワイルドな雰囲気となり、人気が少し回復しまして、特にCMで、当時の日産スカイラインジャパンに「名ばかりのGTは、道を開ける。」と挑発した、クーペに人気があったとお聞きしています。
2代目セリカ後期は、最終型でリアサスペンションを独立化するなど、モデル半ばで大幅なクオリティを上げ、かなり強気でした。
一方、排気ガス規制でDOHCエンジンを持たなかった70年代の日産ですが、こちらも負けていなくて、ターボチャージャーを搭載したスカイラインが販売されると、ターボ装着車のなかったトヨタに対して「スカイラインを追う者は誰か。」とやりかえすなど、面白い時代でしたし、トヨタと日産が、セリカとスカイラインでやり合ったことが、その後80年代に入って「パワーウオーズ」と呼ばれ、日本車が急速に性能を上げ、「世界で一番早いのは日本車」と言われるまでになっていく、十分なきっかけになったのは間違いありません。
という意味でも、2代目セリカ、そしてジャンルは違えどライバル視されていた日産スカイライン(ジャパン)は、その後の日本車の分岐点になったのですが、今回取り上げるのは「セリカのデザイン革命」です。
マイナーチェンジした2代目セリカGTクーペ(A50)
さて、「セリカ史上最も地味」と言われている2代目の、どこが一体「デザイン革命」なのかというと、「バンパー」です。
2代目セリカ以降、自動車の部品のひとつであるバンパーに、デザインと機能の面で、大幅な革命が起こったのですね。
そもそもバンパーとは、ボディーの前後に付いている緩衝装置のことで、衝突した際に、その衝撃エネルギーをバンパー自体が変形することで吸収する役割を持っています。
ただかつては、国家や地域によって、車体のバンパーに対する、メーカーや顧客の認識には、かなり違いがあったように思えます。
欧米でのバンパーの認識は「車体を衝撃から護る物」ですが、日本的感覚では「車体デザインの一部」というものだろうと思います。
日本車にとって、バンパーの概念は「デザインの一部」であるからこそ、初代セリカやケンメリスカイラインで、「これは飾り?」とも言える、大胆なデザイン処理ができたと思うのですね。
この認識の違いは、実際に衝突した時などの、自動車の所有者の対応の差となって現れます。
たとえば日本では、事故などでバンパーが傷ができると、所有者の感覚で言えば、まるで車体に傷ができたときと同じ気持ちとなりますが、欧米諸国の人々の感覚では、バンパーの傷などは、全く気にしないらしいのです。
それだけでなく、欧米では、街中での縦列駐車の際、前の自動車のリアバンパーを、自分の自動車の前バンパーに当て、後ろの自動車の前バンパーを、自分の自動車の後ろバンパーで押して、駐車スペースを確保するのですね。
動画がありましたので、ご覧ください。
日本的感覚なら、とても信じられない、驚くべき光景ですが、彼ら欧米人にとっては、これがごく普通の街の光景なのです。
パリの路上駐車
彼らは、このようなバンパーの使い方をするので、欧米では、街中での駐車時には、パーキングブレーキをかけないとも言われます。
「そもそも」のレベルで、このようなバンパーに対する常識の違いがありますので、欧米人はバンパーが傷ついても、何も思わないらしいのです。
かつて「カンガルーバンパー」と呼ばれるものがありましたが、これは文字通り、カンガルーをはねた際に、車体が傷まないようにするバンパーです。
カンガルーなど大型の動物にぶつかれば、車体は無事ではすみません。
広大な砂漠地域で、救援も期待できない状況下で自動車が損壊でもすれば、ドライバーの生命が危機にさらされますので、機能として理解はできるのですが、「もし人が当たったら、どうなるのか?」を考えると、背筋も凍る思いがいたします。これなども「あくまでバンパーは、車体を護る物」という認識なわけです。
カンガルーバンパー装着車
ただ、1970年代に、自動車業界に大きな衝撃を与えた社会的なできごとが起こります。
1973年からアメリカでは、大型のバンパーが取り付けられることになったのです。これは、衝突時にバンパーをはじめとするラジエター、操舵装置、燃料タンク、排気系などに大きな損傷を与えないようにするためといわれています。
これは、通称「5マイルバンパー」と呼ばれていて、時速5マイル(約8㎞/h)で衝突した場合に、バンパーが衝撃を吸収し被害を最小限にするための措置と考えられています。ただ実際には、諸説あるようですが、保険会社が低速度での接触事故が後を絶たず、多額の保険金の支払いに対する措置だといわれることが多いようです。
つまり、5マイルバンパー(日本名・衝撃吸収バンパー)は、「多額の保険請求に困った保険会社が、アメリカの政治を動かして作ったバンパー」だったと思われます。
当時の日本では、トヨタが5マイルバンパーを装着したコロナを「安全のコロナ」と銘打って販売していましたので、5マイルバンパーを「安全」という観点から普及させようとしていたと記憶していますが、所詮、時速8km分衝撃を吸収できたとて、危険なことに変わりはないわけですし、鉄製のバンパーなら、ぶつかれば大怪我をするのは間違いないことですから、やはり「車体を衝撃から守る」という観点から、5マイルバンパーは一歩も出ていないと思われるのです。
初代セリカGT 5マイルバンパー装着車
そこで当時の日本車でも、特にアメリカ輸出量の多いにモデルに、5マイルバンパー装着車が多かったのですが、トヨタの初代セリカなどは、まるで総入れ歯のような出で立ちですよね。
5マイルバンパーは、アメリカ議会の決定により、急遽設定された経緯もあり、元々大型のバンパーを装着していたアメリカ車はまだしも、運動性能重視で小型バンパーを好むヨーロッパ車や、バンパーをデザインと考える日本車には、スタイル的には、バンパーから突き出した突起物が目立ちました。
実際に、輸出を予定していないモデルなどには、5マイルバンパー未装着なものも多かったのですね。
ただ、法制定されて以降に企画された車種だと、日欧とも、それなりにデザイン処理されたものも多くなってはいましたが、車体にショックアブソーバーや、衝撃ショックを支える頑丈な構造ゆえ、車両重量重量が大幅に増し、小型車の多い日欧の自動車メーカーらは、重くデザイン処理の難しい5マイルバンパー対策に、困惑していたのは間違いありません。
ある意味で5マイルバンパーは、マスキー法などの排気ガス規制同様、大量消費地であるアメリカが仕組んだもので、もともと図体が大きく、5マイルバンパーの影響の少ない商品の多いアメリカ自動車産業を守るための、戦略のひとつだったとも思われます。
セリカ初代クーペ北米仕様
金属製バンパーの最大のメリットはコストが安いこと、そしてプレスで成型でき、ぶつけたとしても板金修理が可能なので安価に直すことができました。
デメリットとすれば、金属なので重いこと、特に、衝撃吸収システムを設定したり大型化すれば、更に重量はかさみます。
特にバンパーは、車体の前後に存在するので、ボディの前後が重いと、遠心力などが多く発生し、コーナーリング性能など、運動性能に強く影響しますし、走行中は最初に走行風を受ける場所ですので、ここが空気をうまく切り抜けできない形状であれば、空気抵抗が大きくもなります。
しかしウレタン樹脂は軽く、また衝撃を受けて後の復元力、すなわち衝撃吸収能力がありましたので、金属製の5マイルバンパーのように、車体内部に頑丈で複雑な台座をつくる必要もなく装着が簡単です。
そしてデザインの自由性も高く、マツダ2代目カペラ以降、急速に発展した空力ボディが作りやすかったのです。
つまり、重量・衝撃吸収能力・製造コスト・空力の、当時世界中の自動車メーカー抱えていた4つの問題を、ウレタンバンパーは一気に解決してしまったのですね。
2代目セリカは、実質世界初めて量産車にウレタンバンパーを装着しましたが、その後、金属製のバンパーは市販車から姿が消えてしまいました。
まさに、「第3次デザイン革命」が起きたのです。
そしてもう一つは「安全性」という価値の定着です。
それまでのバンパーの概念は、世界的基準は「車体を守る」、日本的には「デザイン」でしたが、そこに「安全性能機能の一部」という価値観が発生した分岐点は、2代目セリカによるウレタンバンパーの急速な普及だったと思われます。
今の自動車のバンパーの主流は、ウレタンよりもさらに軽いポリプロピレン製です。
内部構造は空洞で、衝突した際に、そのエネルギーをバンパー自体が変形することで吸収する仕組みです。また車体側は、フロントバンパーリンホースメントと呼ばれる衝撃吸収構造になっており、前面にはいくつもの大きな穴があけられています。
裏側には非常に硬い鉄板が取り付けられ、フロントバンパーリンホースメントでは吸収しきれなかった衝撃は、もうひとつのエネルギー吸収装置であるクラッシュ・ボックスをつぶすことで衝撃を和らげる構造となっており、今では全世界で、「バンパーは安全性能を高める機能」として認識されているのです。
さらに最近の車に装着されるようになってきた「ポップアップボンネット」など、衝突時にボンネットが上に持ち上がることで、歩行者への衝撃を緩和しようというものも出てきており、衝突安全システムは、年々進化してきております。
華々しいセリカの歴史の中で、2代目セリカはとても地味な存在ではあるのですが、「歴史の分岐点」であり、「新時代の方向性を示す」という点では、とても偉大な作品であったと私は考えております。
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大川隆法総裁 2018年エル・カンターレ祭 大講演会 「奇跡を起こす力」抜粋版(千葉県・幕張メッセ)
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=120
ユーゴーが書いた『レ・ミゼラブル』という小説に出てくる、ジャン・バルジャンという貧しい人は、フランス革命後の時代に、ガラスを割って一個のパンを盗んで逮捕され、密猟の罪にも問われて、五年の刑を宣告されます。そして、四度も脱獄を試みたため、結局、十九年も監獄で過ごすことになりました。
刑期を終え、出獄したジャン・バルジャンは、ある司教の家で夕食を食べさせてもらい、その家に泊めてもらうのですが、夜中に、高価な銀の食器を袋に詰めて逃げ出します。彼は、すぐに憲兵に捕まりました。憲兵は彼を司教のところに連れていき、「これは彼が盗んだものですね」と司教に尋ねます。
しかし、司教は、ここで予想外の返答をしたのです。
「いいえ、これは私が彼にあげたものです」
そして、司教は、「あなたには『銀の燭台も持っていけ』と言いました。どうして燭台を置いていったのですか」と言い、燭台まで彼に渡してしまいます。
これは「神の許し」です。これでジャン・バルジャンは立ち直るのです。
やがて市長になった彼は、警官に追われる身でありながら、身寄りのない子供を引き取って育てていきます。彼は、善人になり、宗教的人間になって生きていくのです。
そこで描かれているように、宗教には人間を根本的に変える力があります。神や仏の力には、この世の論理を超えて、人間を立ち直らせ、変える力があるのです。
これに当たることが幸福の科学のハワイ支部でも起きました。ハワイには、麻薬で捕まり更生施設に入れられている人がたくさんいますが、その施設のなかで当会の教えを学ぶことによって立ち直った女性がいるのです。
その人は、「ホーリー・レディ(聖なる女性)」と呼ばれるようになり、今では、かつての自分のように苦しんでいる人たちを救おうとしています。
そういう力が宗教にはあります。宗教には、そういう素晴らしい力、人間を根本的に変えていくだけの力が、実はあるのです。宗教は、そういう仕事もしているのです。もちろん、病気を治す力もありますが、人間そのものを変える力が宗教にはあります。
どうか最後まで希望は捨てないでください。
どんな苦境にあっても、必ず、立ち直るチャンスはあります。
すべてに道はあります。
一つのドアが閉まっても、別のドアが開きます。
信仰は、本当は、すべてを解決する力を持っています。
ただ、あなたがたにも努力を要請します。
信じることの大切さを決して忘れないでください。
決して順風満帆のときばかりではありません。追い風ばかりではありません。しかし、どんなに苦しくても、朝の来ない夜はないのです。
たとえ、病院に入院していて、夜中に目が覚めて、涙を一人で流すときにも、「主はあなたと共にある」ということを、どうか忘れないでください。
『朝の来ない夜はない』(大川隆法著 幸福の科学出版)P55~59
1979トヨタセリカ(TA45)cm (toyota celica japanese commercial)
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遊び心満載の軽自動車です。
グーグル ホンダシティターボ で検索
ホンダシティターボ
https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17301489
※合理性と遊び心が見事に融合したホンダの名車。
トヨタや日産などの他のメーカーでは絶対につくれない稀有な軽自動車である。
私、シティー大好きで、過去に記事にしたことがあります。
https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/5c894f32a338d54cd1498b3249510355
しかしその後、ホンダは「低重心」にシフトしましたね。背高でショートホイールベースだったので、高速道路とか問題があったのでしょうか?
今の技術でまた作って欲しいものですね。