日産フェアレディ240Z(ラリー仕様)L24型6気筒エンジン搭載
本日も幸福の科学高知なかまのぶろぐに起こしいただき、本当にありがとうございます。
本日は久しぶりに、時折お届けしているカテゴリー『自動車から見える日本と世界』です。
実はこれ、宗教布教ブログとしては、とてもリスクのある、またスリル満ちた題目なんですね。
なぜかと申しますと、自動車うんちくだけでは、布教にならないからなんです。(笑)
今回も無事に、自動車に関心のある方をうならせつつ、布教に持ち込めるのか。(爆笑)
さて自動車と言えば、最近では電気自動車もチラホラと登場し初めておりますが、大体において、エンジンという動力源がございますよね。
このエンジンには、時折「名機」と言われる、歴史的な代物が出てくることがあります。
名機は「優れたエンジン」と言われるものではあるのですが、実は、ただ単に性能が優れていたり、実用性に富んでいるだけでは、自動車業界では「名機」と呼ばれることはないのですね。
ということで、名機の誉れ高いエンジンの実例を挙げてみますと、トヨタでは、「2TーG」や「4A-G」などの、小型の直列4気筒DOHC1600㏄エンジンが有名です。
各世代のセリカや、カローラレビンに搭載されていました。
日産では、サニーなど多くの車種に積まれた「A型」という、直列4気筒OHV1000~1400㏄エンジンや、「L型」という、ブルーバードやスカイラインなど、多くの車種に積まれた、直列4気筒・同6気筒の、OHC1300~2800㏄のエンジン、そして「RB26DETT」という、第2世代スカイラインGT‐Rに搭載された、直列6気筒DOHDターボエンジンが「名機」と言われています。
そのほかスバルでは、歴代レガシーやインプレッサに搭載され、最近製造を中止した「EJ20」という、水平対向4気筒DOHCターボの2000㏄エンジンが「名機」として扱われ、三菱では近代のギャランやランサーに搭載された「4B63」という、直列4気筒DOHCターボ2000㏄が、長年「名機」と呼ばれていました。
これらから抽出される「名機」には、一定の条件が存在するのです。
それは、まず第1に「丈夫で壊れないエンジンであること。」
そして第2に「一定のまとまった製造数があること。」
第3に「豊富なチューニングパーツが製造されていること。」なんですね。
つまり、これら「名機」が製造されていた現役時代には、「実はもっと優秀なエンジンはあった。」ということが、結構な確率で存在するのです。
たとえば、セリカやカローラレビン(TE27)などに積まれていた「2T-G」だと、最高出力は115馬力ですが、2T-G現役当時には、三菱にギャランGTO-MRに積まれていた「4G32」型という、125馬力を発生する直列4気筒DOHCエンジンがありました。
またいすゞには、117クーペやベレットGT-Rに搭載されていた「G161W」という、120~130馬力を発生させた、直列4気筒DOHCがありました。
カタログ上の馬力数値も、三菱製やいすゞ製の方が、トヨタの2T-Gより上回っているだけでなく、実際の走行インプレッションでも、三菱製やいすゞ製の方が、実用トルクも強く、実際にサーキットを走らせても速かったんですね。
トヨタスプリンタートレノ(AE86) 4A-G搭載車
また日本一の人気者「ハチロク」こと、AE86に搭載されていた130馬力の4AーGも、同じ時期のホンダCR-Xに搭載されていた、135馬力のZCエンジンの方が力強く、サーキットランでも、ハチロクはFFのCR-Xに勝てていなかったことは、このブログで以前記事にしたことがあります。
同様に、スカイラインやフェアレディーZなど、日産の上級スポーティーカーに搭載されていた6気筒のL型も、現役当時には、同時期のトヨタのM型という、直列6気筒OHCエンジン(2000~3000㏄)の方が、「静かで、回転の上昇がスムーズで、実用トルクも豊富」という評価だったのです。
そう、今現在「名機」と言われるエンジンで、製造現役時代に名機と言われていたのは、日産のスカイラインGT-Rやフェアレディー432Zに搭載されていたS20エンジンや、おなじく日産の、第2世代GT‐Rシリーズに搭載されていたRB26DETTエンジンくらいで、実際は「ほとんどない」と言っても過言ではないのです。
エンジンも、現役時代はそれほどの評価でなくとも、製造終了後、評価が変わることが多く、そこがとても不思議な点でもあります。
ではなぜそのような現象が起こるかを、「名機」のその作られた背景を元に、考察してみたいと思いました。
そこで実例として、長い現役時代にモータースポーツ歴が他の名機と比べてとても少ない、日産の「6気筒L型」から、私なりに読み取ってみたいと思います。
2台目セドリック2800(K型カウンターフローOHV6気筒エンジン搭載)
昭和35年から昭和46年まで、日産には、セドリックスーパーに搭載されていたOHV(オーバーヘッドバルブ)形式の6気筒がありました。
当時の自動車メーカーにとって、OHVは手慣れた形式でしたが、高回転でのバルブの追随が苦手で、高回転での燃焼効率が悪くなりがちです。
その頃世界では高速道路が普及し始め、日本でも高速道路建設計画があり、自動車の高速化時代が近づいておりました。
車体を進ませる「馬力」は、回転数×回す力(トルク)ですから、戦後すぐに自動車で実用化されたOHV形式では、高速化時代に不向きになりつつあったのです。
そこでトヨタは、M型というOHC(オーバーヘッドカムシャフト)形式という、高回転での燃焼効率を前提とした、新たな形式の高級車向き6気筒エンジンを企画していました。
それを知ったライバル日産は、急ぎ、自前のOHCエンジンの製作を試みたのです。
そこで急遽、510ブルーバードに搭載される予定で開発が進んでいた、L型4気筒OHCエンジンに2気筒追加する形で、OHCの6気筒エンジンを作り出したのですね。
4気筒と6気筒エンジンなのに、名称が同じ「L型」なのは、製造に当たる企画段階で、これらは同じものだったからです。
生まれた歴史的経緯を見る限り、6気筒L型は、正真正銘、実用型のエンジンです。
またL型エンジンは、元来が大量生産を主目的とした、一般的な小型車向けの4気筒エンジンが母体ですので、直列6気筒エンジンを搭載するような、大型車=高級車向けのエンジン素性ではなかったと思われます。
また日産は同時期、プリンス自動車との合併という、一大プロジェクトを実行しておりました。
先進的な気風で、高級車メーカーだったプリンスには、当時「G型」というOHCエンジンがありましたが、ブルーバードと同じ時期に登場したスカイライン(箱スカ)GTには、日産の6気筒L型が搭載されています。
スカイラインGT-R(通称箱スカ)画像はS20エンジン搭載車
これはG型が登場して3年経過していたことや、プリンス製のG型は、ドイツのメルセデス・ベンツの6気筒を模したと言われる、とても高コストな製品であったことなどが影響したと思われます。
しかしその判断には、その後も後を引く、旧日産と旧プリンスとの、内部での微妙な政治バランスも影響しているように、私には思えて仕方がありません。
社内政治は、どこのメーカーでのあると思いますが、それが長期戦略に影響してしまうところや、それらが社外に知られてしまうところに、日産の惜しいところがあり、隙が感じられて残念です。
そして何より、当時のプリンスには、後のGT-Rやフェアレディー432Zに搭載される「S20」という、4バルブDOHC形式の、当時の世界で最も高度な形式のエンジンがありましたので、「スポーツタイプは超高度なS20を搭載し、その他の車種には、実用性が高く、コスト経費負担の軽いL型で」という、イメージと実利を両立した思惑があったのかも知れません。
なぜ日産のL型が、完全な実用エンジンだったと思われるのか。
それは、エンジン燃焼室が「ターンフロー形式」だったからです。
ターンフローというのは、吸気と排気が、同じ方向に流れる、現代では見られない仕組みです。
ターンフローの長所は、吸気と排気が同じ方向ですから、それらを制御するバルブやカムシャフトという部品を、同列に配置することが可能なことです。
良い画像が見つからなかったのですが、この仕組みにより、エンジンの上部をコンパクトにでき、製造もしやすく、整備もしやすくできます。
しかしターンフローは、燃焼室の形状がくさび型にならざるを得ず、燃焼室が大きくなって表面積が大きくなり、ガソリンがシリンダー内で爆発した時の熱が逃げやすくなります。
これは、エンジンの冷却の面では楽になりますが、せっかく作った熱エネルギーのロスが大きくなるわけですね。
また燃料ガスを着火させる燃焼プラグも、燃焼室の真ん中近くにはおけませんので、これらから、どうしても熱効率が悪くなります。
また吸排気バルブの経口を大きくできず、結果、吸気管も排気管も大きく設計できませんので、空気を大量に燃焼室に送り込むことができません。
そしてどうしても排気ガスによって、吸気の空気が暖められてしまいますので、燃焼室に送り込まれる空気が熱膨脹し、燃焼室に送り込まれる空気の密度が下がる結果、熱効率が下がる欠点があります。
一般道を走る上での実用性としては十分ですが、ギリギリの高性能を発揮するような状況、つまりモータースポーツでは、構造上不向きと言えます。
このような背景からか、40年ほど前の、私が知る6気筒Ⅼ型の現役時代の評価は、「回らない、ガサツなエンジン」という評価がもっぱらでした。
チューニングしたL型6気筒エンジン画像。ターンフローなので、吸気システムと排気管が同方向に出ています。
ただ部品の精度が、今ほど十分に均一化できなかった50年前の技術では、高度な仕組みだからといっても、それが即ち高度な性能とはなりませんでした。
現代は緻密に熱膨張率の計算ができ、コンピュータで試作シミュレーションができ、製品の精度が上がることで、メンテナンスフリーが実現しましたが、約50年前の技術的背景を考えれば、シンプルで整備がしやすいことの方が、よりよく実用的なことも多かったからです。
またL型のもととなったA型(OHV)エンジンも、元々イギリスのオースチン社のA型の完全模倣版で、ターンフロー形式でした。
同じターンフロー形式ならば、OHVでもより高度なOHCでも、工場では同じ生産ラインが使えたり、同じ金型が使えるという、製造工程でのメリットもありました。
ターンフローエンジンの上部分解画像。バルブが一列なので、製造や整備がしやすい。
ターンフローとは違い、吸気と排気が反対方向に流れる燃焼室の形式を、「クロスフロー形式」と呼びます。
クロスフロー形式は、燃焼室の形状は半円球状で、くさび形にならざるを得ないターンフローより、はるかに小さく設計できることで熱の逃げが減り、また燃焼プラグも中央付近に設定できて、熱効率は飛躍的に向上します。
またバルブのスペースも余裕がありますから、吸排気バルブを大きくでき、燃焼室内の空気の流れもスムーズで、より多くの空気を速く燃焼室に送り込めますから、ターンフローよりも、エンジンの出力特性を高回転化できます。
また、高温の排気ガスは吸気ガスの温度に影響しませんから、吸気が排気ガスで温められることもなく、熱膨脹で吸気ガスの空気密度が下がることもありません。
ただ複雑なので、製造のバラツキが出やすく、また、整備のしにくさが欠点となります。
トヨタの6気筒OHCエンジンは、この「クロスフロー形式」でしたので、トヨタのM型の方が、スポーツカーなどには適した形式でした。
トヨタクラウン搭載のM型エンジン分解画像 吸気と排気システムが逆方向のクロスフロー方式。熱効率に優れるが、吸排気の構造が複雑で、製造も整備もしにくい。
しかし当時世界の主流は、製造も整備もしやすいターンフロー形式ですし、当時の日産は、「とりあえず、作り慣れたターンフロー形式で、実用OHCエンジンを作る」という名目で、新型次世代のOHCエンジンである「L型」を作ったと思われます。
当時の製品の平均値で言えば、ターンフローでも、実用性に全く問題ないのですから、自動車メーカーとしては、当時の日産は極めて現実的な判断だと言えます。
エンジンの商品としての寿命は、だいたい10年ほどですし、当時の日産は、平均的な作品であるL型を世に出し、その間に次世代OHCエンジンを開発するつもりだったと思われます。
しかし日産の予想を覆し、6気筒L型は、80年代まで製造される、超長寿エンジンとなってしまいました。
大消費地アメリカ議会からマスキー法案が提出され、急ぎ排気ガス規制への対応を迫られたことで、新規の車両やエンジン開発をする余裕がなくなってしまったのです。
どのメーカーも、現存するエンジンで、なんとか排気ガス排出基準をクリアする必要に迫られました。
これは日産に限らず、全世界的な傾向で、私が知る限り、この苦境を新エンジンで切り抜けたのは、CVCCエンジンを開発したホンダだけだと思います。
ホンダシビック(初代)CVCC搭載車(OHCターンフロー)
この結果日産のL型エンジンは、1980年代まで製造される、とても長寿エンジンとなり、とても多くの搭載数となりました。
また、完全な実用エンジンではありますが、スカイラインやフェアレディなど、当時のスポーティーカーの主要エンジンとして搭載された結果、スカイラインGT-Rやフェアレディ432Zなどの、当時世界レベルの一級性能を誇る車種に憧れを持ったユーザーが、数多く出現する現象が発生したわけです。
そしてそのユーザーのニーズに応えるべく、多くのL型エンジンチューニングパーツが、町工場やチューニングメーカーで製造されるようになりました。
そう、L型6気筒エンジンは、数多く市販車に搭載され、多くの母数が存在しましたので、レアなチューニングパーツも、市販化しやすかった背景があったのです。
そうして、元来のL型エンジンは実用エンジンなのですが、頑丈で整備もしやすいので、優れたチューニングパーツにより、後の世に「名器」と呼ばれるようになったのです。
つまり日産のL型エンジンは、オーナーの情熱や、優れた技術を持つチュー二ングパーツメーカーが、名機に育てた作品だと言えましょう。
このように、自動車のエンジンでの「名機」には、ある一定の条件があるのですが、宗教家にも「基準」があります。
よく言われるのは「仏陀」ですよね。
仏陀にも、明確な基準があるのです。
それは「三法印(さんほういん・さんぼういん・さんぽういん)を説法の中で語れること」です。
仏陀の証明は、その法(教え)だけなのです。
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仏陀の証である三法印とは、諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)です。
なぜ三法印が仏陀の証かと言うと、三法印は、仏陀でなければ語ることができないからです。
諸行無常とは、「すべては変わりゆくもの」ということです。
これを現代的に言うと「時間論」となると私は解釈しております。
宇宙の始まりから現在までを見続けている仏(仏陀)ならば、「今まで同じ状態であったものなどないよ。」と言い切れるはずだからです。
諸法無我とは、「この世に実態のあるものはない。」ということです。
これはある意味での「空間論」と呼べるのではないかと、個人的には考えております。
広大な霊界を含む宇宙の中では、「俺が俺が」といきり立っている自分は、さぞかしちっぽけな存在だろうと想像するからです。
また涅槃寂静とは、「悟りの世界は寂静」ですから、これは仏の心そのものを表しております。
これは我ら凡夫からすれば目指す指針でもあり、「修行論」を含んでいると言えると思うのですね。
これら仏陀を示す「諸行無常(時間論)」「諸法無我(空間論)」「涅槃寂静(修行論)」を、すべての説法の中で、完璧に織り交ぜて語られるのが、大川隆法幸福の科学グループ総裁なのです。
大川隆法総裁の教えは仏陀の教えであり、大川隆法総裁こそ、現成の仏陀です。
大川隆法総裁に、前世の釈尊時代の霊的記憶があるから仏陀なのではなく、「説く教えが仏陀の法だから、仏陀」なのです。
本日は、経典『沈黙の仏陀』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、三法印の中の諸行無常に関する一節と、経典『死んでから困らない生き方』から、三法印について、大川隆法総裁がさらっと語った一節をご紹介いたします。
ということで本日も、なんとか布教にこぎ着けて、安堵しちょります。(爆笑)
では皆様、またのお越しを。
(ばく)
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すべてのものは移ろいゆくものである。
変化変転していくものとして、一切の現象を見つめなさい。
一切の現象のなかには、物質や肉体のみならず、
あなた方の心のなかに生起し、去来するものも含まれている。
すべてのものは流れ去っていくものである。
そのような、川の流れのようなものであるのだから、
執着してはいけない。
何ひとつ、「自分のものだ」と思ってつかんではいけない。
「これが私だ」と思ってもならない。
「私のものだ」と思ってもならない。
そこにあるものを所有しようと思ってもならない。
すべては過ぎ去っていく。
親であったものも親でなくなり、子であったものも子でなくなる。
夫婦であっても、友人であっても同じである。
すべては変化変転のなかにある。
そのようななかにあって、
ほんとうに自分自身の人生の意味を考えるならば、
執(とら)われから脱しなくては、自分自身のほんとうの姿はわからない。
人は、固定化し、固形化したもののなか、
安定したもののなか、変化しないもののなかに、
自分を求めようとするが、
そうした試みが、かえって
本来の自己というものを見失わせることになっている。
しかし、そうではなく、
「変化のなかにすべてがあるのだ。
変化変転していくことこそが真理なのだ」と思ったときに、
「さあ、そうであるならば、
流れゆく川のなかを下っていく筏(いかだ)のように、
自分は生きていかねばならないのだ。
この川の流れを止めることができないならば、
いかに竿(さお)を操(あやつ)って川を下っていこうか」と、
考えていかねばならない。
これが人生の真実なのである。
『沈黙の仏陀』(大川隆法著 幸福の科学出版)P15~18
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=62
人から厳しいことを言われたりすると、それをストレートに受け止め、長く抱き続けてしまい、「えっ? まだ、そのことを考えていたの?」というようなことがあるようです。言ったほうは、そのときの気持ちを率直に述べただけであって、翌日にはすっかり忘れているのに、言われたほうは何年も考え続けているわけです。
それは、まじめな性格と言うべきなのかもしれませんが、しつこいと言えば、しつこい性格です。そのしつこさは、死後に幽霊になりやすい性格でもあるので、気を付けたほうがよいでしょう。幽霊にならないためには、さっぱりした性格が求められるのです。さっぱりした性格の幽霊は、あまりいません。
幽霊になるタイプの人は、みな、しつこくて、同じことを何年も言い続けるような、執着、執念を持っています。何かに対して、強い執着、執念を持っていたり、“不成仏”の思いを忘れられなかったりするのが、「幽霊の原則」なので、なるべく、カラッとして、さばさばした性格をつくっていくことが、「幽霊にならないための条件」なのです。
そういう意味では、仏陀の説く「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の教えは、やはり、正しいのです。
「諸行無常」とは、「世の中というのは、変転していくものなのだ」ということであり、「諸法無我」とは、「この世には、実体のあるものはない。この世において、目に見え、触れるようなものは、みな、すべて消え去っていくものであるから、そういうものにとらわれてはならない。そうではなく、普遍的なもののほうに、心を向けていかなければならない」ということです。
それから、「涅槃寂静」というのは、悟りの世界です。「あの世の悟りの世界は、寂静の世界、すなわち、非常に澄み切った静かなところであり、汚れのない波動の世界である」ということです。
死後、幽霊にならないためには、こうした教えが大切なのです。
『死んでから困らない生き方』(大川隆法著 幸福の科学出版)P82~87
大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。
1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。
81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。
86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。
説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。
また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 、「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 、「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている。
ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。