
いすゞベレット(1963~1973年) 画像はタイプR
本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、心より感謝申し上げます。
このブログはその名の通り、幸福の科学の在家信者による布教サイトなのですが、代表管理人が自動車大好き人間なので、時折、自動車関連記事をやらせていただいております。
私は素人なので、稚拙な記事しか書けませんけれども、自動車という商品から見える社会構造や、また歴史を通して、その時折に生きていらっしゃった方々の判断から、これからの日本の方々の、何らかの参考になればと思っております。
さて今日のお題は、いすゞのベレットです。
「懐かしいなぁ。」と仰った方がいれば、私より年配です。(笑)
いすゞは今では、トラックやバスを作っていますが、かつてはとても上質な乗用車をつくっていました。
そのいすゞの黎明期にあたる意欲作が、かわいいスタイルのベレットです。
私が考えるに、いすゞベレットが、その後の社会に与えた影響力というのは、結構大きかったと思うのですね。
と申しますのも、おそらくいすゞベレットは、ライトバンなどの商業者兼用の乗用車ではない、日本初の乗用車専用車両ではなかったかと思われます。
古い作品なので、なかなか資料に出あえないのですが。
今では商業車専門ボディの商品があり、ライトバンは死語になっていますが、かつては、トヨタのカローラにしても、クラウンにしても、また日産ならブルーバードやスカイラインにいたるまで、必ず、ライトバンがラインアップされていました。
その他のメーカーも、例えば、レースをすれば一番早いと言われ、RX-3とまで言われていた初代サバンナであっても、ライトバンがカタログに入っていました。
これは、一定のシェアのある商業車を自家用で使う方用の商品だったのですが、ボディ、特にボディ全体で強度を保つモノコックボディの場合、強度や重心や乗り心地などで、ライトバンとボディを兼ねることによる影響が、どうしても出てしまうのです。
そしてライトバンのある風景というのは、つい20年ほど前までは、日本の当たり前の日常だったのですが、ベレットは、56年も前に、乗用車専用車両だったのです。
この点で、方やトラックを作っていたいすゞですが、ベレット以降、乗用車部門では、商業車兼用ボディを作らなかったことが、いすゞの乗用車の上質性の要因なのかも知れません。
日産スカイライン商用バン
さてそんないすゞのベレットですが、何がすごかったかというと、FR車で4輪独立サスペンションだったことです。
サスペンションというのは、タイヤを吊す機能のことで、路面からのショックを緩和し、乗り心地をよくするだけでなく、タイヤを路面に押し付けて、車体が走ったり曲がったり止まったりするのを助けています。
大別すると、リジットアクスルサスペンション(車軸固定懸架式)とインディペンデントサスペンション(独立懸架式)に分けられ、固定式と独立式で大きく違うのは、乗り心地と操縦性です。
リジッドアクスルサスペンション(車軸懸架式サスペンション)
インディペンデントサスペンション(独立懸架式サスペンション)
さて、固定式と独立式だと、乗り心地に関しては、圧倒的に独立式が有利です。
それは、左右のタイヤがバラバラに動き、バネ下が軽いので、路面追従性が良いからです。
ただ操縦性、特に後輪(リアサス)に関しては、部品が多く、上等と思われがちな独立式も、実は様々な問題があり、それはある意味で、未だに解決していないかも知れません。
というのも、サスペンションの運動面の機能から見れば、上下のみに動いて欲しいのですが、その点だけを見れば、単純な固定式サスペンションの方が優れているのです。
独立式だと、キャンパー変化(前から見た時のタイヤのブレ)またトー変化(上から見た時のタイヤのブレ)をゼロにすることはできませんが、固定式だと、限りなくゼロに近づけることが可能で、タイヤを上下だけ動かすという、サスペンションの基本的な動きをさせることが、シンプルで旧式の固定式の方がやりやすいのです。
唯一、ダブルウィッシュボーン型が、キャンパー・トー変化共に最小にできますが、そのためには、長く広い角度を持った4本のアームが必要で、乗用車に設置するなら、とてつもなく巨大なタイヤハウスが必要です。
乗用車のタイヤハウスに収まるスペースで、ダブルウィッシュボーン並、あるいはそれ以上の機能を持つと言われるマルチリンクサスも、やはりタイヤハウスは大きめで、かなりの大型車でなければ採用できません。
リアエンジン車やミッドシップ車のように、エンジンとギアとデフ(車輪につながる最終ギア)が一体構造であれば、後輪は独立式以外の選択肢はありませんが、当時の主流のFR車だと、デフをエンジンとギアから分離できるので、後輪を、技術的にもコスト的にもハードルの高い独立式を、無理して採用する必要はなかったのです。
ですので、FRの降臨独立式サスペンションは、当時世界的にも採用例は多くありません。
またイタリアのアルファロメオ社などは、ある時期まで、「リアサスは固定式であるべき」という固い信念を持っていましたし、日本でも、トヨタや三菱やマツダなどが、ある時期までは、「リアサスは固定式に限る」と考えていたと思われます。
それだけ、後輪の独立サス、特に後輪駆動車は難しく、上下だけ動かしたいなら、乗り心地も悪く、タイヤの接地性の低い板バネ(リーフスプリング)による固定式に勝るものなしで、フェラーリもマセラティも、世界の最高級車ロールス・ロイスも板バネ固定式でした。
というのも、当時はタイヤの剛性も低く、グリップ力、つまり路面に吸い付く能力が低かったので、板バネでも乗り心地は良かったし、無理してサスペンションでタイヤを地面に押しつけたとしても、当時のやわなタイヤであれば、コーナーリングのスピードは、どの形式でも、さほど変わらなかったのです。
パラレルリーフ式サスペンション(リーフリジッド)
ですがいすゞは、果敢に後輪独立サスペンションに挑みました。
1963年当時、FRの小型車での後輪独立サスペンションは、ドイツのメルセデス・ベンツと、同じくドイツのBMWと、いすゞのベレットだけですから、いすゞの挑戦は、世界的にも進んだ試みだったのは間違いありません。
ただその形式は、スイングアクスルと呼ばれるものでした。
スイングアクスルの最も良い点は、部品が少ないこと、横方向の剛性が滅法高いことです。
スイングアクスルは、他の独立サスペンションとは大きく構造が違っていて、独立式というよりは、固定式を中央で分断し、両端をバネで吊す方式で、最もシンプル、かつ、基本的な独立式サスペンションです。
スイングアクスル式サスペンション(画像は日野コンテッサ)
今の独立式サスペンションとの大きな違いは、車輪と車軸が固定されているところです。
今の独立式は、車輪と車軸は、等速ジョイントという関節でつながっていますが、スイングアクスルは、デフと車輪に回転を伝えるドライブシャフト(アクスルシャフト)のみがジョイントで連結されていて、車輪とドライブシャフトは固定式サスペンションと同じく一体構造で固定連結されていて、「独立式」というよりは、「固定式を中央で分断したもの」と言えます。
ですので、横方向の剛性が高いのですね。
もし車輪と車軸をジョイント(関節)でつなげば、くにゃくにゃですので、それだけだと剛性はほぼなくなり、何かで保持しないといけなくなります。
さて問題は、車軸と車輪が固定しているスイングアクスル式サスペンションだと、現実的には「どういう動きになるのか。」です。
スイングアクスル式は車輪と車軸が固定されていますので、横方向の剛性は万全です。
しかし固定されているので、縦方向には振子のように、円運動で動いてしまいます。
タイヤが上下だけに動かず、円運動に動いてしまうということは、タイヤやボディが上下に動くたびに、タイヤの接地面積が変わってしまうということになります。
これは自動車ではしょちゅう起こっています。
カーブでは車体は外側に傾きますし、ブレーキを踏めば車体は前のめりになりますし、急発進すれば後ろのめりになります。
つまりスイングアクスル式の車では、そのような車体が動くたびに、後ろタイヤの接地面積が変わってしまうのです。
当時のいすゞベレットの走行インプレッション記事を読むと、乗り心地は快適で、直進性もコーナーリングも優秀とあります。
直進性の良さは、スイングアクスルの大きな特徴です。
それはトー変化が事実上ないからです。
またコーナーでは、ロール(ボディが外側に傾くこと)したり、ブレーキで車体が前のめりになることで車体後半が雨季、その結果タイヤが逆ハの字、いわゆるポジティブキャンパー化するスイングアクスルの特徴が出て、後ろタイヤがふんばれずに、オーバーステアが起こっていたと思われます。
古い自動車雑誌から推測するに、当時は、オーバーステア=優れたコーナーリングという思いこみがあったと思われます。
オーバーステアは、要するにハンドルを切るより、曲がり過ぎる性格ですが、これはきちんと逆ハンドル操作を行う技量がないとスピンしますし、その間、車体は前へ進めず横方向に滑っていますので、実際に速く走れているわけではありません。
また強度のポジティブキャンパーで怖いのは、ジャッキアップ現象です。
ジャッキアップ現象とは、ポジティブキャンパーでタイヤが逆八の字になった際に、コーナーリングで発生する横からの外力によって、ドライブシャフトがデフを押し、車体が持ち上がることです。
その結果、重心が急速に上昇し、最悪転倒を起こすことで、このジャッキアップ現象が起これば、転倒するか否かは、「神のみぞ知る」となります。
このジャッキアップ現象は、車軸と車輪が連結していることで起こる、スイングアクスルの根源的な問題です。
横剛性が強いがゆえに、車体を持ち上げてしまうのです。
いすゞはなぜ危険なジャッキアップ現象を起こすサスペンション形式にしたのか、それはおそらく、当時はまだ、等速ジョイントがレース用しか開発されていなかったことが大きいと思います。
車軸とタイヤを連結するジョイントの性能が完全でなければ、タイヤが回転するたびに振動が発生しますので、より上級な快適性を求めて独立式にする意味はありません。
そして当時、後輪独立式サスペンションといえば、メルセデス・ベンツだって、フォルクスワーゲンだって、ポルシェだって、みんなスイングアクスルだったわけですから、いすゞを責めることはできません。
しかしいすゞは、ベレットで、徹底的にスイングアクスルの弱点を抑え込む工夫をしています。
まず、ダイアゴナルリンクという、前と横方向のリンクを使って、ドライブシャフトにかかる横方向の力を分散しています。
そして、横方向にリーフスプリングで連結して、独立式の美点である乗り心地を保ちつつ、左右の車輪のポジティブキャンパー化を、最小限に押さえ込んでいます。
ただ、ここまで工夫してはいても、スイングアクスル式独立サスペンションのベレットは、絶対に、急ハンドルだけはしてはいけません。
「絶対に!」です。
このようにいすゞは、ベレットで、メーカーの総力を上げて、スイングアクスルの弱点つぶしに尽力したと思われるのですが、残念ながら、後続が続きませんでした。
ベレットの後の作品、フローリアンや117クーペでは、当時一般的な、リーフリジッドになってしまいました。
おそらくいすゞは、ベレットで、独立サスペンションの悪癖に、そうとう辟易したのだろうと推測します。
当時のいすゞの現実的な選択は、技術的には理にかなった、至極当然の選択です。
しかしその現実主義的な判断は、先進的だった当時のいすゞのイメージを、前時代的なものに変えてしまったと思えて、私はとても残念です。
いすゞがもう少し粘ってくれて、その後主流となった、車輪側に等速ジョイントを持つ、セミトレーリングアームを採用してくれていたら、フローリアンや117クーペには、別の魂が宿っていただろうと思います。
その結果、いすゞはイタリアのアルファロメオや、ドイツのBMWのような企業イメージを持つ、日本随一のブランドメーカーになっていたかも知れません。
ベレットは、やはり世界的レベルの傑作車だからです。
またその後リアサスの主流となったセミトレーリングアームとて、横剛性は十分ではなく、またアームの形状から、スイングアクスルにはないトー変化がありました。
そして、タイヤの上下動によるキャンパー変化も、かなりマイルドにはなりましたが、完全に払拭されたわけではありません。
その結果、低速でのコーナーではアンダー、高速コーナーではオーバーステアとなる傾向があり、タイヤの性能が向上することと、積極的にトー変化を演出できるマルチリンクサスペンションの普及により、その後採用例がなくなってきました。
セミトレーリングアーム式サスペンション
ただ私が子どものころ、いや1982年にメルセデス・ベンツが、190シリーズでマルチリンク式サスペンションを発表するまで、自動車雑誌等で、セミトレーリングアーム式サスペンションの、ネガティブな評価は聞いたことがありません。
ですが、セミ・トレにもしっかりとネガティブな一面があり、その後淘汰されていくのですから、今の主流のダブルウィッシュボーンやマルチリンク式など、どこのマスコミも文句を言わない形式であっても、時代が下れば、評価が逆転する可能性もありますね。
案外、シンプルで完璧な横方向への剛性を持ち、トー変化のないスイングアクスル式が、また見直される時代が来るかも知れません。
その時には、かつてのいすゞの果敢な挑戦の歴史に、再びスポットライトが当たるやもですね。
ということで本日は、経典『リーダーに贈る「必勝の戦略」』と『成功の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、産業や成功に関する一節をご紹介いたします。
(ばく)
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映画『世界から希望が消えたなら。』特報【2019年10月18日ロードショー】
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=123
企業活動をしている人々、経営者や管理職、あるいはビジネスエリートたちにとっても、宗教から学ぶべきものはあるでしょう。 それでは、いったい、どのようなものを宗教から学ぶべきなのでしょうか。
宗教に学ぶ「経営の原理」の一番目は理想や信念です。宗教において至るところに満ち溢れているものは、理想や信念なのです。 宗教は、「かくあるべし」という理想の塊のようなものです。「ユートピア」と言ったり、「仏国土」と言ったり、「理想郷」と言ったり、言い方は、いろいろありますが、宗教活動というものは、基本的には、仏の国づくり、神の国づくり、ユートピアづくりであり、そういう理想を目指しているものなのです。
さらに、その理想を実現しようとする人々は信念の塊です。「これは絶対の善である」「これは絶対に正しい」「これは成し遂げねばならないことだ」という、強い使命感に裏づけられた人々なのです。それが宗教に生きる人々です。
この部分は、薄められたかたちであっても、企業活動のなかに取り入れるべきものであろうと思います。(中略)
その理想が本物であれば使命感が出てきます。
したがって、まず、自分の会社において、宗教的な理想や使命感にも似たものを、何らかのかたちで考え出さなければいけないのです。「自分の会社を通じて何ができるか。仏国土ユートピアづくりに、いかなるかたちで参画することが可能であるか」ということを、とことん考え抜くべきです。
経済の原理からいっても、基本的に、世の中の役に立たないものは消えてなくなり、人々の役に立つものが残っていくことになるので、この「根本的な哲学を考え抜く」ということは非常に大事なことなのです。
『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(大川隆法著 幸福の科学出版)P28~31
みずからが成功する過程において、「自分一人の成功にしない」ということは、極めて大事なことです。(中略)
一生懸命に働いているのに、まったく他の人々から認められず、尊敬もされないのでは、辛いでしょうし、やる気もでないでしょう。何十年も働いていくためには、出世意欲を持つことは、よいことだと思います。ただ、課長や部長、役員になっていく過程のなかで、仕事や、自分の志の全部を、「自分の成功」という一点に絞りすぎないことが大事です。(中略)
たとえば、自分が部長になる過程で、ほかの人に対して、その人の成功のために、仕事のお手伝いをしてあげたり、引き上げてあげたり、自分の成功のノウハウを分けてあげたりするのです。(中略)
成功の流れのなかにある人は、ほかの人から、かなり、うらやましがられたり嫉妬されたりするものです。
それは、ある程度は、しかたがないことです。(中略)
ただ、嫉妬される立場になった場合には、「他の人のために生きたい」という気持ちを常に持っておくことが大切です。それを外に出す必要はありませんが、常に心のなかに持っておくのです。
また、他の人が自分より大きな成功をしたときには、自分のほうにも競争心や嫉妬心が出てきたりしますが、それを、極力、抑えることです。そして、自分の思いに反するとしても、その成功をほめてあげることです。「素晴らしいですね」と祝福してあげるのです。
たとえば、他の会社が自分の会社よりも、どんどん大きくなっていったときには、「あそこは、たまたま、うまいことをやって成功した」などと言わずに、「素晴らしい成功ですね。わが社も、できれば、そのようになりたいと思っております」と言える気持ちを持ったほうがよいのです。
「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。人の不幸や失敗を願うと、その貧しい心が、結局は自分のほうにも失敗を引き寄せてしまうのです。
みなさんも、人の失敗を願っている人を、それほど、応援したり、支持したり、担いだりしたくないでしょう。むしろ、人の幸福を願っている人を担ぎたいでしょう。それと同じことです。
「その会社が成功すれば、ほかの会社がみな不幸になる」というような会社は嫌なものです。会社が大きくなってもよいのですが、「産業界全体のために頑張りたい。この産業で頑張ることによって、できるだけ国全体や世界に潤いを与えたい」という気持ちを持っていることが、成功を続けるための条件なのです。(中略)
「ほかの人の成功を願う」ということは、お人好しに見える面もあるのですが、自我我欲を、目一杯、出しきるのではなく、それを抑えることによって、実際は、多くの人々の支持を受けることになり、実りの大きな幸福や成功を得ることができるのです。
『成功の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P192~196
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