幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

『心から愛していると』『凡人の自覚』『青春断想』

2018-03-17 22:22:08 | オープニングメッセージ

 

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 幸福の科学月刊誌オープニングメッセージ「心の指針」より

『心から愛していると』

けんか別れして、
相手を愛していたことに、
初めて気づく人がいる。

離婚して、
妻のいない空虚さに、驚く夫がいる。

さんざん、ののしって、
ホッとした後、
夫の偉大さに気づく妻もいる。

子供を亡くしてから、
ほめてやらなかった自分を責め続ける親がいる。


みんな、よく聴きなさい。
失ってからでは遅すぎるのだ。

愛しているのなら、
今すぐ、
愛しているといいなさい。

好きなら、
好きであるということを、
今すぐ、
行動で示しなさい。



永遠の後悔を残すなかれ。

生命あるうちに、
愛しているということを、

心から愛しているということを、
伝えなさい。

伝え切りなさい。

『凡人の自覚』

『若き日のエル・カンターレ』という本に、

小さい頃の私が、
平凡さの自覚に苦しんでいたことを書いてある。

両親の教育方針や教育認識に、
限界があるなどと、考えたこともなかった。

教育環境が悪いなどと、
知りもせず、知ろうともしなかった。

家のお金のなさが、 学力不振につながるなどと、
思ってもみなかった。

ただ、自分の能力の低さに原因を求め、
他人が一時間でやれることを、 二時間、三時間かければ、
必ず達成できると信じていた。

凡人の自覚が、 他人に頼らない、
自助努力の精神を育てた。



言い訳をしないこと。

ただ、ただ、
自分自身の手でやれることを、
やり続けること。

こんな平凡なことが、
成功の法則であったのかと、
この年齢にして、しみじみと感じている。

 


『青春断想』

ふと渚にて、
砕けた貝がらに、
青春を想う。


青春時代には、
何をやっても、
うまくいかないように思えた。

勉強には苦しんだ。
趣味など、もてなかった。

人間関係は、言葉でつまずき、
好きな女性には、声もかけられなかった。

いつも自信はなく、
未来の希望は、
夕方の三日月のように、
うすぼんやりとしていた。


しかし、私は、
自分に同情することをやめた。

みじめな自己像を、
心に描くことをやめた。

奪うことを捨て、
与えることを学んだ。

いつしか、
私は、夜明け前の、
バラの園にいた。

かぐわしい香りを味わった後、
朝日に照らし出されて、
色とりどりの花が姿をあらわした。

バラのトゲのひっかき傷など、
もう、悔やんではいられなかった。

私は、幸福の中心にいたのだから。

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映画「さらば青春、されど青春。」予告編

自信を持つ ―大川隆法総裁 心の指針157―


財務省公文書改ざん問題で聞こえる、金正恩の高笑い。

2018-03-14 23:52:22 | 時事法談

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国会が、森友学園関連の公文書改ざん問題で揺れています。

北朝鮮と韓国の首脳会談が4月に行われるとか、アメリカのトランプ大統領が、北朝鮮の金正恩総書記と会談する方針だとか、外交問題においては、とかくマスメディアは、融和ムードを醸し出そうとしているさなか、突如起こった安倍内閣への強い風当たり。

こういうときは、「誰が得をするのか?」で考えるのが一番です。

中国でつい先日行われた共産党大会において、国家主席の任期を無期限にする憲法改正が行われまして、習近平氏は、事実上の中国皇帝になるという見込みとなりました。

中国は軍事力の強化集中で、2020年までに、日米の防衛力を超える計画が実施できるようで、そうなれば、台湾そして尖閣諸島、否、沖縄を呑み込めるようになります。

今やらないのは、日米同盟下だと中国に勝ち目がないからで、条件が変わればやります。

日本人は平和主義で、融和が好きだけれども、南北朝鮮が反日で国家統一するようなら、覚悟しなければなりません。

人口7000万人、核を保有した、100万人以上の兵士を有した国家が、すぐ隣にできるわけで、それが日本国内になだれ込んできたら、防ぐ手立てはありません。

日本がこれまで平和ボケできていたのは、韓国が北朝鮮と対峙していたからという現実から、決して目を背けてはならないのです。

これまで、大和朝廷以来、否、それ以上昔の神代の時代から、日本の外交戦略は、この「朝鮮半島からの永続的な侵攻を、いかに防ぐか」という観点であったことも、決して決して忘れてはならないし、それが見えていなければ、日本の歴史学習は無意味だと、私は個人的に考えています。

さて先日、大川隆法幸福の科学グループ総裁によって、韓国大統領文在寅氏の守護霊と、北朝鮮総書記の金正恩守護霊収録が行われました。

それは幸福の科学出版から緊急出版され、数日後には書店に並ぶはずです。

今日本人が、そして世界の人々が、絶対に知らなければならない内容ですが、マスコミは動くのでしょうか?

これまでの、大川隆法幸福の科学グループ総裁の提言の的中率から言って、それを読んでいるはずのマスメディアは、そろそろ立ち上がっていただかないといけないのですが。

国を守るには、基本的に他国頼みではいけません。

「自分の国は自分で守る」というのは、世界標準であって、世界一の最貧国、北朝鮮でもやろうとしていることです。

また世界標準では、少し時代遅れになりましたが、基本的には、侵略的意図を持つ国というのは、自分たちより弱い相手に侵略しようとするし、相手が強ければ弱い所を探してやろうとするし、またそれがなければ、弱くしてからやろうとするものだということを忘れたらやられます。

ですから、平和でいようとするならば、本当はとても簡単で、「相手より強ければ侵略して来ない」ということです。

国防というのは、相手は台風や地震などの自然災害ではないのですから、きちんと対峙したり準備したりすれば良いことだし、できなければ、国が亡くなってもやむなしなんです。

日本国憲法下、吉田ドクトリンの価値観の元では、ともすれば「日本さえ大人しくしていれば世界は平和」と言われがちですけれども、戦後70余年、日本は大人しくしていたのに、北朝鮮や中華人民共和国のような国ができてしまいました。

これは「日本さえ大人しくしていても、世界は平和ではなかった」ということだし、日本国憲法や吉田ドクトリンが想定していることが間違っていたということなんです。

日本よ目覚めよ!

長き太平の世の幻想にひたり、悪い奴らを高笑いさせていては、子々孫々に顔向けなどできません。

今を生きる大人たちは、しっかりと眼を見開き、「何が正しいか」を問い続けなければなりません。

その正しさの基軸は、もうすでに、世界には説かれているのですから。

           (ばく)

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https://the-liberty.com/article.php?item_id=10668

大川隆法総裁 大講演会2016「『正義の法』講義」抜粋版(パシフィコ横浜)より

なぜ今、金正恩は対話を求めたのか?〈トランプ・チャンネル#61〉

文在寅守護霊 vs. 金正恩守護霊 北対話の本心を読む

著者 大川隆法

定価1,512 円(税込)

発刊元 幸福の科学出版

発刊日2018-03-20

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2012

いま、世界がもっとも知りたい朝鮮半島問題の核心に迫る。

非核化は? 南北統一は?
そして、 対日戦略は?

「友好的対話」「祖国統一」という美名の下に、世界を欺く両首脳の恐るべきシナリオとは。


「北を国家買収し、 核を持った統一朝鮮で 日本を植民地にする」
 (文在寅守護霊)

「韓国を利用し、 当面の経済封鎖を破り、 トランプの任期切れを待つ」
 (金正恩守護霊)

日本よ、外交戦略を誤ってはならない。


マツダロードスターのオンリーワン現象と『財務省と国民を救う道』

2018-03-14 00:53:02 | 自動車から見える日本と世界

マツダ ユーノス ロードスター(初代)1989年発売開始 通称NA

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本日は、時折書かせていただいている自動車関連記事です。

私、自動車大好き人間ですので、楽しく書かせていただいておりますけれども、「この分野を、幸福の科学の布教に結び付けるにはどうするべきか。」には、毎回頭を悩ませている代表管理人ではあります。(爆笑)

ただ、取り扱う作品や関連画像が、ネオクラシックと呼ばれる分野に該当するようで、「昔懐かしの感があるのやも?」でして、結構評判よろしくて安堵しちょります。

私自身もスーパーカー世代ではあるのですが、実は記事としては、「社会に与えた影響」という観点から記事を書いているつもりでして、最近の作品も好きなものは多いですけれども、どうしても過去の作品にスポットが当たっています。

今回の対象は、1989年発売のユーノス・ロードスター(現マツダ ロードスター)です。

1980年代後半から2000年あたりまで、自動車に関して言えば、ジャパン・アズ・ナンバー1な時代でございました。

はっきり言えば、日本で一番なら、世界でも1番の時代があったのです。

世界で最も早く排気ガス規制と燃費問題を克服し、性能問題解決策を構築したのが日本メーカーでした。その日本メーカーの世界的な立ち位置を、事実上引きずりおろしたのが、日本の運輸省(現国土交通省)ですけれども、文字数制限がありますので、それは過去記事をご参照くださいませ。

関連記事 日本の役人が、日本車から自信を奪った!

そのジャパンアズナンバー1な時期でも、1989年というのは、世界に与えた作品が数多く生まれた当たり年ですけれども、今回はその中でマツダの小型スポーツカー、ロードスターに着目してみたいと思います。

 

マツダロードスター(以下ロードスター)と言えば、小型軽量で、そこそこのエンジンを積んでいるオープンカーで、ライトウェイトスポーツと呼ばれるカテゴリーに属する作品で、私が子供のころは、イギリスのMGミゼットや、イタリアのアルファロメオスパーダ―など、まだそのカテゴリーに属する新車が発売されていましたが、ロードスター発表の1989年には、世界から消えていたジャンルなんですね。

なぜ消えたかと申しますと、80年代から世界的に厳しくなり始めた車体安全基準を、小さなオープンカーではクリアできなかったからです。

大きな車体ですと、ボディなどを強化すれば何とかなったのでしょうけれども、小型軽量ですと、技術的にもコスト的にも厳しかったですし、頑丈にしてしまえば当然重くなるわけで、ライトウェイトな作品ではなくなってしまって、それでは売れる商品にはなりません。

世界の自動車メーカーは、膨大な開発費用のかかる車両の新規開発を諦め、それまでのモデルが発売中止と同時に、世界中で次々とカタログモデルから消え続けていたわけです。

そのような自動車を取り巻く社会環境の中、ロードスターは発売され、瞬く間にヒット商品となりました。

しかし、重量1tを下回る車両重量で、安全基準をクリアするとは、マツダの技術力の凄さを垣間見る歴史的事実です。

当時マツダは、販売チャンネルの多角化をしていて、その後バブル崩壊と共に、会社自体が危機的状況に陥るのですが、その中でスポーツカーでありながら、マツダの唯一の光明と呼べるくらい売れ、累積販売台数で、4代目(NDモデル)となった今では、「世界で最も売れたオープンカー」としてギネス記録を持っています。

デザインは、かつてのロータスエラン(英)に似ていて、今見ても可愛らしい普遍性を持っています。またリアコンビネーションランプは、デザイン性と機能性の両立を評価されて、ニューヨーク近代美術館(MoMA) に展示・永久収蔵されているとのこと。

またディズニーのアニメ映画、「カーズ」の主役マックイーンに似ているようにも思うのですが、それは私だけが思っているだけかも知れません。

さて発表当時、世界でオンリーワンな存在だったロードスター、世界中のニーズを独占したわけで、それは世界の自動車メーカーも奮い立ちました。

マツダの英断により、「ライトウェイトオープンスポーツカーに、十分な顧客ニーズがある。」ということが証明されたからです。

そしてイギリスの名門MGからMGFが、ドイツからはBMW・Z3やメルセデスベンツSLK、イタリアからはフィアットバルケッタなど、ロードスターと同じ企画であるライトウェイトオープンスポーツカーが、次々と雨後の筍のように発表されました。

ロードスターは、ライトウェイトオープンスポーツカーの中興の祖となったのですが、ロードスターが偉大だったのは「その後」なんですね。

日本のマツダロードスターの成功を受けて、たくさんの作品が世に出たライトウェイトオープンスポーツカーですが、当時から約30年後の今現在の世界には、ライトウェイトオープンスポーツカーは、またマツダのロードスターだけになっているのです。

他の作品は、あるものはカタログモデルから消え、あるものは肥大化し、大きなエンジンを積んでしまったからで、ロードスターはまた、「オンリーワン」な存在となっているのです。

   

これはマツダというメーカーの、ロードスターに対する志もありましょうが、やはり、ライトウェイトオープンスポーツカーという分野が、商業的な面において、そうとう難しいカテゴリー作品であることだと思います。

自動車というのは、特に日本では誤解されがちなのですが、自動車は小さければ小さいほど、作ったり利益を出すのが難しい商品なのです。

自動車というのは、大きな作品も小さな作品も、エンジンは1個、ハンドルは1個、タイヤは4つと、基幹部品に大きな差はありませんので、大きなエンジンを積む大きな作品で、大きな動力性能を持つのは簡単ですが、小さなエンジンで、動力性能を稼ぐのは大変です。

また、大きな作品だと高級化できて、高額で売ることができますが、小さな商品だと値段を高くできないので、利益を出すのは高級車が圧倒的に有利です。

結局、ロードスターオンリーワン現象は、「今、日本以外の国で、利益の薄い小型車で、利益を出すノウハウがある国は、もう存在しない。」という現実を、示していると思うのですね。

かつて、日本の軽自動車の税金が、他の小型車と比べて安いことが、欧米など自動車主要国から、まるで輸入障壁のように言われたことがありましたけれども、日本人的には、「だったら、欧米の人たちも、軽自動車を作ればいいじゃないか!」と思うのですが、その背景には、「彼らには、軽自動車を作ったり、それで利益を出すことができない。」という現実があるわけです。

そしてもう一つ言えることは、1989年からずっと、マツダはロードスターを作り世に出し続けているのですけれども、ロードスターは他の商品とは、エンジン以外の部品の共有部分がほとんどない独立した作品で、結構高コスト商品です。

これを作り続けていられるのは、「ロードスターを作って売っても利益になるように、安く安定した部品供給体制が、今の日本にはある」ということを示しています。

これは、世界のシェア90%以上、事実上100%を持つ、部品大国日本の産業形態が大きいのですけれども、この世界でも稀有な技術力と、製造能力を持つ部品メーカーのほとんどは中小企業です。

これを、不景気であるとか、自己責任であるとか、そういう薄っぺらい観点で失っては、国富そのものが危うくなるということで、何としても、次世代まで頑張って企業経営していただいて、日本の富を支えていただかなければならないと思うのです。

それは、事実上世界のシェア100%ということは、「日本の部品メーカーが頓挫すれば、世界ではその日から、日常の工場製造ができない」といことで、とても重い責任を持ってるということです。

これは絵空事ではなくて、東日本大震災のとき、東京での長期の計画停電で、東京の下町の部品工場が操業できず、その結果、ドイツやアメリカで自動車工場が操業停止になったことがあっています。

小さな企業は、経営基盤は小さく、ちょっとした景気変動や、資金の不足に悩んでいます。

2020年からと言われている10%消費増税は、そうとう企業基盤を揺るがすと思われます。

さて今、この国の政府は、森友資料改ざん問題で揺れています。

森友と言えば文科省かと思いきや、財務省が叩かれているわけで、私にはその因果関係などはよくわからないのですが、政府はこの苦境、減税で乗り切ってみてはいかがでしょうか?

どうせ、国民の信用を失った財務省で増税は無理でしょうから、いっそ「1000兆円を超える国債は、国民の借金ではありません。これは政府の借金ですので、これを機会に国民の皆様に稼いでいただき、自然増で税収増を目指す財務省に生まれ変わります。」とでも言えば、国民も、「おおこれで、雨降って地固まるじゃな。」と言って納得なさるんじゃぁないでしょうかね。

本日は経典『震災復興への道』(幸福の科学出版)より、財務省の経営能力のなさを批判した一節をご紹介いたします。

                (ばく)

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「友情を築く」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

マツダ新型ロードスターを初代ロードスターと対決させてみた!!

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=38

私は何度も述べていますが、財務省は駄目なのです。

「財務省にいる人たちは、一つの会社さえ満足に経営できない人たちなので、その財務省に操縦されている政治家の意見に翻弄されてはいけない」ということを、どうか知っていただきたいのです。(中略)

例えば、個人が、銀行から三千万円を借りて、三千万円のマンションを買ったとします。この場合に、「借金が三千万円もあるから大変だ。もう破産する」というような騒ぎ方をしているのが、今の政府なのです。

しかし、三千万円の借金はありますが、もう一方には、三千万円のマンションという資産があるわけです。つまり、それは、いざというときに、転売すればお金に変わるものですし、値上がりすれば利益が出ることもあります。あるいは、そのマンションを又貸しすることも可能です。
 そのように、「負債」に見合うだけの「資産」があるのですが、財務省は、この資産の部分について、一切、公表していません。それを知らなければいけないのです。

また、例えば、(中略)銀行から一億円を借りて、一億円の工作機械を入れたら、それで金型をつくり続けることができます。つまり、それを商品として売り続けることができるわけです。借りた一億円が、それ以上のものになって返ってくるのです。

これが近代資本主義の精神です。

貸借対照表の一方に借金があったとしても、もう片方に資産の部分が着実に増えていけばよいわけです。(中略)

確かに、その資産の部分について、それが、「投資に当たるものなのか。単なる浪費にすぎないものなのか」を見分けるのは難しいことです。

今回は、堤防などを単なる浪費だと思っていたのでしょうが、浪費ではなかったということです。また、水力発電のダムも浪費ではなかったことが分かったと思います。

今後、東日本、特に東北地方を中心に、もう一回、インフラの再構築をしなければなりませんが、これは単なる浪費ではありません。

使ったお金の分だけの財産が、きちんと残っていくものなので、そこを間違わないようにしなければいけないのです。

こういうときには、国債でも他のものでも構わないので、気にせずに、お金を集めてインフラをつくったらよいと思います。そうすれば、そのお金に見合ったものが、きちんと財産として残ります。

したがって、国の財産と思われるものを正直に発表したらよいのです。

「これ以上、国債残高が増えたら、日本もギリシャのようになる」などと言われていますが、それは、財産の部分について発表しないからです。(中略)

発表したがらないのは、国あるいは地方公共団体に財産があることが分かった場合、「そんなに財産があるのなら、税金を取らなくてもよいではないか」と言われるからです。

財務省は、税金をもっと取りたいので、減税圧力をかけられるのが嫌なのです。あるいは、「そんな無駄な資産を持っているのか。それを売りなさい」と、すぐに言われるので、発表することができずにいるわけです。

このあたりに対してはマスコミもまったく無力だと思います。
『震災復興への道』(幸福の科学出版)P45~49

カーズ/クロスロード 『エンジン』 奥田民生


3・11に誓う「あきらめない心」と「心の挑戦」

2018-03-12 00:18:47 | エル・カンターレ 大川隆法という偉大な光

東日本大震災後に建立された仙台正心館 http://shoja.jp/sendai/

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もうあれから、7年が経ったのですね。

津波で多くの方が亡くなりました。

お亡くなりになった方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

2011年、東日本大震災の当時は、政権は民主党政権でした。

民主党は左翼政権で、当時は、打倒左翼ということで、自民党を応援する気持ちが、私にはまだありましたが、民主・自民・公明の3党によって、復航費用を増税で賄う、いわゆる復興増税を3党合意したときから、「既存政治に、神の代理人の資格なし!」と強く思ったことを、今でも鮮烈に覚えています。

普通の感覚ならば、大震災の時の政治は、税金など取れるものではないので、「持ち出しをするか」資金がなければ、「減税をするか」の二者選択です。

しかし7年前の日本では、大震災時に増税という、鬼のような判断がなされたことを、決して決して忘れてはならないと思います。

大震災時に増税というのは、たとえば、飢饉の年に年貢を増やせばどうなるかです。

またたとえば、あなたが急病の際、厚生年金を出費するが会社だからと言って、治療費の分、会社が「厚生年金分、もっと働け!」と言えばどうですか?

「鬼か!」と思いますよね。

こういう「鬼判断」が、現実にこの国の政治では行われたわけです。

要するに既存の政治では、大事なことが分かっていないのです。

「政治家とは、神の代理人である」ということです。

また「政治とは、神に代わって、国民の幸福の実現をすること」ということもです。

そして経済においては、「豊かな国民が暮らす国が豊かな国である」ということがです。

https://the-liberty.com/article.php?item_id=14032

結局、これからの時代、幸福実現党が世に出る必要があるということだと思うのです。

NHK大河ドラマで西郷どんをやっていまして、今の日本は幕末ブームですけれども、幕末に幕府はいっぱい判断を誤りましたが、今の政治も、とにかく判断が遅いし、とにかくよく間違うので、「既存政党には、正しさに基づいた判断力がない」と主権者である国民が、そろそろ見切りをしないといけないと思うのですね。

本日は、経典『心の挑戦』(幸福の科学出版)より、仏教で言う業(ごう)の思想が良く分かる一節をご紹介いたします。

           (ばく)

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大川隆法総裁 講演会2017 「あきらめない心」抜粋版(青森県弘前市・ホテルニューキャッスル)より

『知られざる天才作曲家 水澤有一「神秘の音楽」を語る』発刊記念 スペシャル・アーカイブス①

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もちろん、業(ごう)においては個人責任は当然の問題ですけれども、社会全体、人類全体というような、大勢の人々の共通の運命のようなものもあります。

大きな戦争のときには、個人個人は正しく生きていても、そこから逃れることはできない、というような運命があります。

これを「共業(ぐうごう)」といいます。これに反して、個人の業のことを「不共業(ふぐうごう)」といいます。

「環境や社会や時代のせいではないと言いつつも、実際には共業というのがあるではないか」「自分は人を殺したくなくても、戦争が起きたではないか。どうしてくれる」「自分は、一生懸命、事業をしているのに、経済不況が来たではないか」──そういう考えもあるでしょう。

ただ、これも結局は、人間というのは個人独りだけでは生きられるものではないということです。

ロビンソン・クルーソーのように、孤島に独りで生きるわけではないし、みんなで共同生活をしているわけです。

それぞれの人が「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」の縁起のなかで、お互いにつながって生きているのだ、ということを考えなければいけません。

そう考えると、社会が悪いとしても、その一端を担っているのは自分でもあるわけです。

ですから、自分自身の個人修行はあくまでも大切にしていくわけですけれども、自分がかたちづくっている共同体、その社会や国家自体が悪い場合には、その一員として世の中をよくしていくために、「自分も何かをしなければいけない」という気持ちを、常に持つことが大事です。

ですから、共業そのものの悪い傾向を解消するためには、やはり光の仲間を増やしていくことこそが正道であるわけです。

そのためには、どうしたらよいか。それは仏法真理を一人でも多くの人に伝えることです。それも、真心を込めて、熱意を込めて、一人ひとりに仏法真理を伝えていくことです。

それが、やはり、多くの人々の共通の運命としての共業が、不幸な方向に向かっていくのを救うことであると思います。(中略)

個人個人が自分の心を正すことは大事なことです。

しかし、「個人個人が自分の心を正していって、その流れが全体に広がったときに、全体の運命をも変えていけるのだ」ということを教えることもまた、大切な大切な修行であると思うのです。

ですから、「利自即利他(りじそくりた)」──自分を磨きながら他の人々をも導いていく──

それこそが真実の宗教のあり方なのだということを、どうか深く悟っていただきたいと思います。
『心の挑戦』(幸福の科学出版)P258~261


天使の証明と「豊かになる考え方」

2018-03-10 00:46:49 | ばくちゃんの独り言

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世界には、現に様々な価値観が存在します。

「何を素晴らしいとし、何を美しいとするか。」「何を価値あるものとし、何をくだらないものとするか。」

特に最近が科学技術も、その根底にあり知識も、日々大幅に進み、個人主義的な風潮や、情報収集ツールの発展などから、その価値観の多様性には、付いていくのが大変です。

その中で、どういう意見や考え、そして行動を選択すれば良いかは、その時その時、大いに迷うものではありますが、一つだけ、「これだけは選んではならない」という基準があると思います。

それは、「悪魔が手引きする方向は、選んではならない」ということだと思うのです。

悪魔が手引きする方向とは何か???
それは、彼らには「創造性がない」ということでわかるのです。

共産主義国家は無神論国家でもありますが、無神論に芸術というのが、果たして存在するでしょうか?
無神論的な美というものが、世の中には存在するのでしょうか?
 
今のロシアの前身、旧ソビエト連邦(ソ連)時代において、文化文明というものが、そこで新たに創造され、形になって現れたでしょうか?

現在の中国や、北朝鮮においても、同様の問いかけに、果たして、「これがそうだよ。」と言える、確固たる無神論的美なるものが、果たしてありますでしょうか?

これらの地には、どこにもそのようなものは存在しないのです。
いやむしろ、神なく仏なく、善も悪もなく、ただ己が生き残ることのみを目指しての粛清文明こそ、無神論のなれの果てではないでしょうか?



話を戻すならば、ソ連における観光名所や、ソ連で培われてきた文化は、旧ロシア帝国時代のものの継承であり、今の中国でも、それは、中共国家(中華人民共和国)建設以前のものです。

アメリカや日本においては、年間様々な特許などの新製品、新技術が開発され、発表されており、信教の自由のある自由主義圏においては、「発明」という創造性の結露が生まれ続けます。

しかし共産主義(無神論)である今の中国における年間特許は、数こそあれ、内容はどうでしょうか?

中国といえば、コピー商品。
通称、『海賊版国家』と言われるくらい、マネするだけに終始し、新たな新発明、新発見の少ないことと、共産主義と関連は必ずあるはずです。

一言で言えば、芸術や創造というのは、神の属性なのです。
そう私は、固く信じております。
 


神に憧れ、神を真似ようと努力する天使であるならば、神と同様の創造性が、必ずあるはずなのです。

それは、『もの』 に限りません。

アイデアやシステムといった、眼には見えないソフト面での創造性。
人と人とを結びつけて、新たな分野を開発したりすることも同様です。

物質的、非物質的に関わらず、努力し、工夫して、創造する性質を持つものが、神の子、神の弟子、天使の証明でないかと私は思っています。

反対の意味において、「悪魔は、新たな創造の邪魔しかできない。」とも言えると思います。

つまり、悪魔は、「神様の邪魔しかできないのが悪魔」なんです。
 
本日は、経典『創造の法』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語る「努力する前提あればこその創造的人生論」をご紹介いたします。
 
              (ばく)

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「豊かになる考え方」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

努力を続けるためのコツ 天使のモーニングコール1357回 (2017.09.30,10.1)

『創造の法』(幸福の科学出版) https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=102

「創造的に生きる」というと、湯川秀樹のような天才型の人を思い浮かべがちですが、単なるひらめきやインスピレーションだけで、誰もができないような創造的なことをスパッとできるでしょうか。

そういうことも、たまにはあって、まったくないわけではありません。しかし、たいていの場合は、そうではありません。
ひらめきは、汗をかき、うまずたゆまず努力しているなかに、突如として出てくるものなのです。努力することを軽視し、ひらめきやインスピレーションだけをもらおうとしても、それを得ることはできません。

私は、インスピレーション体質であり、霊示をとてもよく受ける体質ですが、それに頼ろうという気持ちは非常に少ないのです。

それは、『青春の原点』(幸福の科学出版刊)などでも述べているように、自助努力の気持ちが非常に強いからです。

「自分の足で立とう。自分で努力して道を拓いてこそ本物だ」という気持ちを強く強く持っています。

やはり、自力というものを基本に据えたなかで、他力のインスピレーションは降りてくるのです。

インスピレーションの本質は、ほとんどの場合、守護・指導霊による導きです。
彼らは、物事の先が見えたり結論が見えたりすることがありますが、この世の人間の努力、修行というものを非常に大事にしています。

この世の人間が、けなげに努力していると、彼らは、良いアドバイスをしてくれます。

ところが、この世の人間を見ていて、「怠けているな。堕落しているな」「慢心しているな。うぬぼれているな」などと思ったら、「分かるときが来たら分かるので、それまでは放っておこう」と考えて、知らん顔をし、その人が痛い目に遭うまで放っておきます。

したがって、痛い目に何回も遭っている人は、おそらく、守護霊から、「この人は駄目だ」と見られていると思います。

「自分で『冷暖自知』をせよ。冷たいか暖かいかは自分で感じ取れ」ということを教えられているのです。

そのように考えなければいけません。
『創造の法』(幸福の科学出版)P20~22


神が創り賜うた鈍足非力な人間と「幸せを呼ぶ祝福の心」

2018-03-08 22:18:22 | 命の不思議

 100m走日本記録(9秒98)保持者 桐生祥秀選手

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私は看護師で、人様のお身体を拝見するお仕事をさせていただいていて、日々「人間は神様が創り賜うた」と実感しております。
 
「生き物は偶然現れ、偶然と偶然が重なって、より高度な生命体へと進化した」とする、ダーウィンが発表した進化論で、数多く語られる論調では、「人間は、二足歩行ができるようになって進化した。」と、よく言われます。

しかし、果たして二本足歩行は進化なのでしょうか?
 
「弱肉強食、生き馬の目を抜くが如きの野性の中で、二足歩行を果たして進化と呼んでいいのか。」この説を説いている方、また信じている方に、私は問いたいです。

人間の走る最高速度は、時速40㎞足らずです。

多くの犬は時速60km台で走ります。
カバだって、あの巨体で、時速40kmは平気で出ます。

人間の走る能力は、事実上、自然界一の鈍足です。

しかも先に書いた『最高時速40km』という記録は、100mを9秒台で走る人の話です。 
 
人類の中でも選ばれた、ごくわずかな人が、人生のひと時の中で、ほんの一瞬出せる速度でさえ、人類は自然界最鈍足なんですね。

ちなみに私は、人類の中でも、かなり鈍足の部類ですけど・・・。(爆笑)


人間は、なぜ足が遅いのか? 
答えは簡単です。 
 
二足歩行だからです。
二本より四本の方が、速く走るには圧倒的に有利です。

足が遅いこと、これは、自然界においては致命的です。
逃げられないし、エサを採れないからです。

もしも、二足歩行で速度く走ろうとすれば、カンガルーやダチョウのような、足と、身体全体の構造でなければなりませんが、現実はそうはなっていませんよね。
 


また、腕力も自然界最弱です。

有名な動物タレントの チンパンジーのパン君が、5歳の時の握力は50kgありました。
チンパンジーの平均寿命は約50歳ですから、実年齢は人間と同じと思ってよくて、つまり、5歳のチンパンジーは、人間の5歳児と変わらないと考えてよいです。
 
つまり、チンパンジーでは、5歳の子供ですら、握力50kgあるわけです。
ちなみに私の握力は、そんなにありません(笑)
私は、見掛け倒しの非力な男です。(爆笑) 

生物界で最も足が遅く、最も非力で、夜目が全く利かず、泣く子を抱えて生きるのが人間です。
しかも膨大な酸素を消費する、大きな脳を持った人間は、最低で4時間もの睡眠時間を必要とします。
野生動物の中で、それほどの睡眠時間を必要とする動物はいません。
 
これでは、野性の中ではいいカモです。
すぐみつかりますし、食べられ放題です。
 


このような鈍足、そして非力だと、きっと人間は、知恵が身に付く前に滅んでしまうでしょう。

以前書いた記事と、結論が同じになってしまいますが、「人間は、自然界から自分たちを守るために、社会の中で生きることを前提に創られている」としか、弱肉強食の自然界で生き延びることができないのです。
 
つまり、進化論が正しいのであれば、人類は社会を形成し、地上で主流の位置に立つ前に、絶滅しているはずです。
生き物単体の寿命は数十年と短いので、環境の変化や、突然変異や、自らの進化を待っていられないからです。
 
特に人間は、他の動物と違って、とても貧弱に生まれるし、出産年齢まで育つのに、時間を要するために、多くの子どもを残せません。
 
人間が自然界でも生きていけるのは、『社会』を築いているからです。
 
 
ですから、現在そうなっていないのであれば、「人類の発祥時には、ある一定の数がいて、地上に出現した時点で、すでに、社会を築いていないといけない。」ということが言えるのです。 
 
「人間は、社会の中で生きることを前提に創られた存在である。」
 
これが、生物界をつぶさに観察して得られる『真実』となります。 
誰も見たことのない「ダーウィン的進化」は、やはり幻影なのです。
 
つまり、生物界最弱の人間が、万物の霊長として威張っている事実こそ、「創造論=生命は神が作り給うた。」という、厳然たる事実の確固たる証明なのです。
 
本日は、経典『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁による、説法の一節をご紹介いたします。
 
         (ばく) 

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「幸せを呼ぶ祝福の心」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

世界最強の動物ランキングベスト10

 

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「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉は、「法を説く人がいるときには、その人の説く法に従いなさい。法を説く人が亡くなったときには、その人が遺した教えに従いなさい」ということを意味しています。

これは、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」という、仏教の教えです。

仏教では、昔から、「仏陀(ぶっだ)が生きているときには、仏陀の教えに従いなさい。仏陀が地上を去ったときには、仏陀の遺(のこ)した法に従って、各自が自分で心に灯をともして生きていきなさい」と教えているのです。

ある言葉をそのまま字義どおりに受け取ることは簡単なのですが、それでは往々にして誤解することがあります。

真剣に教えを求める気持ちがあるならば、きちんと指導者につくべきです。そうしないと分からないことがあるのです。

「仏・法・僧」の三宝に帰依することが大事です。

仏とは、仏陀、悟りたる人のことであり、法とは、仏陀の説く教えのことであり、僧とは、仏弟子の集団、サンガと、そのルールのことです。

信者になって、サンガに帰属すれば、自分には分からないことを周囲の法友たちが教えてくれるようにもなります。

それにもかかわらず、「私は自分独りで悟りますから」と言う人は、「独覚(どっかく)」(師なくして独りで悟り、目覚めること)の悟りを目指すことになるわけですが、その悟りは、ある程度のところ以上には行きません。

やはり、信者となってサンガに帰属し、指導者の下で法友と共に学んでいくほうがよいのです。
『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)P141~143


健康的な睡眠と体温と『正心法語』

2018-03-07 00:15:44 | 健康・美容

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私は看護師ですが、時折書かせていただいている健康関係記事に、たくさんコメントやメッセージをいただき、お困りの方がたくさんいらっしゃることを知りました。

今は春の初め、ちょうど「春眠暁を覚えず」の季節のちょっと前ですけれども、不眠症でお悩みの方からご相談を受けましたので、一筆書かせていただきます。

実は、人間が寝るためには、体温を約0.5℃下げないといけなくて、たとえば、赤ちゃんが眠たくなると、機嫌が悪くなって泣きますけれども、これは、体温を一時的に上げることで、放熱しているのですね。

赤ちゃんは手足が短いので、体温調節が十分にできないので、泣くことで体温を上げ、汗をかくことで放熱しているわけです。

手足は、対表面積が大きく、ちょうど、放熱フィンのような働きがあり、人間は、体温調節は、手足でやっていて、暑いときには、手足の血管を広げ、血流を増やして放熱し、逆に寒いときには、手足の血管を縮めて血流を制限し、体温の損失を防いでいるのです。

 ですから、冬場の手足の冷えは、入眠に大きく作用します。

他の動物のことは存じないのですが、人間はこの、生物学的法則から逃れることができません。

夏の暑い時期に寝苦しいのは、体温を下げられないからですし、冬は冬で、手足が冷えてしまって、その結果、体温の放熱ができなくなるからです。

「冷えていたら、体温が下がって、いいんじゃないのか?」という疑問があると思いますが、手足が冷えると、血管が縮こまりますので、放熱はできないのですね。放熱できないので、体温が下げられないのです。

実は手足の冷えというのは、血管が縮こまって、血流が悪くなるから冷たいのであって、手足の血管が広がると、体の中心から、温かい血液が流れてくるので、ポカポカと暖かく感じるのですね。

しかし寒いとき、手足の血管が縮こまるということは、体温を逃がさないための、生体反応です。

体温が下がり、低体温症と呼ばれる状態にまでなると、最悪の場合は命の危機になりますし、長期的には、免疫力の低下となって現れます。

身体の免疫機能は、高体温の方が強いのでして、免疫の中枢であるT細胞などは、37℃以上でなければ力を発揮できません。

風邪などをひくと、体温が上がるのは、免疫力を上げるための生体反応です。

要するに低体温だと、急激に免疫力が落ちて、感染症に罹りやすくなるので、身体は一時的な寝苦しさより、体温が下がりすぎないように、選択すると思われます。

湯たんぽや電気式毛布は、熱傷や低温熱傷に注意する必要があるのと、入眠時だけ作用するようにしないと、体温が下がらないので、眠りが浅くなる傾向が出るようです。

また低温熱傷は、血流が悪い場合にはなりやすいので、ご高齢者や寝たきりの方は、十分お気をつけください。

寝る前に、足湯をするなりするだけで、かなり足の冷えは改善されますし、セントラルヒーティングや床暖房、ホットカーペットなど、足元が暖まる器具はとても有効です。

エアコンだと対流の関係で、どうしても上部が暖まる傾向があり、床は冷たいことが多いです。最新型では、人のいるところを暖める、ピンポイント型もあるようですが。

我が家の長男は、冬の夜に勉強をする際には、家の中で、モコモコの毛皮のブーツを履いています。(爆笑)

寝るまでは暖めて、靴下を脱いで寝るのが理想です。

靴下を履いていると、どうしても放熱が、妨げられてしまうからです。 

さあ、手足を暖めても、それでも寝られない方はどうするか。

 

それは、心配事や考え事があると思います。

そのような時期は、人生にはありますけれども、じっくり寝て、すっきりすれば、良い考えも浮かびやすいものです。 

私は、寝る前の、『正心法語(しょうしんほうご)』の唱和をお勧めします。

正心法語は、幸福の科学の経文です。

(三宝帰依者向け、仏説正心法語)https://happy-science.jp/dharma/

 

(入会者向け 入会版正心法語)

正心法語唱えると、体がポカポカして、暖かくなるからです。

不思議ですが、本当にします。

「これが天国の心なのか。」という感じですね。

春の日差しが差し込むような、心地よい面持ちになります。

 

天上界からの、霊的な光が、心に差し込んでくるのが実感できます。

正心法語の内容は、さすがに「宗教的密なる部分」ですので、ブログでは公開できませんので、最寄りの幸福の科学の支部や精舎にお問い合わせいただきたいのですが、正心法語を唱えると、心地よく暖かくなりますし、リラックス効果のあるので、とても早く寝られます。

幸福の科学に入会すれば、正心法語が読受できます。

それでも寝られない方向け、絶対に寝てしまう方法があるのですが(笑)、これはまたいつぞやの機会にお届けいたします。

本日は経典『逆境の中の希望』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁御自ら、幸福の科学の会員と三宝帰依のおすすめを語った一節をご紹介いたします。

             (ばく)

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「病気を跳ね返す力」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

「健康生活のススメ」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=25

幸福の科学の信者には三帰誓願者と会員とがあります。(中略)

当会に入ることを望んでいる人には真面目な人が多く、「真理の勉強や修行が進んでからでないと、信者になってはいけないのではないか」と思い、遠慮している人が多いため、「もう少し気楽に入れるように」という理由で、三帰誓願者以外にも、会員というかたちで入会できることにしているのです。

ただ、この両者には、もともと、それほど扱いに差があるわけではないので、会員のみなさんは、どこかで早く発心し、三帰誓願者になっていただきたいと思います。

三帰誓願者になったほうが、もちろん、光は強くなり、いろいろな奇跡が起きやすくなります。

これは当然のことです。そして、救う側としての力は、もっと強化されてくるのです。(中略)

布施など金銭的なことを考え、「三帰誓願者になるより、普通の会員でいたほうが、金銭面での負担が軽い」という理由だけで、三帰誓願者にならず、会員のままでいる人もいるかと思います。

しかし、布施は、自分にとっての修行であり、功徳を積むことであって、何かを買うための対価ではないため、「値段が高い」と考えるようなものではありません。

「目に見えないもののために金銭などを差し出す」ということによって、修行を重ね、功徳を積んでいるのです。

したがって、「お布施ができるような身分の自分になりたい。しっかりと仕事をして収入を上げたい」と考えてみてください。

また、自分自身に収入がない主婦の場合には、ご主人に対して、「あなた、もっと出世して、きちんとお布施ができるようになってください。幸福の科学の信者なら、もっと偉くなり、お布施ができる経済的余裕をつくってください」と言って尻を叩き、課長は部長を、部長は役員を、役員は社長を目指して頑張るように、プッシュしなければなりません。

決してマイナス発想をしないでください。(中略)

三帰誓願者の値打ちは高く、「この国を護る光である」と私は思っているので、ぜひ増えていただきたいのです。

会員のほうは、どんどん増えていますが、三帰誓願者のほうは、養成するのに多少の手間がかかるため、伸びが少し弱く、その傾向は全国的にあります。

しかし、ここは、光の直流が流れてくるところなので、多くなければ駄目なのです。

三帰誓願者は、ある程度、修行の年数がたつと、いざとなったら、支部長や講師に代わって、同じような仕事ができる立場にあります。

一定の法臘(ほうろう)(弟子になってからの年数)がある人には、それだけの力があるので、そういう人は数多くいたほうがよいのです。

「会員のままのほうが金銭的負担が軽い」と思っている人がいたら、そういう人には、

「実際には、三帰誓願者になるほうがよいのです。こちらのほうが、あの世へ行ってから、“お得”です」と述べておきます。
『逆境の中の希望』(幸福の科学出版)P136~142


「信仰者の団結こそ、この時代の希望」ではないでしょうか!

2018-03-03 00:13:04 | エル・カンターレ 大川隆法という偉大な光

大川隆法講演会特設サイト https://ryuho-okawa.org/sp/mission/

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私は幸福の科学の信仰者です。 

そして同時に、私は神様仏様を信じる方々、全ての味方です。 

現代日本は、無神論的風潮が強くて困ります。 

しかし無神論は、「神様なんていない。」という『教え』を信じているのです。

同様に唯物論は、「あの世なんてない。」「死んだら、何もかも消えてなくなる。」という『教え』を信じているのです。

どうでしょうか?

神様仏様が実在しないということを、実証的、論理的に証明できますでしょうか?

死後の世界が、絶対に存在しないとう証明が、果たしてできますでしょうか?

「神などいない」「死後の世界などない」というのは、そういう『信仰』なのです。

幸福の科学の経典の数々 https://www.irhpress.co.jp/

私は神様仏様を信じる方々は、この無神論的風潮を日本から払拭し、信仰心を持って生きることが尊いことを、日本に根付かせるために、団結するべきだと願っています。 

一宗一派を超え、神様仏様の理念のもと、共に神の子仏の子として、手を携えるべきです。

そのことが、世界から戦争をなくし、不幸をなくしていくための、現実的な希望となるはずです。 

日本以外の国では、信仰心を持っていることは当たり前ですし、宗教は尊ぶべきものです。

それが世界基準です。 

しかし世界各国では、その宗教が戦争の原因ともなっております。

悲しむべきことです。 

しかし日本の歴史には、世界ではまだ克服できていない宗教戦争を、実際に克服した歴史があります。 

日本では約1500年前の聖徳太子の時代に、仏教と日本神道の戦いがありましたが、それを最後に、宗教が原因で人々が争うことはなくなりました。

歴史的に、世界で唯一宗教戦争を克服した日本は、世界に希望を与えるために積極的に宗教を研究し、信仰を研究し、その宗教間の争いを克服するために、今こそよき見本を示すべきだと思うのです。 

幸福の科学の精舎ご案内 http://shoja.jp/abouts/

無神論者の根拠には、その理論を体系化したマルクス自身の、「この世の現実に絶望した」「この世の在り様に失望した」という、人生での経験が大きく影響していると思います。 

ですからその体系化された無神論・唯物論というのは、決して真理という側面ではないと思います。(ここで言う真理とは、要するに、どこから見ても、いつ見ても、誰から見ても真実だ・・・ということです。) 

何故ならば、マルクスは、「人が司る事が出来る社会体制」によってユートピアを求めたからです。

共産主義思想は、ユートピア思想でもありますが、その共産主義的ユートピアは要するに、「神様を追い払うことでユートピアはできるのだ。」ということなのです。

無茶苦茶な論理です。 

神様を追い払うことでユートピアができるのでしょうか?むしろ逆なのではないでしょうか?

それは、悪魔の暮らしやすい世界であるはずで、多くの人類は、それで幸福になれるはずはないのです。

ではマルクスは何に絶望し、何に失望したのでしょうか?

私が思うに、「神がいる」ということにです。

「神がいたならば、このように不公平な、理不尽な世の中、社会であるはずがない」
「神がいたならば、このように苦しむ人、不幸な人がいるはずがない」

と、マルクス在世中の世の中を見て、彼はきっとそう思ったのでしょう。

逆説的に言えば、彼は理想主義的とも言えるし、神の愛を知っていたとも言えます。

この前提は、「神は人を愛している」「神は人を不幸に導くはずがない」と思っていないといけないからです。

幸福の科学学園 http://kansai.happy-science.ac.jp/

しかし、この世の権力基盤として横暴に振舞う、当時の教会勢力の支配するヨーロッパ社会は、彼の理想とするものではなかったのです。

だから結論が、『神』などいるわけがない、そして、「神」がいないのだから、あの世はない、となったと私は考えています。

カール・マルクスは理想主義的な人物だったのでしょう。

しかしその理想主義的な思いは、神を否定するのではなく、当時の原始的な宗教界に向けられるべきでした。

そして「現実」を観る時に、「時間論・空間論」に考察が及ばなかった為に、理論として、そして結論として、不完全であったと思います。

考えようによっては、「無神論者」も「信仰深き者であった」と言うことが出来るとは思います。

私は、無神論者は、「死」をとても恐れていると思います。
何びとであろうと、行き先がわからない不安は、突然に蓑を被せられて、連れて行かれるのに等しいと思うからです。

しかし、であるからこその宗教なのです。



哲学的に言えば「時間論」「空間論」ですが、宗教ではそれにあたるものが、「霊的人生観」です。
また仏教では、「人生」を、今の一世だけで考えるのではなく、「転生」という「永遠の世」で考えます。

今こそ、宗教の復権が必要です。

神様、仏様を追い出すことでユートピアが来ないことは、ソ連や中国や北朝鮮などの、無神論=共産主義を国教とした国々の、血塗られた歴史が証明しております。

神仏を信じる方々は、どうか一宗一派にこだわらないでください。

その違いに目を奪われるのではなく、どうかその違いを個性として、心を広げる機会として下さい。

それが未来への希望の扉を開くのです。

幸福の科学には、全世界の人々が、そして科学的思考を持つ現代人が、現代的知性でもって理解できる神仏の心、そして神の子人間のあるべき姿、そして人生の目的と使命が、霊界や心の法則を包括して、論理的に体系的に教えが現在進行形で説かれ続けているのです。 

本日は大川隆法幸福の科学グループ総裁の経典『神秘の法』(幸福の科学出版)より、神のマネジメントを彷彿とさせる教えの一節をご紹介いたします。

               (ばく)

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光ある時を歩む 天使のモーニングコール1345回 (2017.07.8,9)

神秘の法

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実は、霊界通信などを使った、この世での真理の普及運動については、幸福の科学の活動が始まるよりもっと昔の、いまから百五十年余り前から、「大きな計画」がありました。

具体的な年を挙げるとすれば、決定的な年は一八四八年です。
この年に、マルクス(中略)とエンゲルス(中略)の『共産党宣言』が出されたため、「これから地上で唯物論運動が起きていくであろう。やがて、ソビエト連邦や中華人民共和国という大きな国家もできて、唯物主義の勢力が世界に広がり、地球の半分ぐらいまでを席巻するであろう」ということが、もうすでに予見されていました。

そのため、ちょうど同じころ、一つの戦いが開始されました。

アメリカにおいて、いろいろな心霊現象が起きはじめ、「心霊主義」などと訳される「スピリチュアリズム」が始まったのです(近代心霊主義)。その最初の年が一八四八年です。

この年、ニューヨーク郊外のフォックス家で姉妹に心霊現象が起きました。

まず、「ラップ現象」といって、「音が聞こえる」という物理現象が始まり、コツコツ、コツコツという昔が、天井など、いろいろな所から聞こえました。

そして、不思議な現象なので、あれこれと調べはじめたところ、次々とポルターガイスト現象類似の事件が起きはじめたのです。(いわゆる「ハイズビル事件」。)

フォックス家で、そういう霊現象が数多く起き、全米の関心が集まりました。それを喘矢(スタート)として、その後、あちこちで、さまざまな霊現象が起きるようになったのです。

イギリスのロンドンなどでも霊現象が盛んになっていきました。(中略)

十九世紀の後半から二十世紀の初めぐらいにかけて、有名な霊能者だけでも百人以上を地上に出したと思います。霊能者が各地に数多く輩出しました。

ちょうど科学が発達しはじめたころであり、その流れとも合いやすいので、最初は、そういう物理現象を数多く起こしました。

当初の第一段階の計画は、「物理的な霊現象を起こし、『この世では分からない世界からの働きがあるのだ。この世の人には理解できないことがあるのだ』ということを人々に悟らせる」というものでした。

そのために、何十年かのあいだ、そういう現象を起こしたのです。
そのなかでも有名なのは次のようなものです。(中略)

サー・ウィリアム・クルックス(中略)などの科学者たちが、心霊現象を科学的に研究し、「エクトプラズム」という、一種の霊エネルギーを人間のなかから抽出し、現象化させたのです。(中略)

それから、他の人の心霊実験ケースですが、「空中浮揚」といって、現実に、「空中に人が浮く」ということも、物理実験として行っています。(中略)

また、「宝石など、そこには存在しないものを空中から出す」という、「物品引き寄せ」的なことも、かなり行いました。(中略)

このように、霊界の証明を、あの手この手で徹底的に行ったのです。

アメリカでもイギリスでも、大変な量の証明を行いました。(中略)

こうして、そうとうの地ならしをしました。第一段階として、そのような物理現象を起こしたのです。
『神秘の法』(幸福の科学出版)P164~175


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