今年に入って,
4つ目の病院で
ちょうど入院100日目となる未明
しずかに 眠るように
父が息を引き取りました。
大正 昭和 平成 令和
の4つの時代にわたった
94歳の生涯(数え歳)
天寿を全うしました。
遺言の通り,
かねてからお願いしていた住職
3人に来ていただき,
にぎやかな?
お経を聞くことができました。
葬儀でのスライドの中に
昔々の写真が何枚かあり
懐かしさがこみ上げました。
90年前の写真
父3歳はその祖父の膝で
7人兄弟の
やんちゃな長男だったとのこと
地元の同級生はあと2人と,
言っていた父でしたが,
そのお一人も葬儀に来てくださいました。
戦中の教え子達も来てくださり
( とは言っても80代の方々 )
そのお一人が
「先生が戦争に行く時は みんな 特に女子がなあ
行かないで~って叫んだんよ・・・」
昭和20年4月20日入営とある写真
私達子ども世代はわからない
その時代に生きた人達の
戦中戦後を過ごした方々のお声を
聞くことができました。
名誉住職が
真言宗管長の弔辞を
読み上げて下さった後,
父の孫6人の中の
双子の兄弟2人が(すでに33歳)
「おじいちゃんへ」 というお手紙を
読ませてもらいました。
~・・・僕たちが生まれた時からよく似ているので,
どちらかの名前を呼ぶ時も両方の名前をいつも連呼していました。
それはずっと変わりませんでした。 父が外国で仕事をしていたので
おじいちゃんが父のような存在でした。 ・・・・・・・・・~
ひ孫達は3人いて
3歳の子は,
「ばん爺は何でこの中(棺)に入っとん?」
火葬場でお骨上げをしていると,
「ばん爺はどこへ行ったん?」
と,きょろきょろしています。
葬儀の翌日,お礼参りに行って
見つけたレモン