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考えてみようコラム:資格取得と資格の活用

2013-04-26 08:15:20 | 考えてみよう:コラム


「資格を持っていれば先々安泰?」という考え方がありますが、どうでしょうか。
こういった考え方でケアが出来るのでしょうか。
出来るかできないかということはわかりません、その人の考え方行動によりますので。

これからの考え方は、もしかすると180度変化するかもしれません。

資格社会は、これからも続くと思いますが、安泰とは言い切れなくなるかもしれないですね。
資格者が、事故や事件を起こしているニュースが多くありませんか。

資格取得者の取得後の研修や講習も必要とされてきているのです。
資格保持者はその資格を生かすことを考えて欲しいものです。

また、これから資格を取ろうとしているのなら資格をとったらどう生かそうかという考えを持って欲しいものです。
ただ資格を取るために、病院や施設に就職することがあります。
これぞ「無知」そのものなのです。

私の言葉で言うならば「爆弾」と考えます。

資格をとってどうすべきかを考えると、取得後「生かせる」という可能性を秘めているのではないでしょうか。
観る側となるならばその責任を考えるべきだと思います。

「人はミスを犯す」という考えでは大きな事故が起きる可能性があることに対して「危機感」というものを考えることが必要かと思います。
生活のための一つには、資格手当てというものは欠かせないと思います。

手当てがつくということは資格保持者であって手当て分は働かなければならないことを忘れない、自分流の理屈は必要ないと思います。

「自分流の理屈」は、周囲に負担をかけていることもありますから、お気をつけてください。
ただ、これも施設の体質によるかもしれません。

無経験者ばかりの職場では、無経験者の理屈が通っていますから、人間関係には気をつけなければなりませんね。

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考えてみようコラム:文献だらけの知識より体験を生かそう

2013-04-22 08:32:38 | 考えてみよう:コラム


教本などのマニュアルというものがあるが、これは知識としては生かせると思います。
しかし、現実に障害者や高齢者の方々に生かせるだろうか?
それだけを生かそうとするなら、理屈で説明するだけで何の解決策もなく障害を持った高齢者は嫌がるかもしれません。
よく考えてみてください。
例えば、私も含め若輩者が、戦争を知っている高齢者を観ていくのです。
これは忘れてはいけません。

理屈だけで、何の結果が出せるというのでしょう。
体験というのはここでは「チャンス」としましょう。
チャンスというものは限られているものです。

そのチャンスから、逃げてはいけないということです。
不安があるのなら体験した人について、その方と体験してみるのも良いでしょう。
知識を得るために文献を読むのはいいのですが、しっかりとした裏づけというものを調べることが必要と考えます。

なぜかというと、時代は変わり、これまでの常識が非常識となっていることもあるようです。
進歩といっても良いかもしれませんが、以前の治療法は、現在では非常識となっていることもあるのです。
また、ケアについてもそのように感じます。

病院、施設上位のケアであったものが、現在でも残っているものもあります。
しかし、利用者が上位となって、サービスを選べるようになってきているのです。
その代わり提供する側は、大変な思いをしているとおもいます。
文献だらけの知識は「無知」と言っても良いかもしれません。

知識がないという意味なのですが、今の時代は経験が一番だと思います。
体験や経験がなければ「無知」としても良いのではないでしょうか。
知識と技術どちらも必要な時代だと思います。

技術はチャンスでもあり、知識もチャンス、文献だけの知識だけではなく体験からの知識のほうが、現実に役立つことが多いように思います。
ここでいう「無知」ということですが、無知の場合、無謀なことを平気で行ってしまうことが多く見受けられます。

とても怖いことですね、社員や職員となれば、プロフェッショナルなのです。
大きな事故の原因を作らないよう気をつけてください。
しかし、それは職場の体制体質、指導の仕方によります。

指導する側が、しっかりとしたケアを考えていると良いですね。
ケアとは、一般的な、人間関係とも、共通しているように感じます。

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考えてみようコラム:心のケアには笑顔が一番

2013-04-19 16:00:41 | 考えてみよう:コラム


これは、まさにその通りです。笑顔なくして、良いケアは出来ません。

笑顔や笑いという姿の中には大きなものが隠されているのです。
笑顔は親しみや、笑いを生みます。
以前にも、快笑について、書いていましたが、笑顔として、ここでは書いています。

笑いは、新陳代謝を良くする事もあるようです。
笑い過ぎてお腹が痛くなることもありますが、それだけ身体を使っているのです。
笑いというのは「ナチュラルキラー細胞」を活性化するということもあるようです。
NK細胞(ナチュラルキラー細胞)は生活するうえで、欠かすことの出来ない細胞と私は考えています。

これは、イベントを企画する際に、なぜ笑いが必要かとインターネットで調べたことがあります。
お腹の底からの笑いというものはかなり身体機能、および生活環境を変えることが出来るようです。

NK細胞の詳細は、以前に書いてあるので、省略させていただきます。

さて、その一番についてですが、ここにも思い込みがあって、自己満足で終わってしまうことがあります。
すべての人がその笑顔を見て、どういう思いを持っているかということです。
誰もが、その笑顔が良いねとは、思ってはいないようです。

中には、本当はいつも笑っていて、面白くないと思っていることもあるようです。

例えば、施設利用者(通所者)は自分で行きたい場所にはいけず、その場にいなければならないこともあります。
しかし、依存傾向の方であれば、
面白くないことがあってそれを共感してもらいたくて、ただ話を聞いて欲しいという人もいるんです。
そんな時に、笑顔で明るくされるということは、
もしかしたら、その笑顔は、
相手にとって「いやな笑顔」になってしまう可能性はあるかもしれません。

確かに笑顔の介護、笑顔の付き合いというのは、
すばらしいケアの一つかもしれませんが、
その笑顔で強引に雰囲気を作る必要はないように思います。
笑顔を提供するのは良いが、雰囲気を良く考えてみることも必要かもしれません。

人間関係やあかの他人においても、同じことが言えるでしょう。
生きている限り、人間関係に関して、ケアというもは必要なことでもあるのでしょう。
ケアには、個別性が、重視されるのです。
信頼関係を築くというのも、笑顔がきっかけを作ってくれるかもしれません。

それは観る側の行動や姿勢、相手に対しての思いの上で信頼関係がもてるということも忘れてはいけません。
あくまでも、他人同士でもあるのです。

相手の生きてきた生活環境を、もっと考えてみるのも良いでしょう。
ただの自然な笑顔が一番と思っていたのですが、

それは、ご近所付き合いとか知人友人とのお付き合いで、
職業とするならば、その笑顔にも問題があるのです。
とても難しいですよ。

しかし、相手を見る視点を変えると、単純な事なのです。

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考えてみようコラム:自己満足的対応から観えてくるもの

2013-03-26 16:00:00 | 考えてみよう:コラム


自己満足とは、自分が一日を通して満足したかしないかによるということは理解できるかと思います。

さて満足度というと、これは仕事への満足か、ケアができた満足に分けて考えてみます。
両方の考え方もあるかもしれませんが、必ずと言っていいほど、どちらかに偏っているのが現状だと思います。

「人を視ているのは、人であるということ」は、理解すべきことです。

これは、簡単なことなんですが、実際にはどうでしょうか、客観的に考えてみてください。
ミスを犯さない人はいないと思いますが、いかがでしょう。
注意して行動しようと、自分の思いはあっても、それが実行されていないのではありませんか。

人はミスを犯すもの、高齢になればなるほど、ミスは多くなり、事故も多くなっていきます。
本人の失態という事故、最悪の場合を考えていれば、その事故を防ぐ対策は出来ますよね。

さて、そこで、対策は出来たとしても、その後はいかがでしょう。

その失態や事故は防ぐことが出来るでしょうか、繰り返される事故が多くありませんか?
些細なミス(事故)で、ケア(介護・援助)する側や本人も理解し、事故の原因を家族も理解できれば良いと思いますが、原因となる状況を冷静な判断と、理解することは不可能のようです。
原因は、いったいどこにあり、責任は、いったいどこにあるのか、特に報告書など、隠ぺいやねつ造という事も考えられるからです。
(あくまでも、ミスはなくならないという考えからの観点です)

事故が続く、些細なことと考えてしまうと、別のどこかで、必ず事故が起きていることに、気づいたことがありました。
これは、一つの対策案で満足してしまっていて「ただ立案した」だけということなのではないかと思います。

同じように事故を起こす方は、必ず、存在していることを忘れてしまうのではないのでしょうか。
また、その「対策の今後」(可能性)についてのことなど理解できない、理解せずに「わかりました」という方が、多いからだと思います。
自分自身について、しっかりと考えられれば、良く理解できるかもしれません。
相手があったり助けられたりする中で、自分自身でも「これから注意しよう」なんてことも考えることが出来ると思います。

しかし、自分自身を考えられない方もいるのです。

何らかの障害を持った、成人から高齢者も前に述べた「注意(危機感)」ということが欠けていくのです。
ならば、それを助けていくのが、本来のケアというものではないでしょうか。
もしも、生きている人間を「物と扱う」とするならば、事故はもっと多く、大きな事故と成りうるのではないでしょうか。

「見守り強化」「声かけをして理解を得る」と、事故への解決策で話し合うときに、良くいわれる言葉です。

現実的かつ的確に判断をし行動できれば、少しは事故対策が出来るでしょう。

しかし、見守り強化や声かけと理解を得ることを、言葉の意味は理解しているも、行動に移すことができない方もいるのです。

仕事への満足か、ケアができた満足か……
残念なことに、自己満足とは「職に就き給料をもらえればいい」という方もいるという事なのでしょう。

ネガティブな社会になりませんように。

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考えてみようコラム:先入観とは何か

2013-03-19 17:00:00 | 考えてみよう:コラム


・ある人格や人物像を作り出しながら観てしまう感覚。
・先に心に入った考え方。
・思い込む事でその人のイメージが作られ、人間関係を崩す元になる。

事実とは、いったい何処にあるのでしょう。
一時の体験や継続された経験の中にありますね。
しかし、これだけでは事実ではないように思います。

人はそれぞれの時代を背景に生きていて、全く自分と同じ人生は歩めないからです。
似ていても、他人の人生は、自分の人生ではないのです。

例えば、一般的に、赤ちゃん、一般の健常者、障害者、高齢者を観たときはどうでしょうか。
その方の理解に苦しむ事が、多々あるのではないでしょうか。
そんな時、この「先入観」を一番持ちやすくなっていると考えます。

相手の行動、言動を素直に聞いて、その方を観るべきであると思います。
過去に、どんな生活を送ってきたかも必要だと思いますが、接する上では、ほんの一部に過ぎません。
過去、現在の相手を、受け止め、観るべきではないでしょうか。

まず、自分の中に何が生まれるかというと、外観を見ながら、自分の生活観が心に浮かんできます。
自分の生活観の中には、人間関係、環境などを含んだ経験や体験があります。
その方の環境や感情等は、その人しかありえないのかもしれません。

もし違う環境で、生活していると、また違った生活感情が生まれ作られます。
しかし、自分と照らし合わせてみていると、否定する自分を作りやすくなっているかもしれません。

「自分はこうだった」という決め付けたものが先にたっているのでしょう。
自分と同じようにしてもらいたいという、隠された気持ちが、心の中あるように思います。

人間関係で、気が合う合わないと思い込んでいる人は、どれくらいの方がいるのでしょうか。
実際は、「好き嫌い」という問題にしてしまっているかもしれません。

好き嫌いで決めてしまうと、なぜか楽になるという人もいるようです。
何でも、ルールを決め、ノルマ的(自己・業務中心的)にして、自分を楽にしている事もあるのでしょう。

コミュニケーションをする上で、自分の自己表現は必要ですが、
相手を否定しているばかりでは、コミュニケーションによる伝達は難しいのです。

相手を観て、相手の意見を聴き、相手を理解し、
その後で自分の実体験を思い出し、会話の中に取り入れていく事が必要かもしれません。
相手の意見などを自分と比較してしまうと、とても理解するのは難しいです。

良く聞いたり言われる「価値観が違う」というのもそういう事でしょう。
努力して理解するという事は「受け止める」という事でもあるのですが、
価値観の違いによっては、受け止める事は、困難かもしれません。

受け入れるのではなく、受け止めるという考え方にすると、少しは理解の範囲が広がるかもしれません。
コミュニケーションテクニックやコーチング等を参考にすると、言葉の相槌、繰り返し(オーム返し)等があります。

相手側と共感しようと思ってもなかなか出来ないものです。

「共感」というのは、同じような実体験を持った人同士でしか出来ない、と言われる人もいます。
頷いて聞いていても、同じ実体験がないからという「曖昧な頷き」は共感しているようには思えません。

これも一つの考え方かもしれません。
しかし、客観的に見るべきものが、主観的になってしまっている、この考え方から受けるイメージは、どのようなものでしょう。

相手と共感するという事は、人それぞれの見方、受け止め方次第で「決め付ける自分」が見えてきます。
同じ実体験をしたから共感する、目の前にいる相手との会話から、理解する努力をして共感する事などがあると思います。

実体験での共感ばかりではなく「過去と現在」の相手を受け止める事が大切な事なのだと思います。
これこそが「共感する」という事になると思います。

思い込みや頑固な一つだけの考え方、そして、たった一行の言葉から、イメージを作り上げてしまっている事は、多くあると思います。
相手を観る事、相手を見る目で自分の姿を客観的に感じとる事は、人が生きていく上で、大切な事かもしれません。

「一行の言葉」とは、挨拶の仕方や声かけの言葉などで、または返ってくる言葉によって、固定観念で相手をイメージしてしまうものかもしれません。

友人知人が作り上げたイメージは、自分のイメージではありませんよね。
良く考えてみてください。
先入観からの「噂」というものは、時には誇大表現になっていませんか?
最初の話が、噂となって人によって、コロコロ話が変わったりしているのでは?
しっかりと、自分の眼を開き、現実と向き合って、真実を知る事が大切な事の様に思います。

現実で真実の姿が見えてくると、先入観も消えていくのではないのかな?と思います。

単純で曖昧で身勝手なイメージ作りによって、
相手の人生そのものを、変えてしまう事になる可能性も持ち合わせていて、
相手の日常生活の環境全体、人間関係など、他にもあると思いますが、その相手を貶めたり、脅かす事も可能なのです。

相手への嫉妬や妬みからの「先入観」や「嘘の話」となってはいませんか?
先入観というものは「人生の天敵」だと思えてなりません。

人様々ですが、しっかりとした考え方と決断力と行動力、固定観念で決め付けないで下さい。

時には、視点を変えた考え方を持つ事も大切なのでは?と考えます。

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