どんなに不幸な人生であったとしても、大切な人と過ごせた事が、それはきっと、そばにいてくれて良かったと思えたのだろう。
それは誰よりも幸せな環境であり、幸せを感じる時間だったと思う。
しかし、大切な人を失った時、死を看取った時、人は何を思うのだろう。
これからの人生に悲しみ苦しみ落胆し、辛い思いをして生きていくのだろうか。
しかし、最後の言葉があれば。
この最後の一言の言葉でも変わってくるかもしれない。
相手を見る目が晴れていれば、幸せになれると思う。
しかし、相手を見る目に曇りがあれば、幸せになれない事もあるだろう。
大切な人を失った時、大切な人と共に歩いていたものとはなんだ。
それは、人生の中での感謝の思いと言葉、間違えれば謝罪の思いと言葉なのだと思えないだろうか。
これは、人生の中で決して忘れてはならない事だと思う。
もしもだが、
過去に、世話になり助け合ってくれた人達への感謝と謝罪の思いと言葉を踏みにじった時、人生を大きく変える残酷な試練が待ち受けているかもしれない。
見つけた相手が誰であろうと、幸せにはなれないかもしれない。
大切な人を失っても、誰もが忘れてはならない事がある。
残された遺言と遺品とは、いったい何だろう。
文章だけか言葉だけか金の事だけか思い出だけか。
これから先へ歩む為に始まる人生へのあり方を導いてくれる鐘なのではないか。
その鐘を鳴らして生きるのは自分自身なのだ。
遺言と遺品の中には、亡くなった人の本当の思いが隠されているのではなかろうか。
遺言と遺品の中には、これからの人生に大切な何かが隠されていると。
遺言と遺品を粗末にせずに、これからの人生への祈りや願いを込めて歩ければ。
悪しき不幸な過去のトラウマを抱えて生きるより、幸せだったという思いで歩ければ。
感謝と謝罪の思いと言葉は、次の人生には希望の幸せが訪れると思う。
人生には決して忘れてはならない事があるはず。
感謝と謝罪を忘れてしまえば、人生への不幸が必ず訪れる。
過去からの感謝と謝罪は、決して忘れてはならない。
生死とは関係なく、感謝と謝罪は永久に未来へ繋がれ残されるものだと思う。
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