夜中に突然思い立って、日帰りで仙台まで行ってみる事にした。
前日はろくに寝ていなかったんだけど、ちょうど曲作りも一段落ついて、スタジオもライブも入ってなかったので、今日しかないと思った。
震災の復興措置で東北の高速道路は無料になっている。
常磐道の水戸インターから高速道路に乗って、磐越道経由で東北道に抜ければ高速道路料金は無料で仙台まで行ける。
なので、水戸まで一般道で行き、そこから高速道路に乗った。
茨城の気温... 車の車外気温表示はマイナス6度になっていた。
俺はもちろん半袖で運転している。
さすがに暖房はうっすらとつけているけど....
上着は一応、『去年生まれて初めて買ったダウンジャケット』を持ってきた。
途中、宮城県の白石市辺りは雪景色だった。
雪もちらほら降っていた。
やべ、俺はスタッドレスタイヤじゃないし、タイヤチェーンも持ってない。
高速道路から見える一般道には雪が積もっていた。
思いつきで下調べなしで出てきたからなぁ。
仙台も雪が積もってたらどうしよう? と思ってたけど、白石から一山越えて仙台市に入ったら、まったく雪は積もっていなかった。
途中、道沿いの気温計や車の車外温度表示を見てたんだけど、一番寒いのは宮城でも福島でもなく、茨城だった。
仙台市では、人々は笑い、普通に生活していた。
いや、当たり前か!暗くなっていたらどうしようもないんだよね。
逆に道歩く人が全員肩を落としてどよーんって歩いてたら復興も何もないし。
あれから10ヶ月が他党としているけど、仙台中心部は、普通に見る限りでは震度6強の爪痕は感じられなかった。
やはり今回の震災は、地震そのものよりも津波の被害が甚大だったのだろうとあらためて思った。
今回、津波ではなく、地震の直接の被害で亡くなった人はいたのだろうか?
地震がおきた時刻ぴったりに合わせてに黙祷とかをやってるけど、その時刻にはまだみんな普通に生きていたんじゃないだろうか?
とひねくれた事を考えてしまう俺だった...
まあ、津波が襲ってきた時刻や亡くなった時間はまちまちだろうけどね....
てか、黙祷するならいつでもすきな時にすればいい。わざわざ時刻ぴったりに合わせてする必要はないんじゃないかと、俺はいつも疑問に思っている。
ま、気持ちの問題だね。
津波の被害が及んだという、海沿いのアウトレットのほうまで行ってみた。
仙台市の中心部から車で10分程度。
道路が所々段差になっているのは地震の影響だろうか?
アウトレットモールには、地元や近郊ナンバーの車で溢れかえっていた。
そこには普通の日常があった。
しかしそこからすぐ先の海岸線にさらに車を進めると、様子が変わってきた。
おびただしい数の車のスクラップが積まれている場所があった。
普通の車のスクラップ置き場ではなく、津波で使い物にならなくなった車達が積まれているんだ.....
住宅が集まっている地域にやってきた。
元々建物があったのかなかったのかはわからないが、歯抜けのように建物がない場所がちらほら。
よく見ると、建っている建物にも1階部分に目張りがしてあったり、1階の壁や窓が壊れていたり空洞になったりしている。
そしてなによりも人の気配がない。
原発事故の影響で人がいなくなった街を『死の街』と言って叩かれた政治家がいたけど、ここは死の街ではなく、『ゴーストタウン』のようだった。
誤解を恐れずに言うけど、アメリカで見たゴーストタウンそのものだった。
ちょっと離れた街には、人々が普通に生活しているというのに。
ここに住んでた人達はどこにいったのだろう?
もちろん亡くなってしまった人もいるだろう。
そして、家に住めなくなってどこかに避難している人たちも沢山いるはずだ。
住み慣れた場所に住めなくなってしまい、避難しているのは福島の原発周辺に住んでた人たちだけじゃないんだ....
さらに海沿いのギリギリの場所に行ってみた。
そこにはなにもなかった。
カーナビやgoogle mapをみると、ここには沢山の建物があったことがわかった。
<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E9%87%8E%E5%8C%BA%E8%92%B2%E7%94%9F%E7%94%BA5&aq=&sll=38.255521,141.006485&sspn=0.001578,0.002698&vpsrc=6&gl=jp&brcurrent=3,0x5f8988df8e8bfbb9:0xcd7d3a00419b0708,0&ie=UTF8&hq=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E9%87%8E%E5%8C%BA%E8%92%B2%E7%94%9F%E7%94%BA5&hnear=&radius=15000&t=m&ll=38.255706,141.006496&spn=0.002949,0.00456&z=17&iwloc=A&output=embed"></iframe>大きな地図で見る
津波の直後は、おそらくここも瓦礫の山だったのだろう。
あれから10ヶ月。瓦礫の山が取り除かれたくらいで、ここに普通の生活はまったく戻っていなかった。
そこから北へ向かってみる。
塩竈、松島、石巻....
どこも一見、平穏な街に見えるけど、よく見ると建物の1階部分が破壊されていたり瓦礫が積まれていたり....
場所によっては人が住んでいないような
(住めなくなった)地域もあったり、反面、まったく被害のなかったような場所もある。
なにがその運命を分けたのか?
ひとつだけ確かな事は、そこには神も仏もなかったということだ。
自然が引き起こした完全無差別な災害だ。
津波に飲み込まれてボロボロになった小学校の校舎に『自然と仲良く』という標語が掲げてあったのが、なんかとても虚しかった。
地震や津波という自然現象とは仲良くする事ができなかったのだ....
石巻から山を越えたところにある女川まで行ってみた。
『女川(おながわ)』、震災後に頻繁に耳にした名前。
震災がなければ、おそらく知る事もなかっただろうこの街。
俺が以前、東北一周をしたときに、この街を通り抜けた事があるはずだけど、覚えていない。
そこには、戦争の写真集で見たような風景が広がっていた。
でも、震災直後はここも無数の瓦礫の山だっただろう。
ここまで片付いたのは驚異的なのかもしれない。
破壊された大きな建物が数棟、そして横倒しになった建物がポツンとあった。
小さな街だけど、ここには大勢の人の生活があったはずだ。1年前には...
この女川の街から北は、リアス式海岸が始まる。
このリアス式海岸の地形のせいで、津波の威力も増幅したという。
ここから北に向かう先は、山を越えると小さな街があって、また山を越えると小さな街がある、という繰り返しになる。
しかし、その一つ一つの街がなくなってしまっているのだ。
ここから先にこそ、津波で甚大な被害を受け、壊滅した街が沢山あるのだ。
しかし、時間の関係で女川で引き返す事にした。
女川、陸前高田、気仙沼、南三陸、大船渡、釜石,,,,,
震災後、津波被害を受けたいろんな街の名前を聞いてきたけど、実際に被害を受けているのはその街だけはなく、沿岸の小さい街ほとんどすべてが被害に遭っているのだ。
千葉の沿岸、茨城の沿岸地域も然りだ。
この震災で人生が変わってしまった人々がどれくらいいるだろうか?
まだまだやりたい事が沢山あったのに、無念の思いで死んでいった人たちがどれくらいいるんだろうか?
それを思うと何度も涙が出そうになった。
泣いてはいけない。
運転中に涙を流してしまうと、前が見えなくなって事故をおこしてしまうかもしれない。
「不幸が不幸を呼ぶ」というのは、そういう事でもある。
震災、震災と、最近はそればかりに目がいっているけど、世界に目を向けると、15万人の死者を出した津波、大地震や、噴火、ハリケーン、はたまた戦争や飢餓に苦しむ人々.....
人災や天災で、世界中のどこかで毎日必ず誰かが不幸な目に遭っている。
「自粛、自粛」言っている人々はきりがない。一生自粛して過ごすしかないよ.....
日本だけが大変なわけではない。
悲しい事だけど、全人類すべての人々が、平等に平穏に過ごせる日々は絶対にこない。
それは現実。
悲しい出来事は、毎日必ずどこかでおこっている。
でも、みんなで「自粛」とか言って暗くなって消極的になっていたら、みんなが共倒れになってしまう。
俺だってこの先はどうなるかはわからない。
明日は我が身かもしれない。
人生、どうなるかはわからない。
誰にもわからない。
でも、今ここに生きている限りは、少しでも楽しんで生きていけるようにしなきゃいけないと思う。
俺は生きる。
今を大事に生きる。
今回、写真は上の2枚しか撮っていない。
この2枚も、どうしようかと迷いながらも、やっと撮った写真だ。
撮る気分にもなれない。
ましてや観光地じゃないんだから....
壊れた建物の前に並んで、にっこり記念撮影している人たちがいた。
観光客と思ったら、車は地元のナンバーだった。
まあ、別にいいんだけど、なにか違うよな?って思った。
仮に俺がその建物の持ち主だったら「見せ物じゃねーんだ!」ってやりきれない気持ちになるだろう。
まあ、俺も車の中から写真を撮ったんだけどさ,,, けっこう抵抗あったよ...。
色々と写真を撮って、この現状を誰かに伝えたいと思ったけど、それは俺の役目ではない。
その惨状は、日本人はみんなテレビとかで見て充分知っているはずだ。
youtubeには無数の津波映像がアップされているし、googlemapのストリートビューでは被災地の現状が見られるようになっている。
★Google、被災地ストリートビューを公開、半年かけ6県82市町村を撮影
★未来へのキオク
原発事故は防げたかもしれないけど、地震や津波は防ぐ事はできない。
こういう現実があるという事を胸に、それでも前向きに進んで行かなくてはいけない。
人間は助け合わなきゃいけないけど、共倒れしてはいけないのだ。
いろいろな風景を心に刻み込んで帰路についた。
心は暗くなりかけていた。
でも、俺が暗くなってどうする!!
さすがに最近は『自粛』とかいうマイナス思考な言葉はあまりきかなくなってきた。
マイナス思考はさらにマイナスを呼ぶ。
暗くなっててはいけない。
以前、俺が交通事故をおこしたときは、嫌な事があって気分が暗くなっていた時だった。
そういう事が2回ほどあった。
マイナスがさらにマイナスを呼んだのだ。
だから暗い気持ちになってちゃいけない。
帰りも、東北道から磐越道を経由して常磐道の水戸ICで降りて一般道で帰る。
途中でさすがに眠くなり30分ほど仮眠。
総走行距離は1,025km、所要時間28時間。
有意義なオフ日だった気がする。
自分に素直に生きていこう。
無理に笑う必要はない。
偽りの笑顔は必要ない。
でも、笑顔は絶対に人を幸せにするし自分も幸せになれる。
だから、素直に笑えるように、楽しめるように努力するんだ。それは、自分に嘘をつくよりも簡単なはず。
明日からまたがんばろう。
俺の力、小さな力だけど、その力で誰かが笑ってくれれば嬉しい。
前日はろくに寝ていなかったんだけど、ちょうど曲作りも一段落ついて、スタジオもライブも入ってなかったので、今日しかないと思った。
震災の復興措置で東北の高速道路は無料になっている。
常磐道の水戸インターから高速道路に乗って、磐越道経由で東北道に抜ければ高速道路料金は無料で仙台まで行ける。
なので、水戸まで一般道で行き、そこから高速道路に乗った。
茨城の気温... 車の車外気温表示はマイナス6度になっていた。
俺はもちろん半袖で運転している。
さすがに暖房はうっすらとつけているけど....
上着は一応、『去年生まれて初めて買ったダウンジャケット』を持ってきた。
途中、宮城県の白石市辺りは雪景色だった。
雪もちらほら降っていた。
やべ、俺はスタッドレスタイヤじゃないし、タイヤチェーンも持ってない。
高速道路から見える一般道には雪が積もっていた。
思いつきで下調べなしで出てきたからなぁ。
仙台も雪が積もってたらどうしよう? と思ってたけど、白石から一山越えて仙台市に入ったら、まったく雪は積もっていなかった。
途中、道沿いの気温計や車の車外温度表示を見てたんだけど、一番寒いのは宮城でも福島でもなく、茨城だった。
仙台市では、人々は笑い、普通に生活していた。
いや、当たり前か!暗くなっていたらどうしようもないんだよね。
逆に道歩く人が全員肩を落としてどよーんって歩いてたら復興も何もないし。
あれから10ヶ月が他党としているけど、仙台中心部は、普通に見る限りでは震度6強の爪痕は感じられなかった。
やはり今回の震災は、地震そのものよりも津波の被害が甚大だったのだろうとあらためて思った。
今回、津波ではなく、地震の直接の被害で亡くなった人はいたのだろうか?
地震がおきた時刻ぴったりに合わせてに黙祷とかをやってるけど、その時刻にはまだみんな普通に生きていたんじゃないだろうか?
とひねくれた事を考えてしまう俺だった...
まあ、津波が襲ってきた時刻や亡くなった時間はまちまちだろうけどね....
てか、黙祷するならいつでもすきな時にすればいい。わざわざ時刻ぴったりに合わせてする必要はないんじゃないかと、俺はいつも疑問に思っている。
ま、気持ちの問題だね。
津波の被害が及んだという、海沿いのアウトレットのほうまで行ってみた。
仙台市の中心部から車で10分程度。
道路が所々段差になっているのは地震の影響だろうか?
アウトレットモールには、地元や近郊ナンバーの車で溢れかえっていた。
そこには普通の日常があった。
しかしそこからすぐ先の海岸線にさらに車を進めると、様子が変わってきた。
おびただしい数の車のスクラップが積まれている場所があった。
普通の車のスクラップ置き場ではなく、津波で使い物にならなくなった車達が積まれているんだ.....
住宅が集まっている地域にやってきた。
元々建物があったのかなかったのかはわからないが、歯抜けのように建物がない場所がちらほら。
よく見ると、建っている建物にも1階部分に目張りがしてあったり、1階の壁や窓が壊れていたり空洞になったりしている。
そしてなによりも人の気配がない。
原発事故の影響で人がいなくなった街を『死の街』と言って叩かれた政治家がいたけど、ここは死の街ではなく、『ゴーストタウン』のようだった。
誤解を恐れずに言うけど、アメリカで見たゴーストタウンそのものだった。
ちょっと離れた街には、人々が普通に生活しているというのに。
ここに住んでた人達はどこにいったのだろう?
もちろん亡くなってしまった人もいるだろう。
そして、家に住めなくなってどこかに避難している人たちも沢山いるはずだ。
住み慣れた場所に住めなくなってしまい、避難しているのは福島の原発周辺に住んでた人たちだけじゃないんだ....
さらに海沿いのギリギリの場所に行ってみた。
そこにはなにもなかった。
カーナビやgoogle mapをみると、ここには沢山の建物があったことがわかった。
<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E9%87%8E%E5%8C%BA%E8%92%B2%E7%94%9F%E7%94%BA5&aq=&sll=38.255521,141.006485&sspn=0.001578,0.002698&vpsrc=6&gl=jp&brcurrent=3,0x5f8988df8e8bfbb9:0xcd7d3a00419b0708,0&ie=UTF8&hq=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E9%87%8E%E5%8C%BA%E8%92%B2%E7%94%9F%E7%94%BA5&hnear=&radius=15000&t=m&ll=38.255706,141.006496&spn=0.002949,0.00456&z=17&iwloc=A&output=embed"></iframe>大きな地図で見る
津波の直後は、おそらくここも瓦礫の山だったのだろう。
あれから10ヶ月。瓦礫の山が取り除かれたくらいで、ここに普通の生活はまったく戻っていなかった。
そこから北へ向かってみる。
塩竈、松島、石巻....
どこも一見、平穏な街に見えるけど、よく見ると建物の1階部分が破壊されていたり瓦礫が積まれていたり....
場所によっては人が住んでいないような
(住めなくなった)地域もあったり、反面、まったく被害のなかったような場所もある。
なにがその運命を分けたのか?
ひとつだけ確かな事は、そこには神も仏もなかったということだ。
自然が引き起こした完全無差別な災害だ。
津波に飲み込まれてボロボロになった小学校の校舎に『自然と仲良く』という標語が掲げてあったのが、なんかとても虚しかった。
地震や津波という自然現象とは仲良くする事ができなかったのだ....
石巻から山を越えたところにある女川まで行ってみた。
『女川(おながわ)』、震災後に頻繁に耳にした名前。
震災がなければ、おそらく知る事もなかっただろうこの街。
俺が以前、東北一周をしたときに、この街を通り抜けた事があるはずだけど、覚えていない。
そこには、戦争の写真集で見たような風景が広がっていた。
でも、震災直後はここも無数の瓦礫の山だっただろう。
ここまで片付いたのは驚異的なのかもしれない。
破壊された大きな建物が数棟、そして横倒しになった建物がポツンとあった。
小さな街だけど、ここには大勢の人の生活があったはずだ。1年前には...
この女川の街から北は、リアス式海岸が始まる。
このリアス式海岸の地形のせいで、津波の威力も増幅したという。
ここから北に向かう先は、山を越えると小さな街があって、また山を越えると小さな街がある、という繰り返しになる。
しかし、その一つ一つの街がなくなってしまっているのだ。
ここから先にこそ、津波で甚大な被害を受け、壊滅した街が沢山あるのだ。
しかし、時間の関係で女川で引き返す事にした。
女川、陸前高田、気仙沼、南三陸、大船渡、釜石,,,,,
震災後、津波被害を受けたいろんな街の名前を聞いてきたけど、実際に被害を受けているのはその街だけはなく、沿岸の小さい街ほとんどすべてが被害に遭っているのだ。
千葉の沿岸、茨城の沿岸地域も然りだ。
この震災で人生が変わってしまった人々がどれくらいいるだろうか?
まだまだやりたい事が沢山あったのに、無念の思いで死んでいった人たちがどれくらいいるんだろうか?
それを思うと何度も涙が出そうになった。
泣いてはいけない。
運転中に涙を流してしまうと、前が見えなくなって事故をおこしてしまうかもしれない。
「不幸が不幸を呼ぶ」というのは、そういう事でもある。
震災、震災と、最近はそればかりに目がいっているけど、世界に目を向けると、15万人の死者を出した津波、大地震や、噴火、ハリケーン、はたまた戦争や飢餓に苦しむ人々.....
人災や天災で、世界中のどこかで毎日必ず誰かが不幸な目に遭っている。
「自粛、自粛」言っている人々はきりがない。一生自粛して過ごすしかないよ.....
日本だけが大変なわけではない。
悲しい事だけど、全人類すべての人々が、平等に平穏に過ごせる日々は絶対にこない。
それは現実。
悲しい出来事は、毎日必ずどこかでおこっている。
でも、みんなで「自粛」とか言って暗くなって消極的になっていたら、みんなが共倒れになってしまう。
俺だってこの先はどうなるかはわからない。
明日は我が身かもしれない。
人生、どうなるかはわからない。
誰にもわからない。
でも、今ここに生きている限りは、少しでも楽しんで生きていけるようにしなきゃいけないと思う。
俺は生きる。
今を大事に生きる。
今回、写真は上の2枚しか撮っていない。
この2枚も、どうしようかと迷いながらも、やっと撮った写真だ。
撮る気分にもなれない。
ましてや観光地じゃないんだから....
壊れた建物の前に並んで、にっこり記念撮影している人たちがいた。
観光客と思ったら、車は地元のナンバーだった。
まあ、別にいいんだけど、なにか違うよな?って思った。
仮に俺がその建物の持ち主だったら「見せ物じゃねーんだ!」ってやりきれない気持ちになるだろう。
まあ、俺も車の中から写真を撮ったんだけどさ,,, けっこう抵抗あったよ...。
色々と写真を撮って、この現状を誰かに伝えたいと思ったけど、それは俺の役目ではない。
その惨状は、日本人はみんなテレビとかで見て充分知っているはずだ。
youtubeには無数の津波映像がアップされているし、googlemapのストリートビューでは被災地の現状が見られるようになっている。
★Google、被災地ストリートビューを公開、半年かけ6県82市町村を撮影
★未来へのキオク
原発事故は防げたかもしれないけど、地震や津波は防ぐ事はできない。
こういう現実があるという事を胸に、それでも前向きに進んで行かなくてはいけない。
人間は助け合わなきゃいけないけど、共倒れしてはいけないのだ。
いろいろな風景を心に刻み込んで帰路についた。
心は暗くなりかけていた。
でも、俺が暗くなってどうする!!
さすがに最近は『自粛』とかいうマイナス思考な言葉はあまりきかなくなってきた。
マイナス思考はさらにマイナスを呼ぶ。
暗くなっててはいけない。
以前、俺が交通事故をおこしたときは、嫌な事があって気分が暗くなっていた時だった。
そういう事が2回ほどあった。
マイナスがさらにマイナスを呼んだのだ。
だから暗い気持ちになってちゃいけない。
帰りも、東北道から磐越道を経由して常磐道の水戸ICで降りて一般道で帰る。
途中でさすがに眠くなり30分ほど仮眠。
総走行距離は1,025km、所要時間28時間。
有意義なオフ日だった気がする。
自分に素直に生きていこう。
無理に笑う必要はない。
偽りの笑顔は必要ない。
でも、笑顔は絶対に人を幸せにするし自分も幸せになれる。
だから、素直に笑えるように、楽しめるように努力するんだ。それは、自分に嘘をつくよりも簡単なはず。
明日からまたがんばろう。
俺の力、小さな力だけど、その力で誰かが笑ってくれれば嬉しい。
改めてあの日のこと思い出し、心洗われた気持ちです。
茨城は寒いでしょ。
茨城ではまだ地震も毎日のようにあるし、地鳴りも多いです。屋根瓦の修理が済んでいない家もたくさんありますが、本当に皆さん前向きです。
地震のこと、忘れずに
HAPPYに生きていきましょう!
では明日、紅麗威のライブで会いましょう♪
東北にいくにつれて雪は降ってくるのに気温は上がりましたから(笑)
地震は恐いですが、気にしていてはだめですね。
僕もしばらくはおびえる日々でした。
前向きに生きるしかないですね。
阪神淡路のように早く復興して欲しいと願います。
もう地震はいやですね。
No more earthquake!! と言っても、無駄なんですけどね...
あ、ライブに来られる方ですね。
楽しんでください!!
僕も皆さんが楽しめるように、精一杯サポートをつとめさせていただきます。