エレベーターの中で
男の人に 左腕を 掴まれて
逃げられなくて
ようやく、一階に 着き
ドアが開いた 瞬間に
たすけてー と叫んだ
夢だった。。。
その夢を見た日
久しぶりに 行った
お散歩 & お買いもので 経験した
二つの出来事が 合体したような夢だった。
一時間近く
知らない男の人に 追跡されて
何度、やめてください って言っても
後を ついてきた。
何度、触らないで って言っても
左腕を 掴まれた。
あきらめるふりをして
また、戻って来て 追跡されたので
私は、別のマンションに 入るふりをして
追跡男が 完全に居なくなったのを 確認して
ようやく 帰宅できた。
その男の人が、私を 追跡する前のこと
駅のエレベーターに 乗ろうとしたら
ホームレスの人が
食べ終わった カップ麺と 使用済みのお箸だけ
エレベーターの外に置いて(笑)
また、エレベーターに乗った。
仕方ないので、次のエレベーターを 待って
乗ろうとしたのだけど
まだ、ホームレスの人は 乗ってて 何度も 上下してる
エレベーターボーイのような状態だ~ \(^O^)/
尾てい骨を 強打して
あまり 歩ける状態ではなかった日々
久しぶりの お散歩 & お買いものでした。
私が、歩く時間を
なるべく 作るようにしているのは
歩くことが 健康にいいから というだけでなく
自然のエネルギーを 取り入れながら
心を 未来に飛ばすと
未来を 明確に 引き寄せられるので
ナンパされて
歩行禅を 阻止されるのが、嫌なのです。
本当は、聖黙中 という
(言葉を発さずに、
自らの心を深く見つめ、智慧や悟りを深めること。)
たすきを かけて 歩きたい気分なのです
ナンパされるのは、慣れていますが
ここまで、執拗に 追跡されるのは
初めてだったし
睡眠中まで、引きずってしまったので
流石に、これは 心を 見る必要があるわねと
2日間 外出禁止にして 心を見つめてみました。
家から 出なかった?
箱入り娘みたいと Yちゃんが 笑うんですけど
短いスカートを 履いてるからよ → 私より短い人は いっぱいいるわよ。
夜、出かけるからよ → 昼も、一人で歩くと ナンパされてます。
という やりとりを 母として
母が 心配して
私が 何しているか 電話をしてくるし
これ以上、家族に 心配かけたくないので
ちょうど、よい機会と 思って
家から 一歩も出ないで 過ごしました。
結論を 先に書くと
ナンパを 引寄せている 理由わかりました。
こんなところに 結びついていくのね と
思っていなかった
驚くような 回答で
涙が、ぽろぽろ 流れ続けました。
その答えは、自由 でした。
自由は
11月初旬から 気付いていた 人生の課題でした。
先日の旅行で、回答を 得ていたはずでしたが
それだけでは、腑に落ち方が 不十分だったのです。
更に、強烈な出来事だった
追跡 一時間近くを 体験して
心を もう少し 深くまで
変化させる必要が あったみたいです。
そのおかげで
更に、その奥にあったものが 見えてきました。
それは、自分を もっと大切にする必要性 でした。
今回は、結論を 先に書きました。
そこに 辿り着くまで
色々な人に 出逢い
いろんなことが ありました。
ここからは、順に 書いていこうと思います。
Los Angelesで
会社経営をされて いらっしゃるS氏と
先日、偶然 お会いして
Dinner & Breakfastを ご一緒させていただいた時
2008年3月23日に
なぜ、もっと 強引に 行動しなかったか
押しが弱い、と言われました。
諦めるという言葉は ryuruには 存在しないのかと
言われる方が ほとんどなので
押しが弱い、と 私に 言ってくださる方は
かなり 貴重(笑)
S氏は、珍しい存在の方です。
2008年の状況を 考えたら
一応、今世 日本人の私には
あれ以上、強引に 行動するのは 無理でした~~~ と
ちょっと、言ってみましたら
大富豪は、世界に多くない。
数人だ。
その人たちは、常識や
他人の意見に 振り回されることなく
自らを信じて、やり遂げた人だ。
ryuru やれ! と言われまして(笑)
Sさん
私の今の課題を ご存知でしたか?
と 思うほど
的確なアドバイスをいただきました。
大富豪 話を
私にしてくださる Sさんは
ドラッガー(Peter Ferdinand Drucker)と
面識が おありで
ドラッガーから、直接 色々と
教えを 受けられた方
心が 小さい人ではないから
一緒にいて、気持ちがいいんです。
思考が
突き抜けて、宇宙まで 行ってる人だから
私も、思いっきり 思考を 拡大できるのです。
親は、私の行動を 止めても
もう無駄と わかっているので
私を 一般常識で 縛ったり
考えを おしつけることは
まず、ありません。
私がしていること
私の生き方は、世間で 流行するよりも
数年~ 10年、20年ぐらい、早いんです。
いつも、流行の先取りを しているので
親、家族は 理解できないのですが
10年ぐらい経過すると
ryuruは、流行の最先端を行っていたのねと、わかる。
その繰り返しを 見てきた家族は
何も 言わないのです。
世間で 一般的になってからは
あまり 苦労しない出来事も
いち早く経験する ということは
簡単ではなかった。
波風が、とても 強かった。
だけど、それを 乗り越えて 今のryuruがいる と
家族や、仲良しの友達は
私の そういう生き方を よく理解しているから
私が 何をしていても
全く 理解できなくても
安心して、見守ってくださるのですが
私を よく知らない知人が
私の信念とは 逆のアドバイスを、下さって
さてさて、この現象から
私は 何を 学べばいいのかしら?と
思っていた時、Sさんとの 偶然の出会いでした。
私の信念とは 逆のアドバイスを
してくださる方の言葉に
心が 揺れることは
全く、ありませんでした。
心が揺らぐようでは、信念とは言わない。
大勢の人たちに 信じていただく努力より
大切なことは
自分のことを 自分が 信じることでしょう?
何を アドバイスいただいても
私の 念いが 揺らぐことは ありません。
だから、尚更
この状況は 何を学ぶために? と
理解に 苦しみました。
ryuruは、こうだから こうしたほうが いいよ。
世間一般的には、こうだから こうよ。
という、言葉を 聞き続けて
私は、どう思った? と
自分に 質問を続けて
答えを 出していきました。
まず、一つ目の回答は
S氏と 話して
常識や 世間の意見
日本の枠に 縛られた
不自由な私を 発見したこと。
そして、さらに
もっと 深くまで
思考していきました。
地球上、または、宇宙には
多民族、多人類が いるから
多種多様な 考えがあって
楽しい世界
色々な思考を 知ることは
自分の器を 広げることになるから
私には 楽しいことで
とても、魅力的なこと。
私の信念と
逆のアドバイスを 下さった方の考えは、一般論
日本の常識で判断すると その通り
しかし、私は 日本の枠を超えて生き
常識では 考えられないことが
なぜか 頻繁に 起こる人生を 生きている。
私が、ここでいう
常識では 考えられないようなこと
というのは
何?
どうやって 実現させたの?
魔法を 使ったの?
と言われるような
奇跡が、よく 現れる人生
三次元のルールが 適用されていない人生
という意味です。
そんな私に、常識で 考えた思考を
力説してくださる方が 現れている ということは
合わせ鏡の法則で、考えたら
私も 常識で 考えている ということだから
あなたは、まだ 日本の常識で判断していますよ
もっと、魔法の力を 使いなさい
という意味と 思いました。
心の力を使って、人生を 変えることが出来る とか
心の力を使って、未来を 創造することが出来る という
この意味を 正しく理解され
実践されて いらっしゃる方々は
常識の尺度が 変化されていると 思います。
時間が 24時間ではない 使い方が出来る というか
体は、一つだけど 1人分の動きではなくなる というか
三次元の法則を 飛び越えて
目に見えない力で、事を 成就できてしまうので
三次元の法則だけで 生きている人の 常識と
思考が 変わってくるのです。
その力の 使い方が わかっている私は
三次元だけの法則で 生きている人を
三次元だけの常識で 縛られているように
思えてしまい
私は、縛られた
狭い 思考は したくないなぁと 思いました。
そう思う ということは(笑)
法則に 当てはめると
私は、
自分を 縛っているし
誰かを 縛っていることになりますね。
合わせ鏡
100% 自己責任の原則は 法則なので
相手 = 自分 だから
相手に 求めること、思うことは
自分が それを 実践していることに なります。
まず、自分が
縛られていると 感じたのは いつからか?
ずっと 辿っていきました。
幾つも 記憶が 蘇ってきました。
女の子は、足が大きいと 可愛くないから
大きく靴を履くと 足が大きくなる という
母のきめつけで
私は 足が痛くても 大きいサイズの靴を
買って もらえなかったこと。
足が 痛かったなぁ。
髪の毛が長いと、手入れが 大変だからと
ショートヘアしか 許して もらえなかったこと。
私は、ロングヘアが好きなんです。
とても。凄く好き。
なのに、幼児期に 男の子のような 髪型をしていたり
中学生まで 母からロングは 認めてもらえなかった。
髪の毛が 肩よりも 短いと
頭髪だけ 男性みたいに感じて
頭髪だけ
性同一性障害のような 違和感がある15年間でした。
お稽古、自由に ならなかったなぁ
琴と バレエが、習いたかったのですが OKが出なかった。
高校に 邦楽同好会があったので
ようやく、琴が 習えて 嬉しかった。
高校時代は、
新体操部・手芸部・邦楽同好会・生徒会の役員で
充実した日々でした。
高校の頃から、やりたいことするから! という性格に
徐々に 移行して現在の私かな?
靴の話、髪の毛の話、お稽古事の話
大したことではないのです。
今から、思えば。
だけど、それを 思い出す ということは
成長した、今の私に 影響している
ということです。
何なのでしょう
この展開は。。。
私の信念とは 逆のアドバイスを してくださる方が
私の前に 現れなければ
幼少時の縛られている感覚
思うように させてもらえなかった という感情は
表面的には、忘れ去った感情でしたので
今も 私の中に 残って
私の現在に 影響を 与えていることが わかりませんでした。
縛られている?
自由ではない ということよね?
自由でなくなる? って
あれ? どこかで?
いつも、私が 言うシーンが あるなぁ
どんな時に 言ってたかなぁ???
はっ!
そうだった!!!
私が 結婚したくない理由
これだった(TT)
Yちゃんに、私の 結婚への感情を 聞かれると
結婚すると 自由が なくなるから
その感情が、私を 止めているみたい
と 他人事のように いつも言っていました。
私が 訴える
結婚すると 自由がなくなる という意味
私自身も よく 理解できていなかったのですけど
一般的な自由ではなく
何か、深いものが あることだけは わかっていました。
そんな私に、Yちゃんは、一生懸命に
ryuruちゃん
結婚しても、自由に 生きられるから。
365日、24時間
拘束され続けではないから。
という話を してくださって
いいえ
どう考えても、見張られる。
彼は、半端じゃないのよ。
結婚してなくても
私に 少しでも 近づいた男は
彼の手で 排除され
友達関係でも 完全に 切られた。
私は、どこにでも すぐ行くから
絶対、監視か
常に、連絡せよ だと思う。
それか、絶対 離れてくれないか
いつも、ついて来い だと思う
そんなふうに、私は 言っていましたが
もっと、何か 別の 深い部分で
結婚すると 自由がなくなる
という思考が
私の中から、消えることは ありませんでした。
しかし、私は もう大人です。
上手に、自分の感情を 伝えられる
大人のはずなのに。
もう、大丈夫なのに。
愛の中で、上手に 生きればいいのに。
どうすれば、この思い込みを 消去できるか
この感情を どのように 扱えばいいか
何年も、確信部分まで 到達せず
答えを 導き出すことが 出来ませんでした。
あぁ~~~
それが、まさか
幼児期に、思うように させてもらえなかった
という縛りが 影響してたなんて。
私の中に、それが 残っていて
それで、結婚する決意が できなかったとは
思っても いませんでした。
自分の生命を
産み育ててくれた親の 意見に
逆らえなくて 窮屈な思いをした という
幼児期の縛りから 抜けられていなかったのです。
それが、そのまま
親 = 伴侶 という図式に なっていて
結婚をすると
相手の言うことを 聞かなければならない。
そうすると、今の自由な生活が できなくなる。
誰にも、縛られないで 生きられる
快適生活が 無くなる。
そんな、思い込みが ありました。
はぁ~
私って、全く もう。。。
自分の信念とは 逆のアドバイスを くださる方が いて
思考が 宇宙まで 突き抜けたような人に 出会えて
縛りの発見
日本だけの常識
幼少時の出来事
親との関係と感情
結婚への決意
・
・
こんなふうに、辿り着くのかぁ
毎日
心の向上が できる 出来事が 発生して
心も 整理できて
幼児期からの心も 浄化して
楽しいなぁ と 思っていた時
一時間近く 追跡される経験でした。
ナンパ男は
私が 登場して と頼んだのではありませんが
人生で 発生する すべての出来事は
私の思考が 発生させたものなので
100%自己責任 として 考えると
自分の心を 向上させるため
嫌で怖い ナンパ経験も、必要な出来事として
自ら 作り上げた ということに なります。
男性に 声を かけられることは
日常茶飯事で
もう 慣れているので
不慣れで、未熟な対応だったとは 思えません。
いつものことなので
嫌な感情も ありません。
それなのに、今回
何が 嫌だったか? 考えてみました。
歩行禅の時間を 邪魔されたこと。
自由に 買い物したいのに、まとわりつかれたこと。
愛する彼ではないのに、横にならんで 長時間歩かれたこと。
愛してもいない人に、体(うで)を触られたこと。
私は遊べる女ではないと言っているのに、私の肉体を求めてきたこと。
・
・
・
自由にさせて~ と
自分の心が 叫んでいるのが わかりました。
そのように 思うということは
私が、誰かを 縛っている ということですね。
忘れていました。
自分が 縛られたという 感情を
過去に さかのぼって
確認して 修正していく
というところで、満足して
誰かを 縛っていることに 対して
思考し忘れていたことを
ようやく 思い出しました(笑)
一つの感情に 対して
与えるほうも、受けるほうも
立場を変えて、経験しますから
自分が 真実の意味で
縛りから 解放されるには
縛られた経験だけ 浄化したのでは 不十分なのです。
出したものを 受け取る
それが 法則なので
誰かを 縛っている感情を
発見して 削除しなければ
立場を変えて、状況を変えて 続きます。
自分を 縛る人を
必ず、また 発生させて
相手との人間関係の中で お互いに 学び合いながら
縛る という言葉自体が 存在しなくなるまで
因果の理法で 永遠に継続されます。
縛っている という表現でなければ
相手に 何かを 要求してる
という言葉に 置き換えたら わかりやすいでしょうか?
例えば、誰かに 対して
私を もっと大切にして って思っているなら
私は、大切に されていない
というエネルギーを 放出し続けているので
大切に されない状態を
私の心は ずっと 継続させます。
あれ? って 気付くまで
心の間違いを 教えてくれる 出来事が 起こります。
気付かなければ
大切にしてもらえない度が 増し
だんだん、過激な 出来事になるはずです。
大切に されたいなら
大切に されている 未来だけを
心に 念うことと
今、自分自身を
大切に 扱うこと なんですよね。
私は、この課題と 取り組んでいて
自分を 大切にする方法を
以前よりも マスターできてきたのですが
長くなりそうなので、話を 戻しますね。
縛られている感情を
発生させた幼児期から ずっと
自由にならない感情が
自分の中に あったことを 認め
過去の感情を 修正していくと
心が、とても 軽く 自由になれました。
そして、愛する人たちに
大切にして欲しい とか
OOして欲しい とか
要求する感情が あって
それが 相手を 縛っていた行為と 気付きました。
自分自身が 縛られてて
とても 窮屈で 辛かったのに
縛りを 相手に 与えてしまっていたなんて
ごめんなさい
ごめんなさい
涙が ぽろぽろ 流れて
愛する人たちの 心から 幸福な笑顔
本当に 幸せな姿
それだけを
ただただ 見たい と思いました。
生きていると
人間関係、色々 複雑になって
色々な 思いが、たくさん あって
何を どうしてとか
何が どうなるとか
考えて きたけれど
もう、そんなこと 何も 考えないで
みんな、自分の思うように
何にも 縛られないで
幸せに 生きている姿を 見たいなぁ
もっと もっと 自由に
世間の意見や
現代のだけの常識に 縛られないで
自分の人生を 思う存分 自由に生きてね。
そんなふうに
愛する人たちが 自由に 幸せに
のびのびと 生きている姿を
心から 願い
イメージすることで
私が 自由になれました。
全てのしがらみから 解放されて
思いっきり 幸福に 生きている
愛する人の とびっきり 幸せな顔
幸せな姿を 思い浮かべることは
とても 幸せな時間でした。
なぜか
涙が、頬を す~っと
何度も 何度も
溢れるように 流れ出て
心が、浄化されて
心にあった 重いものが
涙と共に、流れていきました。
こんな 幸せが あったのですね。
こんなふうにして欲しい
という感情が なくなって
ただ ただ、相手の 幸福を願える心は
これほど、幸せな感情だったのね。
ようやく、ここまで 辿りつけた私でした。
こんなふうに、現実を見て
自分の心が どのような種類のエネルギーを
発生させた結果が 今 この現実なのか
現実を作っている 自分の感情を
正しく 認識していくと
思わぬ発見がありました。
それは、
大きな願い、大きな夢の実現は
その実現と、一見 関わりがなさそうな
日々 発生する
自らの感情を じっくり 見つめて
より高度なものに していくことで
実現が どんどん 近づいていく
ということでした。
映画を 観るように
自分の心を 取り出して
自分の思考や 発した言葉を 確認していくと
最初は、ふらふらになりました。
しかし、次第に 楽しくなってきました。
すれば するほど
願いが どんどん 叶っていったからです。
今の私は、いかにして
美味しい 料理を 作るか
そんな感覚で、心を 作っています。
1,000円の ランチと
10,000円の ランチでは
使用する 食材が 違うと 思います。
食べてくださる人
店の立地なども 違うと思います。
私は、いかに よい食材(感情)を 使用して
美味しい 料理(心)を
みなさまに 食べて(接して)いただけるか
料理の腕(心のコントロール)を 磨いています。
すれば するほど
人生が 変化していくので
とても、楽しいです。
明日から、12月です。
少しずつ、大掃除を される方も いらっしゃると思います。
お部屋も、心も
つるつる、ピカピカになって
幸せな日々を 過ごされる方が
たくさん いらっしゃると いいなぁ と
心の底から 願います。