実施日;2019-3-2
同行者;鎌ケ谷ハイク&ウォークの会、メンバー5人
天気:晴れ
カメラ;ニコン CoolPix B500
電車;往 鎌ケ谷→柏→愛宕[愛宕神社往復]→清水公園
復 清水公園→柏→鎌ヶ谷
愛宕神社--駅から徒歩約10分
「伊勢へ七度、熊野へ三度」は熊野古道・中辺路で世話になった人に教わった言葉だが、当所では「愛宕神社は月詣り」が加わるのか--
京都の愛宕神社の分社だと書いてある。明智光秀がそこで開かれた連歌の会で詠った「ときは今 あめが下知る 五月かな」を思い出した。本能寺の変の覚悟を述べたという一句だ。とき→時→土岐。あめが下知る→雨→天下をとる。この発句は、あまりにも有名で、ために彼は本能寺の変の張本人にされてしまったが、その時間・その場所に、彼は居なかったという研究者もいる。「秀吉の中国大返し」、「家康の伊賀越脱出」とか、信長の死体が出なかった、など、不可解な事実が多い。
上に述べられている彫刻群だが、周囲を木柵で囲まれていて近づけない。以下、無理やり何とか撮影した。鶏を捕まえる彫刻もあるが、これが「籠の中の鳥」なのか?
ここの神社でカゴメ唄の謎に関してコメントを求めるのは無理だろう。
これは、鶏を捕まえた彫物だ。
※かごめ歌に関する諸説--いちいち挙げたら切りがない。ネットで検索してください。
「夜明けの晩に 鶴と亀が すぅべった」の箇所では、藤原氏と物部氏の争いや、元伊
勢・籠神社と伊勢神宮との争い説まで出てくる。
(1)遊戯説;影の支配者を当てる遊び
(2)遊女説;自由のない遊女(籠の中の鳥)の悲哀を表している。
(3)カゴメ紋説;カゴメ紋はダビデの星→古代ヘブライ語で解釈できるという。
(4)徳川埋蔵金説;埋蔵金の隠し場所を示している→
♪ 向こうの山で 鳴く鳥は 信心鳥か ニワトリか 銀三郎のお土産に
何と何とを買ってきた 金ざし かんざし 買ってきた
納戸のおすまに置いたれば きうきうネズミが引いてった
鎌倉街道の真ん中で 一抜け 二抜け 三抜け さくら
さくらの下で文一本ひろった あくしょ あくしょ 一本よ
※昔、日光埋蔵金伝説の放送がテレビであった。上の歌詞も紹介され、
「一抜け 二抜け 三抜け さくら」に関しては、それぞれ日光東照宮内の
位置を示した。更に、2万5千分の1 地図を拡げ、周囲を囲む山々を結ぶと
ダビデの星が出るという番組だった。
●清水公園駅から清水公園へ
上は目隠しをした鬼
地面を見ると、貝殻の破片が散乱していた。海から相当離れているというのに、縄文人は、こんな所にも暮らしていたのか。清水公園の少し手前の場所だ。
清水公園--駅から徒歩20分強。
予想していたより遥かに広大な自然公園だ。駐車場も整備されている。
仁王門の前に立つ弘法大師像
仁王門で
聚楽館。甘味処のようだ。
●花ファンタジア--花ファンタジアは、清水公園内にある一角で有料だが、安価なので
入園する価値がある。きちんと整備された自然だ。湿地帯や野鳥が訪れる池もある。
この中にある洒落たレストランで昼食にした。
●以下は、花ファンタジアの中にある温室内で撮影。
●清水公園内・慈光山金乗院に納められた算額
算額→江戸時代末・安政年間に庶民の間で和算が流行した。高札みたいなものが
江戸市中各所に立てられた。現在の船橋に関孝和の流れをくむ和算家に高橋
左内という人がいて、その門人たち7名が、この額を金乗院に奉納した。
この額には、現在で言う数学の「幾何」の問題が出されていて、その答え
も述べられているとのことだ。野田市有形民俗文化財。
金乗院本堂の前庭で。
●この日は絶好のお出かけ日和で、我が家に帰ってきても未だ午後三時半だった。