総武線新小岩駅南口のロータリーを真っ直ぐ突っ切り、アーケードに向かうと、江戸川高校へ。ロータリーを左に、交番の前を通って線路と平行の道路を行くと、小岩高校への道になる。
小岩高校には20年以上勤務し、母校の江戸川高校にはその三分の一に満たない。身についた習慣とは恐ろしいもの。駅を降りて、気づいたら交番の前を通っていた。おや、いけない、と戻って、アーケード商店街に向かう。戦後の混乱時代、この先は、確か青線地帯。生徒は通行を禁止されていて、私は「改正道路」のほうから遠回りをして通学したものだ。
信号「江戸高前」で、同窓会事務所のあるビルは何処かなと目を見張った。探したが、見つからず少しやり過ごしてしまった。此処は小松菜の故郷。今と違って、水清らかな小松川が流れていて、染めたばかりの長い布地が川に浸され、染物流しが行われていた場所だ。
歩道橋の方へ戻り、住所を頼りにやっと見つけて階段を登った。そこは事務所兼資料室。私より2年先輩にあたる河原会長にお会いできた。
そこで、昨年の8/30の記事→ 同窓会会報という「金食い虫」 にも書いたように、同窓会の抱える財政問題やら、同一校・長年勤務禁止条項・ゆとり教育の問題など、教育行政への不満など、いろいろな話題で、あっという間に時間が過ぎた。
そうした多くの話題の中で、紙面の都合で「はちすば→蓮葉」だけに的を絞りたい。
上記の「小松菜」や「染物流し」の例のように、私が生徒の頃の江戸高は、現在のようにビルや住宅が密集する姿とは想像もつかない田舎そのもの。畑や田圃だらけ。兵舎のような木造校舎が広大なグランドの北側にぽつんと建っていた。グランドの南側も西側もおおきな蓮田であった。それが、校歌の二番に生かされている。
都立江戸川高校校歌 [作詞:内田小巌 作曲:梁田 貞]
二番 風薫る
田の面(モ)広らに蓮葉(ハチスバ)の
濁りに染(シ)まず潔(イサギヨ)く
清きを己(オノ)が身にしめて
永久(トワ)に聳(ソビ)ゆる富士が嶺(ネ)を
心の則(ノリ)と仰ぎつつ
真理の道にいそしまむ
同窓会は、そこから名をとって「はちすば会→蓮葉会」となったのだ。今の生徒や父兄でこのことを知る者はほとんどいないだろう。残念だ。OBの教師が盛んに説明するのだが、なかには「はすっぱ会」って、何ですか?とくる。
さて、ここから本論に入る。
平安時代前期の歌人で、六歌仙の一人に僧正遍昭(そうじょうへんじょう) という人がいる。百人一首の中の彼の歌「天つ風 雲の通い路 吹き閉じよ をとめの姿
しばしとどめむ」なら知っている人も多いだろう。その彼が古今和歌集165番に次の歌を残している。
蓮葉の濁りにしまぬ心もて 何かは露を玉とあざむく
この歌は、いろいろな解釈が成り立つ。その前に、二箇所の言葉が気になる。
「もて」→「持ちなさい、そうすれば」、「持っているので」、「持っていて」、「持っているのに、持っていながら」、「~によって」
「何かは」→①[反語] (大辞泉)「どうして~なのか、いやそうではないだろう」
②[強い疑問] 「なにとて」と同義→「一体、どうして~なのか」
cf.→ 新渡戸稲造http://www.towada.or.jp/nitobe/uta12.htm
言葉の意味を忠実に追っていくと、次のような解釈になるのであろう。
→吉沢検校 http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/Y/Yoshizawa_Ken/S865.htm
( 蓮は濁った水のなかでも清らかな心を保つと言うのに、どうして葉の露を玉のように見せかけたりするのだろう )
だが、これは頭脳を働かせた、いかにも古今和歌的な狭義な解釈としたい。私は新渡戸稲造のように、これは人生訓と捉えていいのではないかと思う。
さらに、校歌の作詞者・内田小巌は、僧正遍昭のこの歌の前半の部分のみを「いただいた」のであって、後半は問題外としたのだろう。すると、校歌二番の「--蓮葉(ハチスバ)の 濁りに染(シ)まず潔(イサギヨ)く --」は、「世間の泥田の中でも、蓮の葉のように、清く凛として、おのれを失うこともなく、真(マコト)の道を歩もう」ということであろう。
ちなみに、蓮は西洋では、ギリシャ神話の時代から特別な植物であり、仏教でも神聖な植物とされている。ロータスクーポン、ロータスエンジン、(パソコンソフトの)lotus 123のように現在も言葉と共に生き続けている。すると、都立江戸川高校の校歌及び、同窓会「蓮葉会」の名も、ギリシャ神話やお釈迦様並みの歴史と共に生き続けることになる。