神部一郎の歌に「銀座九丁目は水の中」というのがあるが、そこではなく一丁目の交番隣のサクセス銀座ファーストビル12階にある「銀座・虎之介はなれ」に夕方から出向いた。
有楽町駅で降り、東京交通会館のあるビルの屋上を見上げた。まーるい帽子状のものが被さっている。私は「ストーハ」と呟いた。ご存知、森村誠一の「人間の証明」で、ジョニーが叫ぶセリフだ。西条八十の詩に基づく「母さん、ぼくのあの麦わら帽子は何処へ行ったのですか?」(「人間の証明」)
道路を横断し、歩道を京橋の方へ歩く。私はルール通り、歩道の右端を進む。ところが、向こうから来る人々もこちら側を歩いてきて避けないので、たびたび私と正面衝突。一人だけではない。どうやら、銀座では、人は左側通行らしい。イージス艦ではないが、むこうは決して避けない。つまり、こちらが間違っているかの錯覚に陥る。交番があったので、中に入って確かめようとさえ思ったくらいだ。
私は時間ぴったりに11階にある指定の席に着いた。幹事の宇田川君が座っていたが、他はまだ来ていなかった。しばらくすると、どやどやっと山本君たちが入ってきた。どうやら、どこかで待ち合わせをしていたようだ。堀越君や未知の下級生など、女性も来ていた。
これまで、なんども山本君が誘ってくれていたが、私は断っていた。確かに私は、小岩高校に21年間在職したが、図書委員会の顧問になったことは一度も無い。クラス会とか、山岳部OB会とか、サイクリングOB会なら分かる。なんで私が呼ばれるのか、どうも場違いではないか。私は図書委員会には何の貢献もしていない。などと言い続けたのだが、「先生が来ることは他のものに言ってますので--」と山本君。だとすると、欠席は信義に反することになる。それはできないということで、不慣れな銀座に出かけたわけだ。
私は、図書委員会よりも、小岩高校同窓会のことが気になるのだ。そこで、私からはもっぱらその話題。それに対して、宇田川君の回答は、広報はもう出さない。小岩高校同窓会は、4月からは電子化して、ホームページですべてを代行するとのことだ。じゃあ、バレー部OB会のように、私は山岳部OB会やハイキングの会を作り、下部組織にしたい。それは、ホームページの中にリンクなどで組み入れてもらえるのか?---などなど。
二期生は還暦だから、同期会をぜひやりたいとの私の言に、「任せてください」と宇田川君。「そうか、ならプロデュース頼んだよ」--という展開で、どうやら「小岩高校二期生還暦同期会」は今年中に実現しそう。
こうした会話が宴会の席で続いた。遅れてやってきた海老原君にはサイクリング仲間の消息などを尋ねた。私は隅のほうに座ったが、目の前に町山君が座っていた。これまで、私は町山君とはあまり交流が無かった。だが、飲みながら話していると意気投合。昨年8月11日に書いた 「朋の友」との山中での再会---都立K高校卒業生へ がぴったり。
訊くと、町山君は茅ヶ崎の小学校の校長。私とは年齢が一回り違うが、学生時代の環境や将来への思い、現在の趣味がほとんど一致。例えば、出身大学が隣同士なので、「恋文横町」や「安藤組」など、当時の渋谷のことは説明無しでそのまま通じる。「ストーハ」も山の話も通じるし、民俗学をやってるとのこと。南方熊楠(みなかたくまぐす)は対象ではないが、宮本常一はまさに彼の守備位置。演劇の話も音楽のことも通じる。まるで同世代のようだ。勿論、教育界のこともそうだ。
帰り際に「一緒に山へ行きましょう」、「茅ヶ崎にもぜひ来てください、案内しますよ」と言ってくれ、帰宅後、夜も遅いのに、早速私のブログを観てくれ、コメント欄に挨拶してくれた。これ、まさに、「朋の友」である。