私の母は千住の人間で、私が子供の頃は、千住にある母の実家に通ったものだ。母の弟が実家を継いでおり、そこに居たのが故人である。私より4歳下の従兄弟だが、相撲などしてよく遊んだ。北千住の駅前の様子は様変わり。あまりの変貌に道を間違えた。
葬儀場から町屋の火葬場に行くとき、千住大橋を通過した。奥の細道矢立ての句 「行く春や 鳥啼き魚の 目は涙」を詠んで、芭蕉が「奥の細道」のスタートとした場所だ。火葬場で、わずかな時間で従兄弟も骨と化した。彼の死と江戸時代の千住を絡ませて、先祖の時代に思いを馳せた。
ところで、夏というのに、私を除いて参列者は皆黒い喪服。葬式には「黒」と、一体誰が決めたのだろう?紅白の幕はお目出度い場合に用いる。これに対して、葬儀などでは白黒の幕を使うのが普通で、切腹の作法では白装束になり、白も凶事に使う。
葬儀には黒と決めたのは仏教と関係があるのではないか?それも、徳川幕府の仏教政策と関係があるのでは、と考える。
チベットの僧やミャンマーの僧などの衣は黄色か蜜柑色。なのに中国を経由すると、とたんに黒くなる。初期の徳川幕府はそれほででもなかったのに、綱吉あたりから、強力な仏教政策。それとともに、凶事は黒、という風潮が広まったのではないか。
明治政府は、反徳川政権ということで、徹底した廃仏毀釈。それとともに、神道を重んじた。神道は白がシンボルカラー。だが、一旦染み付いた風習はなかなか廃れない。
様変わりの北千住駅前 火葬場待合室で、親類縁者と
日本の葬式では、(ふだんは考えてもいないのに)一日にして仏教徒になる人が多い。神道式の葬儀やキリスト教式の葬儀に出たことがある。僧侶が中心になるのではなく、故人の生前のビデオを流したり、次々に思い出を紹介したり、皆で思い出の歌をうたう、というような故人が主役になる葬儀(勿論黒一色の服装でなくてもよい)も出現しだした。だが、日本ではまだまだ少数派だ。葬儀といえば、黒の喪服を着てお寺に集まる。お寺でないときは、坊さんが葬儀会場に出張してくる。
白も人の死に大いに関係する色*だし、特に暑い夏は白でもいいのでは、と思う。
だが、残念ながら、そういう人間は私一人しかいないようだ。
*春過ぎて夏来るらし しろたへの衣乾したり天の香具山 (---政変を連想させる)