《接頭語としての「チョー」》
この言葉は、なかなか廃れない。どうしてなのだろうか?と考えてやっと分かった。日本民族を形成する一つに朝鮮半島渡来系がある。彼らが幼児からの環境汚染で脳の一部に突然変異が起こり、先祖の血脈がよみがえったのだ。つまり、自分は半島系なのだという「天の声」を、ある日突然耳にした。それで、自らのルーツを忘れないように、何か言葉を発するときは、半島の頭文字の発音・チョーを頭にかぶせる。「調子はどうだ?」--「チョー、サイコー」
《接尾語としての「サカイ」》
堺商人の団結力はたいしたもの。現在のフィリピンであるルソン島と密接に船で行き来し、貿易商として富を蓄積した。『そうや サカイ』 信長・秀吉・家康もその勢力を無視できず、しばしば堺の商人の力を借りた。彼ら堺の人々は黒潮渡来系だろう。フィリピンあたりから瀬戸内海に流れ着き、上陸したところをサカイと命名した。このサカイとは彼らの故郷の名なのであろうか?それともユートピアを意味するタガログ語?サカイから日本各地に散った末裔たちは、自らの出自を忘れないように「そうや サカイ」と接尾語に使う。
『そう ヤンケ』、『そうや バッテン』、『だな モシ』 なども、その種の接尾語なのだろうか?
《かけ声としての「ヤベェ」》
この言葉もいまだにしぶとく生き続けている。これは昔はヤバイと発声していた。大昔、日本に耶馬台国があったと学校で教わっている。近畿説もあるが、私は九州説だ。一般的には、ヤマタイコクと発音する。だが、耶馬渓でも分かる通り、耶馬はヤバ。耶馬台国の人々は自分達をヤバイと言っていた。それで、なにかと団結の印に、ヤバイを連発していた。それがいつのまにかエの民の血が混じり、ヤバイ→ヤベェに音韻変化した。耶馬台国はもしかしたら、アの民が中心だった可能性がある。
エの民はアの民より言葉が汚い。うるサい→うるセェ、きたナい→きたネェ、うマい→うメェ、おマえたち→おメェら、という具合だ。
話はそれるが、森鴎外の「阿部一族」は、ヤベ一族の祖先だろう。アの民は九州から瀬戸内海を経て、千葉県海岸へと進出して、アフ島→大島、アワ→阿波・安房のように、各地に地名を残していった。エの民も彼らと行動をともにし、江田島、江の島などの痕跡を残してる。 ヤバイと言ったら、その人はアの民の末裔で、ヤベェと言ったら、エの民の末裔と思っていい。だが、あくまでもヤバイが先で、日本のことをヤバーンと昔は言っていたくらいである。現在の Japan は、ヤバーンやヤポンの名残である。
[使用具体例]場所設定:某高校のトイレ
生徒が順に見張りを立てて、タバコを吸っている。そこへ、向こうから生徒指導部の山田先生が廊下を歩いてくる。
見張りの生徒の第一声。
(a) やや不良の生徒:「大変だ、山田先生が来るぞ」
(b) アの民末裔の不良:「ヤバイ、山田が来る」
(c) エの民末裔の不良:「ヤベッ、センコーだ」
[更に、エの民との会話]場所は某高校の廊下。
時は昔、(伊藤四郎らの)脱線トリオが活躍していて、その一人がTVのCMで、カレーの宣伝をしていた。その中で「ハヤシ(ライス)もあるでよ」が受けていた。
或る生徒が喫煙でつかまった。トイレで待ち伏せをしていた教員に見つかったのだ。みっちりしぼられた「指導期間」終了後、登校してきたその少年Aが廊下を向こうから歩いてきた。私はこちらから近づいていく。二人の距離はどんどん縮まる。周囲には他に誰もいない。一瞬緊張が流れ、すれ違いざま目線を合わせず、少年Aがぼそぼそっとつぶやいた。「きたネェゾ」。私もぼそぼそっとつぶやく。「そうかなぁ。俺の地図にはミナミもあるでよぉ。」----これ、ノン・フィクション