《帝国主義的反動受験教育--怒っていただきます--》
最近の社会情勢、特に学園紛争なるご時勢のせいか、こうした文集に言葉を載せたくない。昔は卒業期になると、頼まれなくても書きたくて仕方がなかったものだ。しかし今は---。---ここで止めようか。この文集、「生徒による、生徒のための文集」だから、教師が書くのはおかしいのではないか?
彼らは叫ぶ。週刊誌のように、総合保健薬のように。「教師は敵だ! 受験教育粉砕! 卒業式粉砕! 米帝反動教育粉砕!」 ヘルメットと棍棒スタイルでワッショイ・ワッショイ、校庭を練り歩く。
我は問う。保守反動とは何ぞや。反帝とは何ぞよ。予備校化とは何ぞ。--まあ、カビの生えた古臭い言葉よ。お前たち、意味しってるのかぁ。
金魚みたいに、ぱくぱく唱えればそれで安心する。大学生主催の学習会や、どこかの機関紙で仕入れたのを、オウム返しに喚いているのはまだ良いほうだ。しかし、これらの言を吐くには、それ相当の責任を伴うはず。
そういう連中は人の言に耳を貸さない。ということは、とりもなおさずファッショだぞ。帝国主義だの、民主主義の敵だのとぬかす。しかも、自分たち以外はすべて、腰抜けのバカと思っているから、クラスメイトに向かってさえ、「へん、飼いならされたブタだな」などと平気で言う。そう言うお前は何様だ!
若し主義主張があるとするならば、より多くの者に、同調者になってもらわなければならない。それには相手を尊敬し、理解しなければならないだろう。それが、どうだ。いたずらに敵をつくるだけ。そんなんでエエのか?しかも、都民の血税で作った公共物を平気で破壊し、私物化する。正門や黒板などの勇ましい落書きを見よ。建設ではなく、破壊のための破壊を行う。やい、都民の敵! 人民の敵!
彼らは懲りずに繰り返す。「教師は敵だ!」--そんなら言うぞ。そんなに敵を作っていいのか? 敵から勉強教わるな! 内申書書いてもらうな! まして、「先生、ロッカーの鍵、失くしたんだけど--」に至っては言語道断。いつぞやは、セクトの違う他校の集団に襲われて、学校に逃げ帰ってきたな。我々に身の安全を守って欲しかったのだろう。甘いし、矛盾だらけ。
「受験教育粉砕!」--ああ、懐かしや、我が愛するマスコミ的発想。何故正直に言えないのか?「私は一般教養程度の高校の授業さえも、付いて行けないのです。私の授業態度を見てください、成績表を見てください。」--彼らの言動は、この裏返。だから言うのだ、「受験なんかやめちまえ」とね。さらに、「高校は予備校ではない」とも。へええ、そんな高度なことやってんの?じゃあ、高校もやめちまえ!
だいたい、何を指して受験教育というのか。英語の学習でいうと--「この Itは何を指すか?」とか、「A whale is no more a fish than a horse is. (鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ)」。こういうことをやったり、モームやラッセルを読ませることだそうな。若しそうだとするなら、とんでもない。指示代名詞が何を指すかも分からず、no more --than のイデオムも知らずして、何をしようというのか。また、ラッセル卿が牢にぶち込まれたことなんか、知らないと思うよ。
彼らは、自ら称するところの民主主義の旗手、人民の指導者たらんとしているらしいから、それには英語は勿論、人一倍勉強しなければいけない。毛沢東、カストロ、ナセル、ホーチミン---を見よ。教養・博識・信望・指導力--が如何に大切かが分かるだろう。
"listen"をリストンと、重いものを落としたり、"know"クノウと発音して苦悩している者がだよ、「へん、飼い慣らされたブタだな」なんて言うのだから、お笑いもの。口先ばかりで実行が伴わず、人の上に立つリーダーどころか、迷惑ばかりかけて、中学上級の力も無い。だから、民主主義という英単語を書いて発音せよ、と言っても全然できない。「それで、よく民主主義を口に出せるな、単語カードに書いてよく覚えておけ!」とでも言おうものなら、それこそ、「受験教育!」、「反動教師!」と言われてしまう。じゃ、オレも言うぞ。やい、ファッショ!帝国主義!反動生徒!都民の敵!人民の敵!---我はこれらの言語の意味も知らずに使うなり。彼らの言葉をただオウム返しに使うだけ也。これ、語学習得の奥義なり。
彼らが本物か偽者かは、親の保護を受けず、自分で経済的にも社会的にも独立し、一家をかまえる年齢になっても、まだ、その主義主張を貫いているかどうかである。あと、二十年・三十年後が楽しみだ。なぜなら、彼らは断固として、私の期待を裏切らないであろうから。
※彼ら団塊の世代も、もう定年になる。当時、私は生徒指導部なる公務分掌に所属していて、事ある毎に彼らの正面に立った。そういう場面で、心配して他の教師が駆けつけることもあったが、「大丈夫、だいじょうぶ」とよく言ったものだ。(他校の生徒ならいざ知らず)、いきなり鉄パイプで殴りかかってくることはない、と信じていたからだ。黒板や野球のボールなどに、「○○死ね!」とはよく書かれたが、現代の生徒と異なり、理屈の通った時代であった。今思うと、古き良き世代であった。