縄文人の反乱 日本を大事に

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日本人は何も特別な事をしなくても”日本人”  転載

2013年04月20日 21時18分15秒 | 色んな情報
日本人は何も特別な事をしなくても”日本人”  転載
作成者: 京免 史朗さん
日本人は何も特別な事をしなくても”日本人”
自分達が満足出来る物を普通に作ってたら世界の一流品!
江戸時代、伊万里を輸出する時に”浮世絵”を包装資材で使ってたら「日本人は美術品を美術品で包装して来やがった」とビックリされたと言う逸話が有りました。
そんな日本人の何気ない”凄さ”が日本の強さでしょう。
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「ブランド名『日本』は優しさのブランド」
2006-07-27
カテゴリー: 日本の良い話
 
「世界が認めた日本の品格、戦略なき優しさが愛される」ウシオ電機会長 牛尾 治朗 氏
 
時代の端境期にあって「日本ブランド」が再評価されている。
完璧を求める几帳面な国民性が「共生の時代」にベストマッチ。
戦略なき底抜けの楽観と素朴な優しさが信頼と安心の源だ。
世界を見渡しても類まれな格差なき幸福の国、ニッポン――。
木漏れ日の差す21世紀にこそ、その品格が際立つ。
 
本誌(日経ビジネス編集部、以下同) 「ニッポン」というブランドが、
世界の中で希薄化していくのではないかという見方があります。
 
牛尾 そうかな。僕はそうは思わない。逆ですよ。これからの時代、
日本人が生まれながらにして持っている特質が世界でいよいよ高く
評価されるようになるんじゃないかな。
 
本誌 どういうことですか。
 
牛尾 クルマや機械、電子部品、デジタル製品など、日本製品は世界で
高く買ってもらえます。それは、壊れにくくてメンテナンスに手間とお金がかからない、
すごく信頼性の高い良い製品だからです。そういう優れた製品を生み出しているのは、
やっぱり、几帳面な完璧主義と言うのかな、緻密で、時間厳守で、傷1つ許さない、
何でもピカピカに磨き上げないと気が済まない、そんな日本人が
元来持っている気質ですよ。メーカーでは、経営幹部までが生産の現場が
気になって気になって仕方がない。だから現場に行く。理屈じゃないんです。
 
欧米ではエグゼクティブが工場に入り浸ってあれやこれやと
指示を出すなんて考えられないことでしたが、1980年代前半に懸命に学んだんです。
日本型生産、現場主義というものが製造業にとって正しいやり方だということをね。
現場主義の仕組みは何とか80%ぐらいのところまで導入したんでしょう。
 
でも、集団で協力する、集団で喜びを分かち合うというような国民性までは
真似することはできなかった。衣服の裏生地にまで手をかけてしっかり縫製する、
靴の見えない所まで糸のほつれがないように作る。そういう丁寧さが結局、
モノを長持ちさせる。世の中が変わり、自然と共存するとか、
人間に優しいということが経済や企業活動に求められるようになってくると、
日本人のような完璧主義でないとオールラウンドに通用することができないのです。
 
本誌 ただ、かつては「日本製品は良いが、日本人の“顔”が見えない」などと
揶揄されました。
 
牛尾 確かにそういう時期はありました。世界中で好んで日本製品が使われているのに、
日本人はどっちかというと敬遠される。 海外で日本人セールスマンが
売り込みに行くと、かえって売り上げが落ちると言われたことさえありました。
 
でも、最近は違うのです。米メリーランド大学と英BBCが世界で実施した調査で、
「世界に最も良い影響を与える国」の第1位に日本が選ばれたんです。
33カ国のうち31カ国で、回答者の過半数が日本のような国の存在が
世界にとって好ましいと答えたわけですよ。 ちなみに、「好ましくない」が
過半数を超えたのは、韓国と中国だけでした。
 
牛尾 なぜ日本は、世界からこんなに高く評価されているのか。僕は考えたんですが、
日本って約束したことは必ず守るし、実行する国だからじゃないのかな。
世界を見渡してみてください。こんなに正直な国民が集まった国は
ほかにありませんよ。昔、故大平正芳(元首相)さんが同じようなことを
言っていたのを思い出します。確か、外務大臣の時です。
 
「インドのネール首相やエジプトのナセル大統領がやったようなことを
日本人が真似しようというのは間違いだ。日本人というのは、国際会議で決めた約束は
必ず守る。だから世界から信用される。この信用さえあれば、
国際社会の中で生きていける」僕はその時、はっきりと意味が分からなかったんですが、
今思えば、さすが大平さんは達見でしたね。
 
国連でちゃんと負担金を払っているのは日本だけですよ。
スマトラ沖地震に伴う津波被害の義援金をきちんと振り込んだのも日本だけ。
アフリカで飢えた子供がいると聞けば、気の毒にと思って進んで募金する。
優しくて思いやりはある。だけど、戦略性があるとはお世辞にも言えない。
日本のODA(政府開発援助)は戦略性がないってよく言われますよね。
確かにカネを出しても何の利権も得られないようなことが多い。
でも、戦略がちらつかないから相手に信用されている部分もあるんですよ。
 
本誌 ずる賢さがない。
 
牛尾 そう、ずるくないんです。日本人が「好ましい」と見られているのは、
要するに相手に不安感を与えないということです。 親切で、素直で、金持ちで、
戦略性がないというか、侵略性がない。先の大戦では侵略国と言われているけど、
欧米列強みたいな帝国主義的なイデオロギーなんてなかったんですよ。
 
満州(現・中国東北部)の建設あたりからうぬぼれてしまったんだね。
敗戦で非常に反省をしました。今も日本には戦略がないんです。それがいいんです。
根っこのところに、ものすごい楽観論があるんです。世界のどこかで紛争が起こって
石油の供給が絶たれるようなことになれば、経済も国民生活も麻痺してしまう。
 
でも、日本にだけは誰かが売ってくれるだろう、自分たちが優しくしているんだから
相手も優しくしてくれると思っちゃうような。もし他国から軍事的に攻め込まれても、
みんなが守ってくれるだろう、特に米国がと信じている国ですね。
現実はそうそう甘くないのだけれども、平和憲法を掲げる国としては、
ひょっとしたらものすごく大事なことなのかもしれません、これは。
 
本誌 それが日本の良さだと。
 
牛尾 うん。日本が約束したことは世界が信用するからね。
これは、日本製品の信頼性とも相通ずるところがあります。僕もかつては、
戦略とか思想をもっと身につけなければならないと叫んでいたけれど、
考えてみれば国民の大多数が本当に楽観的で、絶対大丈夫だと信じているんですから、
なかなか身につかないはずですよ。
 
牛尾 哲学者の和辻哲郎によれば、日本というのは木の文化であり、
大きな台風に見舞われるたびに壊れてしまう。でも日本人は、また木を切り出してきて
作り直せばいいんだと開き直る。石の文化は自然と闘うけれども、
木の文化は自然と共生するというわけです。
 
長い目で見ると、日本の文明が2000年にわたって生き長らえたのは、
ダメになったらもう1回やり直せばいいんだというこの性格ですよ。
世界から、日本のそういうところの価値が認められ始めているんじゃないでしょうか。
困った人は目的もなく助ける、その代わり自分が困った時には
助けてもらえると信じる。必ずやり直せるんだという楽観と、生きることへの達観。
そういう国民性は世界的に珍しい。
 
本誌 日本人はもっと自信を持てと。
 
牛尾 そう、『国家の品格』の藤原正彦さんみたいなところまで行っちゃうと、
あれだけどね(笑)。もっと、ぐっと引いて、日本人には本来そういう
特性が備わっていて、そりゃ良い面も悪い面も両方あるということを
知っておこうというぐらいですよ。アングロサクソン系とは明らかに違うんです。
 
彼らにとっては戦略的に動けない人間というのはレベルが低いわけですよ。
遠くから見知らぬ人間が馬に乗ってやってくると、敵か味方かが分かるまで
みんなが銃を持って放さないという文化です。日本は誰が来ても、
縁側に座らせてお茶を入れてあげるというお国柄ですよ。
 
生い立ちがまるっきり違うんです。でも、東西、民族の対立、
いろいろな差別がなくなり、地球環境を大切に守りながら人間と自然が
共生していこうという時代になっていくと、いよいよ日本人の良さが
際立ってくるはずです。僕は、そういう日本人の良さをそのまま経済や政治、
国際関係での主張に素直に持っていくのが一番いいんじゃないかと思っている。
 
これから20年ぐらいは、「日本的なもの」が世界に受け入れられやすい
時代になりますよ。製品だけでなく、日本人も。日本人なら安心だ、信頼できるぞと。  
そういう日本人の本性を曲げて、欧米型の近代化に適応させるための教育を
僕らは受けてきました。 でも、やっぱりそれは本筋じゃない。
 
民族が重ねてきた歴史というのはそんなに軽いものじゃない。
世界に発信しようということで立派な「日本ブランド」なんてものを
わざわざでっち上げる必要はないんですよ。戦略性はないけど、いい人の集団で、
几帳面で現場が大好き。しかも歴史という文化的な深みと奥行きがある。
そういう日本人の本性こそが、実は世界の中での確固たるブランドになっているんです。
僕はそれを一番言いたい。
 
本誌 でも、人口は減っていくし、国力という面では中国、インドという
新興大国に追い抜かれていく厳しい時代を迎えます。国内の格差も拡大する。
 
牛尾 そりゃ、野球をやる時に9人のチームと20人のチームでは、人数が多い方が
有利に決まっています。20人で守られたらヒットなんか打てないですよ、
ホームラン以外は点が入りません。そういう強さが人口大国にはあるのは確かです。
 
インドなんかでは、日本人に来てほしい、日本企業に来てほしいと、
ラブコールがすごいんです。僕はちょっと楽観的過ぎますかね(笑)。
日本にも格差社会が来ると騒がれていますが、世界的に見たら、
こんなに格差がなくて、みんなが平均的に割といい生活をしている国というのは
日本以外にないんじゃないですか。日本に格差があると言ったら、
世界中の格差は目も当てられないほどひどい。
 
牛尾 世界史を振り返れば、常に日の当たる民族なんてありません。
アングロサクソンが世界を支配している歴史は、もう250年ぐらい続いていますが、
それはアングロサクソンのほんの一部の層が権力を行使して
富を享受しているだけです。
 
英国も米国も戦略国家として強さを維持してきましたが、そこに暮らす国民は
平均的に幸せなんでしょうか。僕は日本人の方がよっぽど幸せだと思いますよ。
これからは、目映い光がさんさんと降り注ぐというわけではないかもしれない。
薄日が差し込むぐらいもしれない。でも日が暮れて真っ暗に
なるというわけじゃありませんよ。
 
本誌 そうすると、日本人は今の姿をあまり変えない方がいいと。
 
牛尾 変えるか変えないかという選択肢はないんです。変えられないんですよ、
体に染みついているんですから。でも、努力してもっと高みを目指す、知識を積む、
高い志を持つ、思考力を高める、伝統を尊重する、月を見て感動するような感受性を
決して失わない。そういう方向で自分たちを見つめ直すんでしょうね。



日本人全員に読んでもらいたい。「私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」(ウエスト博士)  転載

2013年04月20日 16時50分10秒 | 色んな情報
日本人全員に読んでもらいたい。「私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」(ウエスト博士)
            『日本人よ誇りを持とう』より

昭和51年に発行された難波江通泰氏の著書『天皇陛下にお仕へしたい ウエスト博士の思ひ出』という著書があります。
この中の対談でウエスト博士は「日本の繁栄はすばらしい。無限の...可能性を持っている」と言うと難波江氏は「あなたの考えでは、日本の繁栄の根本的な原因は何であるとお思いですか?」
「それは、日本に天皇陛下が居られるからです」
「・・・・・」
ウエスト博士は続けてこう言いました。「私は日本人になりたい」
「どうしてですか?」
「それは天皇陛下が居られるからです。天皇陛下が居られる国だから、私は日本へ来たのです。もし日本に天皇陛下が居られないならば、それはドイツやソ連やイギリスやメキシコやアメリカなど、世界のすべての国と同じであって、そんな国ならどこへ行っても同じことです。イギリスやオランダなどにも国王や女王が居られるけれども、それらは日本の皇室や天皇陛下とは違う。天皇陛下が居られるのは日本だけだ。絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の貧しい百姓でもいい、私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」・・・・

ジョージ・ランボーン・ウエスト博士は1929年、米国テキサス州サン・アントニオに生まれ、テキサス大学で法律と歴史を専攻して法学博士の学位を得て、メールランド大学など数校で教授を歴任し、ダラス市で弁護士をしていました。
少年時代にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手紙を図書館で見てから日本に憧れており、ウエスト博士の夫人もラフカディオ・ハーンと同じく日本人女性でした。
ウエスト博士は昭和44年から日本マネージメント協会の顧問として来日してから、たびたび日本で講演を行ってきました。
博士の講演は「日本が真珠湾攻撃を行ったのはアメリカが仕掛けた罠にはめられた」と述べ、東京裁判の不当性を衝き、米製占領憲法を強制したことを糾弾しておりました。
この講演内容については昭和55年『憲法改悪の強要』(嵯峨野書院)を出版しました。

ウエスト博士が昭和57年に来日した時、元国会議員の会合で講演しこのようにお話ししました。
「日本に何回来ても憲法改正の声が起こっており、その運動も続けられている。少しは改正されたのかと思って今度の来日でも聞いてみたが、全然改められていない。日本人は基本の魂を取り戻さなければならない」
そして、「私はかねてから一度やりたいと思っていた夢を、ここでかなえさせて貰いたい」
博士はこのように前置きして、自ら音頭をとって、「天皇陛下万歳」を三唱しました。
並みいる日本の元国会議員たちは度肝を抜かれましたが、こぞって呼応したといいます。

平成6年3月、ウエスト博士は千代子夫人と来日しました。東京に着くと明治神宮、昭和天皇武蔵野陵、東郷神社、乃木神社に参拝しました。
同年6月26日には靖国神社に参拝しました。その日、ウエスト博士が靖国神社の遊就館で講演会を行う日でした。講演会の事前の有志との打ち合わせで、博士はこう聞いてきました。
「今上天皇は靖国神社に参拝されたことがあるか?」
これはこの時ちょうど、両陛下は訪米中で、アーリントン墓地とハワイのパンチボール(国立太平洋記念墓地)に参拝しておられました。続けて博士はこのように言いました。
「靖国神社に参拝されずに、アメリカのアーリントン墓地に参られるとは、何事であるか」
この場にいた通訳の足羽雄郎氏は、「日本は天皇の専制国家ではない。君民共治の国だから、首相が参拝して、国民すべてがそれを望むような雰囲気が作られないと参拝はされないのだ」と言おうとしたら、傍にいた名越二荒之助氏がこう言いました。
「アメリカが訳のわからない憲法を押し付けたからだ」
すると博士は、
「あれは憲法の名に値しない。いやしくも日本人が憲法というなら聖徳太子の十七条の憲法と明治天皇の帝国憲法しかないはずだ。現在の日本国憲法はマッカーサーの押し付けたアメリカ製だから日本人は英語でコンスティテューションと呼ぶべきだ」
名越氏は、
「日本では昭和天皇も今上天皇もアーリントン墓地に参拝して花輪を捧げておられる。今度クリントン大統領が来日したら靖国神社に参拝するよう厳しく言いつけてもらいたい」
「それは駄目だ。クリントンはベトナム戦争の時、徴兵を忌避した反戦主義者だ。そんな男が参拝したら英霊の冒瀆になる」
これを聞いた足羽氏は、「日本の政治家の中には靖国神社には気の毒な戦争犠牲者が祀られている。私はその人たちを慰霊するために参拝する、と公言する人がある。こんな心根で参ったのでは英霊の冒瀆になるのではないか」とこう思ったという。

その後、遊就館での博士の講演会の締めくくりはこうでありました。
「アメリカの占領政策でジョン・デューイの教育哲学が日本に持ち込まれたことが教育の荒廃をもたらした。個性尊重と称して子供を甘やかし、学校も親も道徳教育への自信を喪失した。それは日米ともに同じである。教育再建のためにはアメリカは開拓者精神に帰り、日本は教育勅語を復活させねばならない。日本人は喪った魂を取り戻すべきである。そのために陛下の万歳を三唱をしよう」
ウエスト博士は頬を紅潮させながら音頭をとったそうです。

台湾の年配者の方には「日本情」と言われる心情があります。転載

2013年04月20日 16時40分06秒 | 色んな情報
台湾の年配者の方には「日本情」と言われる心情があります。転載
台湾人は真実の日本を後世に語り継いでいる。日本に対する「恋心」とも言える心情を「片思い」にしたくない。
2013/04/20 Sat.

new!!

http://zaitokuclub.blog.fc2.com/blog-entry-488.html


「日本情」

台湾の年配者の方には「日本情」と言われる心情があります。
郷愁に満ちた彼らの青春。日本人に話しかけ、日本語を口にすることで、青春の一ページを思い出しているのです。

「若者の目に映った台湾」茅原郁生編(芦書房)より


一緒にいる間、懐かしそうに、うれしそうに、話しかけてくるご老人の口からは、台湾の昔の話、日本の戦争の話に続き、さらには「軍人勅諭」の暗唱まで飛び出したとか。特に戦争の話は一番熱が入っていて、日本でタブーになっている話も、老人は何の躊躇もなく語り続けてくれたそうです。

もしも、あなたが台湾へ旅した際、そんなご老人に出会ったら、ぜひ「日本語」で話して、彼らの話を聞いてみてください。台湾でひっそりと息づいている日本と台湾の歴史の真実が聞けるかもしれませんよ。


台湾のおじいちゃん、おばあちゃんは過去の日本に対して肯定的な意見がほとんどです。
それが何を意味するのか?それが真の歴史を知る上でのキーポイントだと思います。

この動画は「台湾人生」という映画のプロモーションです。
1分30秒程ですので是非ともご覧ください。



「台湾人生」解説
http://www.youtube.com/watch?v=XV_FChwzCAo&feature=player_embedded
最も波乱に満ちた時代を生きた日本語世代の台湾人が語る、もうひとつの歴史とは―。全国各地で大きな反響を巻き起こし、ロングランヒットとなった傑作ドキュメンタリー、待望のDVD化!

1895(明治28)年から1945(昭和20)年まで、実に51年もの間、日本の統治下にあった台湾。当時の日本は欧米への対抗意識もあり、インフラ整備や治安の維持に力を注いだ。教育の普及にも積極的に取り組み、学校教育は日本語で行った。そのため、この時代に教育を受けた人々は日本語を話すことができる、いわゆる“日本語世代”だ。彼らの歴史は、苦難の連続と言っても過言ではないだろう。第二次世界大戦が始まり、台湾人も日本軍として参戦するが、日本は敗戦。やがて、台湾は中国国民党政府による統治の時代を迎えた。しかし、その圧制に対する市民の怒りが、1947(昭和22)年の二・二八事件を招く。これをきっかけに、1949(昭和24)年から38年間の長きにもわたり、戒厳令が敷かれる異常事態に。この間、多くの台湾人が激しい弾圧にさらされ、台湾語や日本語の使用も禁じられた。“日本語世代”の台湾人たちは、口をつぐまざるを得なかったのだ。
本作は、台湾各地、そして日本へと舞台を移しながら、“日本語世代”5人の人生を振り返る。時代に翻弄されながらも、ふたつの時代を力強く歩んだ彼らがそれぞれの人生を語るとき、私たちはその言葉の背後に、もうひとつの歴史の姿を垣間見ることになる。
初監督となる酒井充子は、新聞記者を経て、ドキュメンタリー映画の制作・宣伝に関わりつつ、本作品の構想を練ってきた。“日本語世代”の老人との偶然の出会いから、取材活動は足かけ7年。台湾のことを広く知ってほしいという強い思いが原動力となり、国や時代を超えた、人間の存在そのものを見つめる大らかで優しいまなざしのドキュメンタリー映画を完成させた。本作は、記録的な観客動員となったポレポレ東中野をはじめ、全国でヒット。近くて遠い台湾の、知られざる一面に光を当てた衝撃と感動の作品として大きな話題を呼んだ。

日本は過去、台湾、韓国を統治しました。
それは欧米列強が行った「植民地政策」とは全く異なるものでした。
統治した国を日本の内地と同様に、いやそれ以上にお金をかけ、インフラ整備、教育の充実、治安維持などを行いました。内地から不満が出るほど台湾、韓国に対し投資を行ったのです。
韓国はさて置き、台湾の人達はその誠実さから日本に対して畏敬の念を抱き、後世に語り継いでいるのです。

「愛する日本の孫たちへ~かつて日本人だった台湾日本語族の証言集1」より


「自虐的な日本史観は、もうおやめなさい!」
かつて日本人だった11人が語る堂々の日本統治肯定論。

台湾がこれだけの進歩を遂げられたのは日本という時代を経たからです。
あの頃の私たちの感覚は「我々は百パーセント日本人」というものです。日本軍が勝ったら「万歳!万歳!」と心から喜んで叫んでいました。命をかけても日本という自分たちの国を守るんだという気持ちを持っていたのです。今ふりかえっても、その思いに悔いはありません。教科書には、植民地統治は悪いことと書いてあります。しかし、統治される人々や国にとって、それははたして悪いことか良いことか。私個人は、過去の歴史を調べてみると、台湾にとっては良いことをだったと思うんです。
(ABS樹脂製造で世界一の企業「奇美実業」創業者 許文龍さん)

私は今でも、日本人だったことを誇りに思っていますよ。
昭和二十年八月十五日、終戦。日本が負けたときは、本当にがっくりとしました。あのときは私も日本人でしたから、「自分の国」が負けたのです。台湾h少年工の日本での生活は過酷でしたが、子ども心にも「お国のため」という愛国の心に燃えていました。だから敵と戦う飛行機を作れることは、少年工にとってこの上ない誇りでした。もちろん日本が負けて、卒業資格などもらえぬまあ台湾への帰還。しかし戦後半世紀以上過ぎた今でも、私たちは日本を心の故郷と思い、日本を愛し続けています。
(元少年工の交流会「台湾高座会」の斗六区会会長 黄茂己さん)

日本人よ、日本を愛しなさい。
現代の日本人たちは、日本を愛することができないというかもしれません。日本はそれほどに戦争中にアジアの国々に悪いことをしたのだど。しかしそれは私から言わせると歪曲された歴史観です。日本が戦後から行ってきた教育は、あまりにも自虐的すぎました。そうした考えに正義感を覚える輩は、ただ無知なだけです。日本の皆さん、日本を愛しなさい、胸を張りなさい!日本はあなたがた現代の日本人のものだけじゃありません。私たち「元日本人」のものであることを忘れないでください。
(半導体デザイン会社「偉詮電子〇有限公司」会長 蔡焜燦さん)

日本の若い人へ。台湾への認識をもっと深めて下さい!
今の日本の若い人たちに伝えたいこと・・・それは、台湾についてもう少し認識を深めてもらいたいということ。戦争が終わり、台湾の六百万(当時)島民は「祖国」日本の捨て子同然になりました。捨てられたあとの台湾に何が起こったか、中国が台湾に対してどんな仕打ちをしたか、ぜひとも知ってもらいたいですね。
(日本語を愛する台湾人の会「友愛会」名誉会長 陳絢〇さん・・・注釈・〇は日に軍)

今の日本の人たちには、日本語を守ってもらいたいよ。
日本語ってとてもうつくしい言葉。一番うつくしいとまでは言わないけどね。でも台湾人である私にとても、とても大切な言葉なんです。今の大和撫子たちの話し言葉の荒っぽさ。あれは言うなればむき出しのコンクリートのようだ。てめぇの持っている古き良き文化を継承してほしいよ。あれは文化とは申しません。声を大きくして、日本語を守ろうという会を作らなきゃいけませんよ。
(川柳作家、「台湾川柳会」主宰 李テイショウさん・・・注釈・テイは王編に「程」に右側、ショウは王編に章)

自分の国のために戦って死んだ人たちを敬って何が悪い?
そもそも靖国神社に反対するのは親不孝。どの国でも戦争に行った人を参拝する考えはありますよ。日本人にもわかってほしい。アジアの国々が靖国神社参拝に反対しているというけど、実は反対しているのは韓国と中国だけ。自分の国の人間が自分の国のために戦って死んだ。それを敬って何が悪い。他の国が干渉すべきことではない!靖国神社を参拝して、韓国と中国に責められてすぐ謝る、日本は弱虫です。
(日本海軍出身の台湾人の会「台湾日本海交協会」理事長 葉子成さん)

自分の国を大切に思うことが若者たちのよい教育になるはずです。
日教組は教育を改革しすぎたような気がします。たとえば国旗掲揚に反対するとか国家を歌うのを反対するとか。そういう話は他の国では聞いたことがないですね。アメリカでは国旗をとても尊敬していますよ。もちろん戦時中の教育でも間違っていたところはありますが、どうぞ日本の過去の良いところは積極的に伝えてください。自分の国を大切に思うことが、若者たちにとって良い教育になるはずです。
(『台湾のいもっ子』著者 蔡徳本さん)

まず、台湾の歴史を知ることから始めてください。
最近、台湾を訪ねていらっしゃる日本の方によくこんなことを聞かれます。「どうして台湾は中国から独立しなければいけないんですか。あれだけ将来性のある国なのに」と。これはとても良い質問だと思うんです。なぜ独立するか。それは人間としての尊厳を維持するためです。人間として生きている以上、自分の尊厳を保たなければいけません。そしてその尊厳を維持するには、独立しなくてはいけないのです。日本が去った後の台湾の歴史を見ていただければ、日本の方々にも私たちの気持ちが理解できるかと思います。
(グアテマラ共和国にてコーヒー農園経営 郭振純さん)

日本人は、日本に生まれたことを、感謝しなさい。
私たちが話せる言葉は台湾語、日本語、中国語、そして孫たちと話すために英語も少し。日本のお友達がよくこんなことを言ってくれるんです。「すごいね、色々な言葉を話せて」って。褒められると本当に嬉しいです。でも私はひとつの言葉で一生を通せることこそうらやましいなあって思います。だからこう答えます。「日本に生まれたことを感謝しなさい。日本語ひとつだけで生きて来られたんですから」と。
(「友愛会」会員 劉心心さん)

台湾での戦争は、終わっていないのです。
日本の皆さんに伝えたいのは、台湾ではまだ「戦争」が終わっていないということ。日本は終戦とともに戦争が終わりました。でも台湾では、まだ、政府と戦い、苦しんでいる人がたくさんいます。僕たちの運動に共感してくださる日本の方々が増えたら嬉しく思います。
(「台湾退役軍人及び遺族協会」理事長 許昭榮さん)

日本よ、泰平の眠りから早く、目を覚ませ!
日本は第二次世界大戦以降ずっと、何の脅威も受けずに平和な日々を送っていますね。そのせいで先の危機を見越す力が麻痺してしまっています。台湾海峡の問題にしてもそうですが、たとえばどこかの国の潜水艦が領海に入り込んだ。それでも「別にミサイルを撃ちこまれたわけじゃないんでしょ」と蚊に刺されたほどの刺激も感じない。飲み込まれた後に感じたんじゃ遅いんです。今、自分たちの周りに起こっていることを把握し、将来に怒るべきことを予測することが大切なんです。
(「総合服務中心」代表 鍾紹雄さん)


最後までお付き合い頂き、感謝致します。
この真実を我々日本人も後世に伝える義務があると思い、記事にさせて頂きました。
台湾人は正しい歴史、真実の日本を後世に語り継いでいます。
それは日本に対する「恋心」とも言える心情からだと思います。
これを「片思い」にしてはなりません。

皆さんのお力で真実の拡散をお願い致します。
知らない日本人に知ってもらいたいのです。
拡散、宜しくお願いします。

東日本大震災の時、台湾から多額の義援金を頂戴し、日本人は台湾へ感謝の気持ちをもち、台湾のことを大好きになった人も多いと思います。
台湾のことを知るきっかけにもなったのではないでしょうか。

これを機に「国家」とは何か?「国籍」とは何か?
台湾との歴史を通して考える時ではないでしょうか。