次男の文字のこんな紙が落ちていたので「これ何?」と聞いたら
授業でお年寄りの喪失感の疑似体験をしたそうです。
12枚の紙を用意して、大切な人、なくしたくない大切な物、大切な目に見えないもの、大切な事を
3つづつ書くそうです。
私もやってみました。
人は「ダンナ」「両親」「子どもら」
物は「猫たち」「パソコン」「家」
目に見えないものは「健康」「やる気」「愛情」
事は「手芸」「家事」「ブログを書く」
自分自身がもうすぐ死んでしまうのだというイメージをするのです。
そして、まずなくすものを3つ選んで紙を破ります。
なくすと言うのは、例えばこどもなら独立するとか、パソコンや手芸なら出来なくなるとかいうことです。
また次に3つ選んで破り、もう一度3つ、破ります。
最後に残った3枚の中から2枚破り、そして最後に残った1枚を破って終わりです。
自分自身の人生も、、、
次男の最後の1枚はこれだったのですが、破れずに持って帰ったらしいのです
最後に破った2枚は、母と兄だったそうで、父は「早いうちに破った」そうでした、、、
興味を持たれた方、ちょっとやってみてくださいね。
けっこうハートに来ます。
今日は父に、好きだったと母が言う小林旭のCDを持って行って、イヤホンで聴かせてみました。
2,3曲聴いてから「これ全部知ってる」とはっきり言いました。
そして何となく口ずさんでいるようでした。
父は、色々な楽しみを失ってしまいました。
お酒もタバコも、スポーツも、新聞も、花の水遣りも、出かけることも、おしゃべりも、、
でも、みんな誰だってそういう時が、遅かれ早かれ来るでしょう。
そうなるまでは、一生懸命に生きてみよう、、
できれば何かの役に立つようなこともして、、と思います。
好きだったこと(もの)をあきらめなくてはいけないのはつらいです。でも、「楽しかった思い出」はしっかり残ります。年を取ったとき、「面白いことがいっぱいあったなあ」と思えるのはとても幸せなことではないでしょうか。
うまく言えませんが、「後で後悔しない時間の使い方」って本当に難しいですね。
でも、それだけ大事に思えるものが、あるということなんかな。
でも、年を重ねていくってこういうことなんですよね、きっと。
最期の瞬間(思考能力があるかどうか分かりませんが)に、みんなに、そして自分自身にも
「ありがとう 楽しかったよ」って言えるような人生でありたいです。
生徒さん達の中には泣いてる人もいたそうです。
多感な頃に、こういう擬似的な経験をすることで、将来お年寄りの気持ちに少しでも寄り添えたら、、という授業なのでしょうね。
意外と私などでも、経験したことのない気持ちでした。
体や時間を他者のためにも使えるのは、幸せなことなのだな、、と思いました。
おなかぽんぽんさま
私もそう思いました。
感謝して大切に生きなきゃな、、と。
こもママさま
ほんとそうですね。
ありがとう、楽しかった、、というために、
そして神様に会った時に少しくらいほめられる様なことをして生きなきゃな~って思いました。
お三方が今頑張っておられることは、まさにそのようなことだなぁと、尊敬しています。
紙に書いて破るんではなく、ノートに書いたものを順番に消去していくというものだったので、紙を破るのに比べ、気持ち的にソフトでしたが・・・。
しかも、なぜか誰も「ダンナ」は早いうちに消去してるのにちょっと笑えました。
(不謹慎ですみません。)
いや、笑っちゃいました~(~o~)
でもまぁ、大切な人の中に入ってるし、
究極の選択ですもの、、仕方ないですよね(笑)
まふまふさんは、どうだったのか、気になりますが、、