とはずがたり

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"History in a Crisis - Lessons for Covid-19"を読んで

2020-03-14 23:30:41 | 新型コロナウイルス(疫学他)
2020年3月現在、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染は世界的な広がりを見せ、多くの国で混乱を引き起こしています。フランスのマクロン大統領は「100年で最大の衛生上の危機」というコメントを出していますし、以前から疫病のアウトブレイクに警鐘を鳴らしていたビル・ゲイツ氏もやはり今回のウイルスは「100年に1度」のレベルであるとしています。彼らが「100年」と言っているのはキリが良いという理由もあるのでしょうが、おそらく1918年のインフルエンザ(いわゆるスペイン風邪)のパンデミックを念頭に置いていると思われます。しかしこの100年間に疫病が全くなかった訳ではなく、インフルエンザだけでも何回かの世界的大流行(1968年の香港風邪や2009年の豚インフルエンザなど)はありましたし、1980年代にはHIVウイルスが多くの犠牲者を出したとともに、アメリカで「エイズパニック」を引き起こしました。2000年に入ってからのSARSやMARSの流行も記憶に新しいところです。
今回の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)はいくつかの点でやっかいな特徴(無発症者から感染する、診断がやや煩雑など)があるとはいえ、全く未知の感染症というわけではありませんし(所詮はコロナウイルスだし)、エボラ出血熱などに比べれば致死率が高いわけでもありません。したがって過去の歴史に学ぶべき点は少なくないはずです。
米国の医学史家であるCharles Rosenberg氏は、疫病という社会劇を3つの段階(幕)に分けているそうです。すなわち疫病が本格化するまでそれを否定したり無視したりする第1幕、疫病が本格化してから、その説明を求めようとする第2幕、そして疫病が破壊的な災厄を引き起こした後に終息していく第3幕です。今回のSARS-CoV-2もおおむねこのような過程を経ており、現在第2幕にあるといえるでしょう。
疫病は社会に緊張をもたらし、普段は隠れている社会の問題を顕在化します。例えばしばしば見られるのは「災厄を誰かの責任にしたい」という欲求で、このような際に矛先になるのは往々にして権力を持たない少数派の人々です(中世ペスト禍におけるユダヤ人などが典型)。注意すべきは、このような声が大きくなると、多勢に無勢で(多数決で)、政府も何らかの対応を迫られ、検疫やワクチンの強制接種などといった極端な政策に走ってしまうことがある点です。1976年に豚インフルエンザがアメリカを襲った時に、当時大統領候補であったGerald Ford氏がワクチンの集団接種を熱烈に推奨したというのはこれにあたるでしょう(結局豚インフルエンザはそれほど流行せず、ワクチンは効果がなかったどころか多くのヒトにひどい副作用を引き起こしたためにFordは大統領選挙に落選してしまいます)。また医療体制が整っていない場合に、過剰な負荷がかかることによっていわゆる医療崩壊が生じ、医療従事者が疲弊したり、犠牲になったりするという現象も歴史の中で繰り返されてきました。我々が歴史から学ばなければいけないのは、このような轍を踏まないようにすることでしょう。
それではワクチンや治療薬が開発されれば問題は解決するでしょうか?我々はワクチンがあるにもかかわらず接種せずにインフルエンザにかかったり、周りにうつしたりしていないでしょうか?治療薬があるにもかかわらずHIVや結核を根絶できていないのは何故でしょうか?少し話は違いますが、癌のリスクが上がることがわかっているのにタバコをすっていないでしょうか?
こう考えると話はそう簡単ではないことがわかります。
我々、そして世界の指導者たちは歴史に学び、パニックに陥ることなく状況に応じて冷静にリスクを分析し、脅威を過大評価や過小評価することなく、リスクに見合った対策をとっていくことができるでしょうか?それともやはり同じことを繰り返して、第3幕が終了したら全ての記憶を海馬の片隅に押し込んでしまうのでしょうか?
N Engl J Med. 2020 Mar 12. doi: 10.1056/NEJMp2004361.
History in a Crisis - Lessons for Covid-19.



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