夕暮れ時のルアンパバーンのメインストリート
ルアンパバーンのモーニングマーケット(朝市)
クアンシ―の滝、ラオスで一番雄大な滝、雨期に行くべし(ルアンパバーン)
ラオス伝統舞踊(ルアンパバーン、ソンパオレストラン)
村上春樹の小説は読んだ事がない。心の底で「読むに値しない」という蔑視感を持っているからだ。
具体的に言えば、ノーベル賞欲しさに白人に媚びを売る、「西欧白人追随主義」とも言うべきか、
彼の浅ましい姿が見えてくる、それが嫌だからだ。
いかにも「素人受け」を狙った「ラオスにいったい何があるのですか?」と言ったタイトルと、
「ラオスには何もない」と言った結論が見え透いている。
シエンクワン高原の不思議な壺、(ポーンサワン)
ワット・プー、男根の石柱が参道に並ぶ(チャンパサック)
ラオス料理、美味しさは絶品 (ルアンナムータ、マニチャンレストラン)
村上の紀行エッセイでは、ハノイのホテルで出会った、ベトナム人に「どうして またラオス(なんか)に
行くんですか?」と不審な顔で質問されたと書かれている。
第一次インドシナ戦争(フランスからの独立戦争)を、そして第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)を
共に戦った友好国ラオスに対して、一般のベトナム人がこのような発言をすることが俄かに信じがたい。
本当にこのようなベトナム人が存在したのか疑問に思う。
架空の第三者を登場させ、その人物に「噓八百」を語らせるのは詐話師の常套手段である。
彼自身がラオスという国についてほとんど何も知らないと言っているように、
ラオスはフランスの「保護領」ではない、正確に言えば「植民地」であった。
フランスと言う狡猾な国が、どのようにしてラオスに取り入り、ラオス人を支配し、
ラオス人を奴隷化していったのか、ラオスでのフランスの植民地支配が
どれほど過酷なものであったのかを理解すべきである。
知的なイメージを印象づけたいのか、ホテルのバルコニーで、短パン姿で
小股を広げ素足を欄干にあげ、寛いで読書する「お姿」が写されているが(167ページ)、
足の裏は不浄とされ、人や仏像に足の裏を向けるのはタブーである。
道路の向こう側、バルコニーの先には恐らく寺院がある。
ラオスでは僧侶や寺院、仏像に向けて、足を向ける行為は
下品で絶対に許されるものではない事を理解すべきである。
ラオスで一番下品で行儀の悪い日本人「Haruki Murakami」
「ルアンパバーンの街より、街外れにある飛行場の方がたぶん大きいだろう。
玄関が立派でやたら大きくて、部屋数が少ない家に似ている。
居間を通り抜け、裏のドアーを開けたら裏庭みたいな」にいたっては見当はずれも甚だしい。
ルアンパバーンを、町の中心地の「半島部のみ」と錯覚されているようだが、
村上の泊まったブルジョアホテル「アマンタカ」を含め、
ナンプ噴水から南西部に拡がる広範囲な地域もルアンパバーンである。
あきれた無智と偏見としか言いようがない。
自分と異なった、文化、宗教、国家、生活習慣を見下した、
内容の希薄な、偏見に満ち満ちた、このような下らないエッセイを読むのは初めてだ。
細かい事情もよく分からず、その国に対するリスペクトの念もないなら、
紀行エッセイなど書くべきではない。
どうも村上春樹という人物にはラオスのよさを理解する能力がないらしい。
ラオスに何もないと決めつける前に、ラオスに何があるのか、
真摯に探すのが「旅」ではないか。そして、それが人生ではないか。
実情にそぐわない、本のタイトルは改題すべきだと、
村上春樹および文藝春秋社に老婆心ながら進言したい。
常々、疑問に思っているが、村上春樹はノーベル文学賞に本当にノミネートされているのか?
こんな拙文でノーベル賞など取れるはずがないと思うのだが。
ラオス国立博物館(ビエンチャン)、展示資料 現在閉鎖中、
首枷をされ、足を縛られた状態で働かされるラオス人、
後ろ手に縛られ、鞭で打たれるラオス人
強制労働に従事させられるラオス人
後ろ手に縛られた僧侶たち
井戸に投げ込まれる子ども
フランス植民地軍の撤退を喜ぶラオスの人々