たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子27

2019-01-30 22:22:18 | 日記
穏やかに日々は過ぎていった。

大津も山辺皇女と仲睦まじいと周りは噂をしていた。

「皇太子大津皇子さまは、女人との艶聞がなくなりましたな。」
「ほらあの草壁皇子もご執心の大名児もあのお二人には近づけまいとて。」

朝殿の廊下で官人たちはさもありなんでヒソヒソと話をし今後も大津を支持して安泰と宮中では大方の見方でもあった。

大伯も斎王の務めを果たしつつ、夜にわざわざ灯りを点けて贅沢とは思いつつも大津にもらった漢詩を読み過ごしていた。
…大津の和歌も詠んでみたいもの。父上と額田王のような戯れの相聞歌も面白いけれどおじいさま天智天皇はお怒りは凄まじかったらしいけれど。和歌ってその時その時に与えられるようなことづけ、伝言のように思うわ。…あえて大津は詠まないのかも…大津の立場は一つの歌で誤解されるのかもしれない。周りに与える影響力を考えて作らないのかも。作るときはあえて何かを伝えたい時だけなのかもしれないわ…
思わず「大津も苦労しているのね、あの若さで…」と声に出てしまった。

そんなとき皇后が病に倒れた。軽い風邪でもこの時代は命に関わる大事でもあった。高熱にうなされる皇后を心配するあまり天武天皇は薬師寺を創建した。
皇后の周りに天武、草壁、大津が囲んだ。
天武が「そなたの回復を祈願して念願の薬師寺を作る。そなたと早く参りたいものじゃ。早く元気になれ。」と皇后に語りかけた。
「もったいないお言葉、嬉しく存じます。」と皇后がいつになく弱い声で答えた。
「母上、私は母上のご回復を祈願し伊勢に参拝いたします。」と草壁が得意そうに言った。
「斎王の迷惑になるのでは…皇太子もそう思わぬか」と皇后が大津に問うと「斎王は皇后のために祈願奉ると思いますが…草壁は母上のそばにいて差し上げられる方が安心なさると思うが。」と大津は答えた。

草壁は言葉をなくしたが、天武が「皇后のそばには皇太子、大津がおれ。草壁、危険を覚悟して行け。」と助けを出した。天武としては飛鳥浄御原令の制定において必要なのは皇后、皇太子であったので草壁が行くことで願いが叶うのならそれでもいいと思っただけであった。

数日後、草壁が伊勢の斎宮を訪れた。