センムのブログ

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終戦記念日

2012-08-15 | 日記
今日は終戦記念日です。
その昔、子供心に「今日は終戦ではなく敗戦記念日ではないだろうか」と思ったことがあり、そのような発言を新聞などで見たこともありました。

しかし、「敗戦」というのは戦争を肯定した上でのことです。それは軍や政府といった人が「勝手」に始め、勝手に負けたのですから、多くの国民にとっては思いもよらないところで決められたことで、命を取られていったのです。これは戦争に行かされた人だけでなく、残った人たちも空襲や沖縄戦で多くの人が命を失いました。

あるTVドラマでは、「戦争は石炭をくべるように、ボンボンボンボン人を奪っていって……」というようなセリフがあり、戦争が終わった時には皆本当に喜んだという描写がありました。

戦争なんて、勝った方も負けた方も狂気です。日清日露の武勇伝や、第二次世界大戦の戦勝国、準戦勝国ということ、もちろん戦争を始めた軍部や政府だけでなく、戦後処理の極東裁判など、どれひとつとってもナンセンスで荒唐無稽な一方的な思惑の押し付けがあるだけのことです。
最近のイラクやリビア、エジプトやシリアの情勢も、ある一面からの報道がされているだけで、本当の国の内情なんて、私たちは見ていないのではないでしょうか?国連のシリアに対する決議に反対する国があるということは、一体どういうことなのかを、じっくり考えてみる必要があるのかもしれません。

さて、これは戦争だけでなく、誰ひとりとして国民も未来も見ていない政治屋(「家」とはとても呼べない)が政治をすすめる今の日本も同じになってしまうのでしょうか?増税は未来を見据えて……と言いますが、「増税やむなし」という国民感情を利用し、さらに官僚の言いなりで増税法案を可決する政治とはいったい何なのでしょうか。
企業ならまず支出を切り詰め、組織を改変し、場合によっては人員削減、給与削減といった血を流し、それ以上何もできないとなった時に、ようやく商品価格を「やむを得ず」値上げするというのが、このところの現状です。

しかし、国会議員の定数も給与も据え置きで、国の組織も大して変わらないまま、「収入だけを上げてなんとかしよう」では、一体何のために議員さんを選ばなければならないのか……。これでは増税が未来を見て行われるなんて、だれもそう思いません。
といって「なんでも反対」というのも現実が見えているとは思えません。

知らず知らずのうちに戦争に突入し、それを武勇や思想論で国民を扇動した時と今と、一体なにが違うのでしょうか。
福島の原発事故ひとつとっても、「大本営発表」がいかにいい加減で抽象的で、事実をそのまま伝えていなかったことを思い出しても、私たちは再びおかしな方向へ向かっているのかもしれません。



今日は終戦記念日です。


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