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意外に貧乏な皇室の生活事情、高円宮様が文春記者に明かした「本音」

2021-08-02 11:00:00 | 日記

下記はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文藝春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。日本一有名なファミリーであり、掲載すれば雑誌が売れること間違いなしだった「皇室」の素顔とは…。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
「必ず雑誌が売れる」のは
どんなテーマか?
「雅子さまは海外ブランド好き」ーーそんな批判が起きたこともあったが、実は皇室の「質素な内情」ゆえだった
 雑誌編集者として絶対成功する企画の法則をひとつだけあげるとすると、「日本人のほとんど全員が家族の顔と名前を知っている家族をテーマにする」ことです。雑誌も売れるし、テレビであれば視聴率も上がります。
 例えば皇室。誰もがファミリー全員の名前と顔を知っています。また、貴乃花一家や長嶋茂雄一家、あるいは野村克也一家などもその対象です。家族全員が半ば公人であり、写真や映像がたくさんあるせいもあるでしょう。
 ですから、雑誌としては、これらの家族の皆さまには大変迷惑をかけつつ、お世話になりました。
 私の皇室取材体験の最初は、皇室と縁のない取材からでした。外務省に小和田恒事務次官の娘が入省することになったので、親子で撮影をしてくださいという月刊文春の企画です。外務省前で撮影したときは、雅子さんはふっくらしておられ、やせ型の親父さんに比べて、いかにも新入生という感じでした。この時は、まさかお妃候補になるとは、まったく思ってもおらず、かなり適当な取材をして帰ってきました。
 大体、週刊誌が皇室を標的に記事にしたのは、ここ30年くらいのこと。以前は女性週刊誌の標的にはなっても、文春や新潮の関心事ではなかったと思います。
 しかしごく稀に、突然、皇室の取材をしろという指令が下ったこともありました。「皇后陛下が70歳になられて、専任の看護婦さんがついた。どこか悪いところがあるのか取材しろ」という指示です。私は1年目の新人時代。皇室関係の取材先など、1人も知りません。デスクに相談すると「ああ、この人に聞いたらいいよ」と、ある新聞の皇室担当記者の名刺をくれました。
「親しいのですか?」と聞くと、「いや先週、宮内庁記者クラブの批判記事を書いたら、この記者がクラブ代表で抗議にきた。それだけのことです」「えッ?抗議にきた人に取材を頼むのですか?」。とんでもない会社です。しかし、この記者、親切に皇室のことを教えてくださり、今もまだおつきあいがあります。
 こんな牧歌的な時代もあったのです。
東宮で開催していた
「お見合いの会」
 さて、1990年くらいになると、皇太子妃候補に小和田雅子さんが浮上していることを知りました。私に、週刊文春記者として、皇太子のお妃候補を追跡せよという指示が下ったのはちょうどそのころです。女性週刊誌はいざ知らず、一般週刊誌は皇室記事などほとんどなかった時代。まずは、知り合いの知り合いをたどって、少しでも詳しいニュースソースをつくるのが仕事です。
 幸運にも、たまたま知り合ったニュースソースの証言は今から考えても、正確でまったくぶれませんでした。最初から、「皇太子さまは、絶対に小和田雅子さんがお好きだと思います」とのこと。
 皇太子さまの周囲の人々を取材すると、みんな皇太子さまのお人柄が大変好きだということが伝わってきます。それは、本当に気配りのできる人だということにつきました。
「お見合い会のようなことを、よく東宮で開催されます。周囲がお妃候補と推薦されている女性とその友人、複数をご招待して食事会をされるのです。次に、もう一度その人が招待されると、皇太子さまが気になっている人ということになります。皇太子さまは、その人がどの料理を美味しいといっていたか、どの料理を残したかを、きちんと記憶していて、次回の料理の指示を出されるのです」
 そんなやりとりの中で、小和田雅子さんは特別な扱いだったといいます。
「皇太子さまは、美智子さまを尊敬され、理想の女性だと思っておられました。容姿端麗で教養もある雅子さんがお好きというだけでなく、天皇になる運命と責任を負っている方だからこそ、一緒に国を担う人と心に決められていると思います」
 外務省勤務の小和田雅子さんへの取材はエスカレートしていきました。雑誌記者の中には、張り込んで隠れて撮影したものの、雅子さんにみつかり、ネガを提出させられたカメラマンまで出てきました。あまりの報道の過熱ぶりからか、小和田雅子さんが皇室入りに消極的だという情報が流れ、いつしかマスコミのお妃有力候補リストから外れだしましたが、私のニュースソースは断言していました。
「雅子さんしかいません」
雅子妃の「海外ブランド好き」は
質素な内情が理由だった!
 皇太子さまが「一生かけてお守りする」というプロポーズをされたのは、本当に一途な恋の結果であり、その後、体調を崩された雅子さまを守り通したのも、責任感ある人柄からなのだと思います。
 今でも、女性週刊誌を中心に皇室のファッションは、大変な関心事です。しかし、皇室は意外に質素だということも取材で知りました。一度だけ食事をご一緒させていただいた高円宮さまは、こうおっしゃっていました。
「東宮と違って、わが家などは予算も少ないし、料理人など持てません。しかし、海外からのお客さまは頻繁にこられます。宮家の財産は、普通の人と同様に相続税がかかりますから、絵画など、家に飾る贅沢なものは、そんなに持てません。しかし、お客様は王室の方です。その場合、東宮家から絵画を借りてきて、家に飾ることもあります」
「欧州の王族は、美術への目も肥えていますから、あんまりみっともない絵も飾れません。あちらの王族は、ドレスを着るときは、とてつもない宝石をつけておられることも多いのです。しかし、日本の皇室は質素を旨としています。ですから、着物で真珠という高額にならないファッションが中心になるのです」
 雅子さまと紀子さまのファッションにも、それこそ、皇室の予算問題がからんでくるといいます。
「雅子さまの場合は、体調がすぐれない時期が多かったので、外遊だけでなく、いろんな公務に参加できるかどうかギリギリまで決まりません。ということは、そのために着る服装について予算がおりないということなんです」
「雅子さまが海外ブランドを着用することが多いという批判が起きましたが、予算がおりないので、外務省時代に購入していた海外のブランドファッションを作り直して着ておられるのです。紀子さまは、その点、公務外出は早目に決まるので、新調される機会も多かったと思います」
 そういえば、皇太子さまは、自宅開催のお見合いが続くと、月末には「今月は予算を使ったでしょうから、ランチはカレーライスでいいですよ」と、必ずおっしゃっていたそうです。



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