時代と言うのはあるもんである・・。
それでいて、わーすたの一曲で
:キミ恋テレパシー
なんかを聞くと、僕は大好きなわーすたの一曲とし、キミ恋テレパシーなんて言う良い曲があるんだなぁ~と言うのを、誇らしげに見つめて携えるが、これは良いと、アホな言い草が幅を利かせ、なかなか真実が見え辛い中でも、ごはんに水をかけて食べるのが一番の乙なんじゃないか!!などと、感傷に浸るわけである。僕は、この手のごはんに水をかけ、食べるような有様が一番の乙なのだ!とする言い方で、もっと先にあるこれは長岡の端っこ、冨祖木の界隈の丁度横丁、乙吉地区を思い出す。入れば、中を乙吉川が流れ、僕はこの冨祖木と言う地区に佇むとある弁天箇所から、それは乙に伸びるような天地を見る・・。
いやいや、時代の引継ぎと言うのはある。今の時期、この前時代からの引継ぎ事があり、世の本当の為しことからは、
さな:ここは練習だよっ!
と、言い渡されるそんな一時期を渡る。僕は、音楽的に2000年代を通らせたハウス系の音楽を中心に時代を探っているけれど、いやまあ余程の達人ごとになる競馬事に関しては、これもまた僕は、ちょっと時代を遡る競馬の歴史を探ろうとするのは、当然だ!
いやいや、雑文であるけれど、今の治世わーすたの’キミ恋テレパシー’があって感じるように、いや僕と言う一個人が計る物差し、ごはんに水をかけて食べるのが乙なんだ!とする理論からは、この両者、
わーすた/キミ恋テレパシー
北花園さな/ごはんに水をかけ食べるのが乙!(乙吉だ!)
と言う2者が申す物言いと言うのは、遥か差が開くこの界隈の一事情を表しているけれど、一切物の道理を言わしめるそんな一現象、これに出会うのだ!とすれば、これは以下が捉え、申すだろうか??
流石に、僕的に普段通りの行動をし、ただあさつきが上がるのを眺め、夕に茜が差し込んで向かえる一等の事情をただ流すのみ!(普通にしているだけ、あるいは・・(言わず)、と言う僕に関する条件ことは、ここでは一応触れずにおこう!
それでは、また次回で!!