遊び呆けていると、長岡の東山にとある田んぼ中道があり、進むと奥にお水が溜まった池があって、奥に小さな祠がある。それで、僕がそんな小さなお池さんを前に、(有名な!この話し)
:金の斧銀の斧
の話しがあって浮かぶ。それで、傍らであほうなコンクリート道ひた走るあほな車君が過ぎる中、僕が、
さな:ただの斧ってあるろ?それで、そのただの斧をお池に落としたときに、お池の精が表れて、
お池の精:お前が落としたのは、この金の斧か、それとも銀の斧か?それとも、このただの斧か?
こう問われる。これで、欲張るちょー馬鹿(悪)は、
悪(嘘つき!):金の斧です!
と、こう答えてしまう。
この話しを傍ら小豆に問い掛け(あるいは当たりに)、
さな:この欲張り(嘘つき!)お馬鹿の一抹は、横にご覧の通りの、コンクリート道をひた進むしかない、嘘つき人生が待って入るのさ!
こう言ってのける。’そうだそうだ!’っと、いわんばかりの当たりの衆があり、まあ人間と言うもの、その欲張りな根性が押さえられずに、悪を演じてしまうのはある話しなのである・・。
いや、この物語(昔話し)の(人間的な)教訓は、ただあるけれど、欲と言うを押さえられずに嘘をつき、それでいてその身勝手な自分の有様から、(まあ努力を忘れ)今日の、良くある人間さまの失敗(悪)話し、
:錬金術の類い
:打ち出の小づちの類いの話し
こんなのはないわけである。
それでは、今どきは自身の甘さ強欲に負け、自身悪なる負け犬街道をまっしぐらに進んでいるのになぜか自分は勝った気でいる愚か者が世間に溢れる中、本当の勝ち戦を営んでいるのは、まあ僕が自転車で通る田んぼ脇の田んぼ道に通ずる道を歩く、まあ普段の一般の常識人、この人たちなのである!
まあ、夜はお達者で~っ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます