三蟠鉄道研究会

今はなき岡山の三蟠軽便鉄道の歴史を探り、後世に伝承していくための活動をしています。

三蟠軽便鉄道の沿線・周辺地図

2017-08-30 12:28:05 | 三蟠軽便鉄道の役割と沿線周辺地域
三蟠軽便鉄道沿線、周辺地図

三蟠軽便鉄道は地域の足となり、沿線・周辺住民に支えられて運行しました。
ここでは、当時の沿線・周辺の地図を参考にして、ありし日を偲んでみましょう。


昭和5年10月10日発行岡山市街地図 岡山電気軌道は東山まで延伸しています。




昭和5年10月10日発行岡山市街地図 三蟠鉄道も国清寺駅まで延伸し電気軌道に乗換え、岡山駅までの交通アクセスを容易にしました。



三蟠軽便鉄道櫻橋驛、宇野線鹿田駅やその周辺  宇野線はその後 西に大きくシフト鹿田駅は廃止され、新たに大元駅が誕生しています。



岡山電気軌道株式会社軌道延伸計画関連図面 電気軌道もいろいろ軌道延伸を模索していたことがわかります。



明治31年1月15日細謹舎発行 岡山市中心部交通アクセス地図  当時現在のJR岡山駅はありません。同じ位置に岡山停車場がありました。




大正14年国土地理院地図 国清寺から三蟠までの鉄道路線が見える



大正14年国土地理院地図 国清寺から平井までの鉄道路線が見える

鉄道用地提供者と当時の登記済み権利証

2017-08-30 10:48:44 | 鉄道用地提供者と権利証
三蟠軽便鉄道の用地提供者と当時の売渡証書


三蟠軽便鉄道発足当時の権利証綴りがみつかりました。その中から一部を紹介します。
土地提供者は鉄道の用地として、あるいは停車場用地として、開通に向けた大切な協力者でした。 協力者はだれ一人欠けても開通にこぎつけることが叶わなかった功労者です。
 当時の権利証は地権者から三蟠軽便鉄道株式会社初代社長の藤原譲太郎宛となっています。

会社の住所も当初は三蟠ではなく、岡山市小橋町167番地となっていて、当時の豪商福田常次郎宅の屋敷の一角を借用していました。福田常次郎は筆頭株主でもありました。

登記済み印を確認すると、現在は地方法務局になっていますが当時は岡山区裁判所印となっていて、一部には岡山区裁判所西大寺出張所印が押印されています。

◎大正4年3月起 登記権利証書綴



◎売渡人 円常寺 住職松本耕道 売渡証書 檀徒惣代の署名もあります。



◎売渡人 鐘渕紡績株式会社専務取締役 武藤山治 売渡証書



◎売渡人 富山金十郎 売渡証書



◎売渡人 内田槌次郎 売渡証書



◎売渡人 内田寅太郎 売渡証書